2011年3月3日 No.666

●サバイバー●取材・執筆/奥本 香・本誌編集部

自然史博物館を創った男たち

ロンドンのサウスケンジントンにある自然史博物館は、
世界最大規模の生命科学・地球科学のコレクションを誇る。
19世紀後半、この大がかりな博物館建設のプロジェクトを実現させたのは、
3人の有能な科学者、政治家、建築家であった。
自然史博物館は言わば、この3人の男たちの情熱と信念と才能の結晶なのである。
今月のサバイバーでは、自然史博物館を創った男たちの物語をお送りしよう。

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写真(左から):リチャード・オーウェン、アルフレッド・ウォーターハウス、ウィリアム・グラッドストーン

◆◇◆ マンチェスターとロンドンで回り始めた歯車 ◆◇◆

 1861年秋。
イングランド北部のマンチェスターの町では、早くも木枯らしと呼びたくなるほどの冷たい風が吹くようになっていた。既に冬物のコートに身を包み、足早に事務所へと急ぐ1人の男の姿があった。右手に下げた書類カバンはずっしりと重く、男はそれを左手に持ち替えたが、それに自分でも気づいていない様子だった。男の頭の中には、今取り組んでいる数々の仕事の設計図がかわるがわる浮かび、それぞれに手直しが必要な部分について男はあれこれ考えをめぐらすのに一生懸命で、思わず曲がるべき角を曲がり損ねるほどだった。
この男の名をアルフレッド・ウォーターハウス(Alfred Waterhouse 1830~1905)という。リヴァプール出身ながら、その頃はマンチェスターに建築事務所を構え、新鋭建築家として注目を浴びていたウォーターハウスは、いくつもの建築計画を同時進行で進めていた。その前年には、歴史家トーマス・ホジキンの妹、エリザベスを妻に迎えるなど、31歳のウォーターハウスは公私ともに充実していた。とはいえ、彼がロンドンで、ある一大プロジェクトに加わることになろうとは、まだ知る由もなかった。
その頃、約200マイル離れたロンドンのブルームズベリーで、大英博物館の自然史コーナーを神妙な顔付きで歩き廻る2人の紳士がいた。
大英博物館自然史部門長のリチャード・オーウェン博士(Richard Owen 1804~1892)と、後に英国首相となるウィリアム・グラッドストーン(William Gladstone 1809~1898)蔵相だった。年も近かった二人は、活躍する分野は違えど、相手が非常に優秀であることを互いに心得ている様子で言葉少なだった。ここにグラッドストーンを招いたのはオーウェンである。オーウェンは、ある一大プロジェクトに関して明確な構想を抱いており、その実現のために、グラッドストーンなら力になってくれるのではないかと見込んでいた。 建築界で順調なスタートを切ったウォーターハウス、自然科学界で既に知られる存在となっていたオーウェン、まもなく英国政治の頂点に立とうとしていたグラッドストーン。まったく接点のなかった3人だったが、このオーウェンとグラッドストーンのブルームズベリーでの会合を機に、3人は運命に引き寄せられるように、大きな共同作業に関わることになっていく。
オーウェンには、その共同作業のゴールが見えていたに違いない。
そのゴールとは、自然史に関わる資料や展示を特化して集めた博物館の創設である。しかし、それに到達したのは1881年。このブルームズベリーでの会合から、実に20年も待たねばならなかった。解決すべき問題は、文字通り、山積していたからである。

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それはスローン卿の
ガラクタ収集癖から始まった!
 自然史博物館は、元は大英博物館の一部でその自然史部門だったことは本頁にも記してある通り。大英博物館と言えば、昨年4月号で紹介したように、アイルランド出身の医師であり、熱心な収集家として知られたハンス・スローン卿(Hans Sloane、1660〜1753)=写真=が、1753年、世界各国からの収集品を英国政府に遺贈したことから生まれた。スローン卿はとにかく何でも集めることが趣味だった。美術・工芸品はもちろんのこと、植物のスケッチや化石、剥製、果ては何なのかよくわからないガラクタも含まれていた。価値については当時、批判的な意見もあったが、おびただしい数のコレクションであることに意義を唱える者はいなかった。これら全ての遺贈品がブルームズベリーのモンタギュー・ハウスに運ばれた。大英博物館は、こうして最初は自然史のコレクションも含む「総合博物館」として開館したのだった。
ところが18世紀後半になる頃には自然史関連の収蔵品が急増。ジェームズ・クック船長の「HMSエンデバー号」による1768年からの3年間の航海に参加した、植物学者ジョゼフ・バンクスが膨大な量の標本やスケッチを持ち帰るなどしたからだ。しかし、スペースも足りず整理も追いつかない。モンタギュー・ハウスは追贈された資料が、無秩序に所狭しと並べられるという状態に陥っていた。この状況を憂えた博物館評議会の決議は、自然史専門の部門を新規に設置して事態を改善しようというものだった。ここへ、その実行責任者として呼ばれたのがリチャード・オーウェン博士だったというわけだ。
さて、現在の自然史博物館、収蔵品の数ではおそらく世界一と言われているが、その総数とはどれぐらいだろうか。植物学・昆虫学・鉱物学・古生物学・動物学の5分野の標本は7000万点余り、自然科学関係の蔵書コレクションは100万冊余り、そして意外に知られていない絵画コレクションも50万点ある。カメラがなかった時代には、記録の方法は写生しかなかったためだ。どのコレクションもきわめて貴重なものであることは言うまでもない。