野田秀樹新作舞台 NODA•MAP「正三角関係」世界配信決定
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■ ヨーロッパは今、受け入れ過ぎた移民の扱いに苦慮している。英国も例外ではない。特に大都市では民族の多様化が進んでいるが、イングランドは長い間、アングロ・サクソン中心の国だった。しかし、彼らもまた先住民を蹴散らして住み着いた、後発の人たちだ。では、ブリテン島には過去、一体どんな人たちが暮らしていたのか。辿り着いたのは、意外な人たちだった。

●サバイバー●取材・執筆・写真/手島 功

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先住ブリテン人

チェダーマンが発見されたゴフス洞窟内部。
© Gwen and James Anderson

2018年2月7日、衝撃的な映像が公開された。ロンドンの自然史博物館とユニバーシティー・カレッジ・ロンドン(UCL)の共同研究チームが精密に再現した、ブリテン島先住民の顔だ。モデルとなったのは1903年、イングランド南西部のサマセットにある全長5キロほどのゴフス洞窟(Gough's Cave)の中で発見された古代人。洞窟のある峡谷は深い樹木に覆われ、木の実が豊富で水も豊かだった。そのため、食料や水を求めて野生の鹿や牛、イノシシなどが自然と集まり、川で魚が戯れる狩猟採集に最適の地だった。ハンティングには犬と弓が使われた。

人骨は洞窟の奥深い部分にあったため、動物などに荒らされることなく、完全な形で発見された。鑑定の結果、その人骨は約1万年前、中石器時代のものと分かった。チェダー峡谷で発見されたため、「チェダーマン」と名付けられた。以降、チェダーマンは自然史博物館の一角に展示され、完全な形で発見されたブリテン島最古の先住民の人骨として、紹介され続けてきた。発見から115年もの間、誰もが盲目的に「チェダーマンは白人だった」と信じてきた。それが根底から覆される事態が発生した。

研究チームはチェダーマンの耳の奥、錐体(すいたい)という頭蓋骨の一部から、DNAの抽出に成功した。1万年も前の人骨からDNAが抽出されるためには、偶然が幾つも重ならなければならない。チェダーマンは洞窟の奥深く、紫外線を浴びることのない暗闇にあり、気温が低く、周囲が石灰石だったこと等が幸いした。

サンプル抽出には、細心の注意が払われた。現代人のDNAと混ざって汚染されては一大事。研究者たちは厳重に隔離された専用の施設で保護服に身を包み、頭蓋骨にドリルで直径2ミリほどの穴を開けた。2つとない1万年前のサンプル。緊張でドリルを握る手が震えた。パウダー状になった骨から、DNAサンプルの抽出作業に熱中。そしてDNAが抽出できただけでなく、最高水準のデータ獲得にも成功した。UCLの研究者たちは、DNAの色素沈着などゲノム解析にも成功。これほど古い時代のブリテン人に関するゲノム解析は、初の試みだった。その結果、チェダーマンは考えられていた姿とは違い、黒に近い褐色の肌と軽く波打つ黒髪、そして何より驚いたことに、青い瞳を持っていたことが分かった。

3Dプリンター

復顔のそばに置かれたチェダーマンの人骨。

研究チームは、チェダーマンの復顔に挑んだ。DNAからは髪の色や質感、瞳の色までが特定された。ところが、肌の色が分からない。白人よりも遥かに色が濃いことは分かったが、どれくらい茶色いのか、黒いのか、また赤みがどの程度含まれるのかが分からなかった。そこで米国の研究者の協力を仰ぎ、膨大なDNAサンプルを入手。肌の色を決定する遺伝子を照合したところ、チェダーマンの肌は「濃い褐色」であることが分かった。

これらの遺伝子解析の結果を元に、オランダの古生物模型製作の専門家で双子のアーティスト、アルフォンス・ケニス氏とアドリー・ケニス氏が3Dプリンターで頭蓋骨を正確に再現。そこに肉付けと彩色が施された。その結果、太古の人間がまるで生きているかのようなリアルさで現代に蘇った。こうして再現されたのが「チェダーマン」だ。身長は約1メートル70センチ。体重は64キロ前後。年齢は20代前半で歯の健康状態が良好であるため、食生活は豊かだったと考えられている。ゲノム解析から、チェダーマンは牛乳を消化できなかったことが分かった。乳糖消化は、青銅器時代以降になってから獲得した特質と言われている。

ブリテン島は陸続き

8000年前のドッガーランド。テムズ河とライン河は繋がっていたのかもしれない。
© Max Naylor

水位が下がった氷期、ブリテン島東側に広がる浅瀬「ドッガーランド」が海面より上に現れ、ブリテン島とヨーロッパが陸続きとなった。6万年前にアフリカを出て、ヨーロッパに到達した黒肌のホモ・サピエンス。その後、ドッガーランドを歩いてブリテン島に渡った。約4万年前のことだ。ブリテン島では既にネアンデルタール人が生活していたが、後からやってきたホモ・サピエンスとしばし共生、交配した後、約4万年前に絶滅した。

チェダーマンが見つかったゴフス洞窟では、チェダーマンよりさらに5000年古い現生人類の人骨も見つかった。これらの人骨から、DNAの抽出はできなかった。カニバリズム(食人)の慣習があったようで、骨には石器によってつけられた無数の傷と歯形が残っていた。死者は骨ごと茹でられていたため、DNAの抽出が叶わなかった。さらに、ボウル状となった頭蓋骨は飲料用の食器として使われていた。これは敵を殺して食べたのではなく、亡くなった身内に敬意を払い、その肉体を食べることで故人の知恵や経験をもらい受けようとしたのではないかというのが、研究者たちの見解だ。

彼らはその後、到来した氷期のため、氷に覆われたブリテン島を捨ててヨーロッパに向かった。それから数千年を経て気温が上昇してきたことで、再びブリテン島に渡って来た人たちの中の一人が、チェダーマンだという。

7000年ほど前、最後の氷期が終わり、温暖化と共に海水面は徐々に上昇。ブリテン島は再びヨーロッパから切り離されて、現在のような島となった。

白人はどこから?

チェダーマンはスペインやルクセンブルク、ハンガリーなどで見つかった、中石器時代に中東から北上して来た人たちと近縁関係にあった。彼らの遺伝子型からは、薄い肌の色を示す表現型が見つからなかった。薄い肌の色はおそらく約6000年前、やはり中東からブリテン島に渡って来た人たちがもたらしたものと考えられる。チェダーマンを含め、中東から来た人たちがヨーロッパやブリテン島に辿り着いた頃、ヨーロッパにはまだ白人がおらず、黒や褐色の肌を持つ人たちが広く分布していたと結論付けられた。研究者たちは、ヨーロッパ人の肌は思っていたよりも遥かに最近になって白くなったという見解に辿り着いた。

さらに、これまで白い肌と茶色い髪、そして青い眼は一つのパッケージとして捉えられていたが、褐色の肌と黒髪のチェダーマンが青い眼を持っていたことが分かり、青い瞳が白人特有のものではないことにも衝撃を受けた。今ヨーロッパで主流を占める金髪、碧眼、白い肌の人たちは一体いつ、どこからやって来たのだろう。

狩猟採集人だったチェダーマンより後にブリテン島にやって来て定着した人たちは農耕民だった。食が穀物中心となり、ビタミンDが不足した。食材からだけでは不足しがちなビタミンDを補うため、より紫外線を吸収できるよう肌の色を白くしていったというのが通説だが、はっきりとしたことはまだ分かっていない。ハイテク化が進む考古学。真実が解明される日はそう遠くなさそうだ。

ちなみに、チェダー峡谷付近在住で、分かっているだけで17世紀以前からこの一帯で暮らしている住民20人の唾液からDNAを解析したところ、10%に相当する2人がチェダーマンに通じる遺伝情報を持っていたという。チェダーマンは300世代を超えて、その遺伝子を1万年後の現代にしっかり繋いでいた。復顔されたチェダーマンは、自然史博物館の「人類進化ギャラリー(Human Evolution Gallery)」で逢うことができる。


復元されたチェダーマンの顔。人骨と復顔は、ロンドンの自然史博物館に展示されている。

白鷹の女

10月初め、筆者はもう一人の古代ブリテン人に会うため、ブライトン博物館&アートギャラリーを訪れた。

ホワイトホーク・コーズウェイ・エンクロージャーの想像図。

同館の考古学ギャラリーでは、チェダーマンの復顔が公開された翌年の2019年から、7人の古代人の復顔を展示している。7人のうち5人はブライトン周辺で発掘された正真正銘の地元民で、頭蓋骨から法医学的に忠実に再現された。最も古いネアンデルタール人の女性と初期の現生人類の男性は、ヨーロッパの別の場所で発見された人骨が元になっているが、彼らの仲間も約4万年前のブライトン周辺に住んでいたことが分かっている。

7人は考古学者兼彫刻家のオスカー・ニルソン氏が、14ヵ月かけて復元した。ニルソン氏は頭蓋骨をスキャンし、3Dプリンターで再現。近年の古代ヨーロッパ遺伝子研究により再現した顔に肌、髪、目の色を可能な限り正確に反映させた。

ブライトン博物館&アートギャラリーに展示されている、ホワイトホーク・ウーマン。

筆者が最も会いたかったのは、ブライトン郊外の丘陵地で発掘された「ホワイトホーク(白鷹)・コーズウェイ・エンクロージャー」と呼ばれる楕円形の集落跡で見つかった5600年前の女性だ。「ホワイトホーク・ウーマン」と名付けられた女性の年齢は、17~25歳。身長145センチと小柄でやせ型。チェダーマンより4400年ほど若い新石器時代の女性だが、チェダーマンと比較して肌の色が随分薄くなった印象がある。ウェールズとの境界付近で生まれ、その後、何百マイルも東に移動してサセックスに辿り着いたようだという。出産時か出産直前に亡くなったようで、骨盤部に残った胎児と共に丁寧に埋葬されていた。埋葬の状況から、有力者の娘ではないかと言われている。衣服は動物の皮で作られており、家畜の世話や作物の栽培、小麦を挽く作業などに精を出していたと思われる。彼女が生きた新石器時代の人は、35歳程度までしか生きられなかった。DNAは抽出できなかったが、自然史博物館の研究チームの協力により、彼女が茶色の髪と肌、そして瞳を持っていたことが分かった。

ホワイトホーク・ウーマンの発掘時の再現。お腹の辺りに胎児の頭蓋骨が見える。

ホワイトホーク・ウーマンが展示されている考古学ギャラリーでは、約4万年前に絶滅したネアンデルタール人や、彼らと入れ替わるようにブリテン島に到達した黒肌の現生人類、ホワイトホーク・ウーマン、その後にやって来たケルト系のビーカー人やローマ人、そして今日のイングランドに繋がるアングロ・サクソン人などの復顔が展示されている。褐色の肌やブルーの瞳を持つ人たちが住んでいたブリテン島が、やがて白い肌の人たちに置き換えられてゆく様子を見るのはとても興味深い。

こういった民族の入れ替わりは、陸続きだった世界各地で起こったことだ。ほとんど外部からの侵略を受けず、民族の入れ替えが起きなかった日本と言う国は、世界の中にあって極めて特殊な国であることを改めて認識させられる小旅行となった。       (了)

【参考資料】

  • ・Our History : Uncovering Britain's First Ancestor: Secrets of the 10,000 Year Old Man(Brighton Museum and Art Gallery)
  • ・National Geographic--Britain's Dark-Skinned, Blue-Eyed Ancestor Explained

ブライトン博物館&アートギャラリーの考古学ギャラリーで展示されている
ホワイトホーク・ウーマン以外の6人

❶ 現生人類(Modern Human)/写真左

現生人類は6万年前にアフリカを出て、4万年前にサセックスに到着した。肌は黒かったとされている。ネアンデルタール人よりも背は高いが、比較的細身だった。ネアンデルタール人と共生し、交配もあった。現生人類の文化はネアンデルタール人のそれよりも複雑だったため、その後の気候変動で寒冷化した際にも生き抜くことができた可能性が高い。モデルとなった人骨は、ヨーロッパで発掘されたもの。

❶ ネアンデルタール人(Neanderthal)/写真右

これはネアンデルタール人の女性の顔だ。ネアンデルタール人は40万年前にヨーロッパで進化し、温暖な時期にはブリテン島にも住んでいた。肌の色は明るく、脳の大きさは現生人類と同程度。背は低く、ずんぐり、がっしりとした体型だった。

現生人類は4万年前にネアンデルタール人にとって代わったが、お互いの交配により現代人のDNAの約3%はネアンデルタール人から受け継がれていると言われる。この人骨もヨーロッパで発掘された。

❷ 青銅器時代(Bronze Age)

4500年前、北ヨーロッパから色白のケルト系の人々が到来し始めた。ビーカーのような形をした土器を使っていたことから、ビーカー人と呼ばれる。彼らは銅や青銅、金を使って金属製品を作る技術を身に着けており、ホワイトホーク・ウーマンのような新石器時代の人々と入れ替わった。

この男性は、発掘された通りの名前から「ディッチリングロード・マン」と呼ばれる。25~35歳で、身長1.71メートル。農民と思われるが食事に鉄分が不足しており、貧血で体力が弱かったと考えられる。歯の状態から貧しい食生活が伺え、十分な食糧を得られなかったこともあったようだ。主に動物の皮で作られた衣服を着ていたと考えられる。

❸ 鉄器時代(Iron Age)

約2700年前、ヨーロッパから新しい思想や技術がブリテン島に伝わり始めた。鉄が徐々に道具や武器の製造に使われる金属となっていった。その後、ローマ帝国の拡大を逃れて、新しい人々がブリテン島に避難。より多くの食料が生産され、人口も急速に増加した。ローマ人が侵入し始めた頃、ブリテン島には最大で200万人が住んでいたとされる。

発見されたエリアの名前から「スロンクヒル・マン」と呼ばれるこの男性は25~30歳、身長1.71メートル。身体はムール貝の殻の上に横たえられ、頭の上には化石化したウニが置かれていた。あごは割れ、骨からは右側の筋肉が非常に発達していたことがわかる。本業は農民だが、金属加工もしていたと思われる。

❹ ローマ時代(The Romano-British Period)

この女性はローマ帝国が崩壊しつつあった時代(紀元410~497年)の女性で、ブライトンより少し北上したところにあった集落跡で発見された。町の名前から「パッチャム・ウーマン」と名付けられた。

足元には男性の人骨が横たわり、膝の周りには鉄の釘が見つかった。さらに、女性の後頭部には釘が刺さっていた。農民、召使い、あるいは奴隷として働いていた可能性が高い。背骨や膝の骨には屈曲や重い物を運んだ痕跡が見られ、過酷な生活を強いられていた形跡がある。埋葬は通常のものではなく、暴力の被害者、あるいは罪人だった可能性がある。

❺ アングロ・サクソン(Anglo-Saxons)

ローマ人が去ったブリテン島に、ユトランド半島からゲルマン系のアングル人やサクソン人が流入。ブリテン島に住む人々の40%を占めるようになった。先住民もやがてアングロ・サクソンの生活様式に同化していった。

この男性はセブンシスターズに近いシーフォードで発掘され、見つかった通りの名前から「スタッフォードロード・マン」と名付けられた。紀元410~600年頃に生きていた。サセックスは「南のサクソン人」を意味し、アングロ・サクソン時代初期の王国の一つだった。

週刊ジャーニー No.1367(2024年11月7日)掲載