■ 世界に名を馳せた、16世紀フランスの予言者ノストラダムス。
実は彼が生きた同時期のイングランドにも、英国史に名を残した予言者がいた。
今号では、英国で最も有名な予言者マザー・シプトンと、彼女の生誕の地を紹介しよう。
●サバイバー●取材・執筆・写真/ネイサン弘子・本誌編集部
洞窟で生まれた「魔女」
時は1488年、ヘンリー7世の治世下。イングランド北部、古都ヨーク近郊の風光明媚な町ネーズバラに、未婚で身ごもったアガサ・ソンセイルという15歳の孤児がいた。当時「未婚の母」は不当な扱いを受けており、アガサは尋問を受けたが父親の名を明かさなかったため、ネーズバラの町を追放されてしまった。身重の体で彷徨ったアガサは、やがてニッド川沿いの洞窟にたどり着く。そして7月のある嵐の夜、冷たい洞窟の中で赤ん坊を産み落とした。女児はアースラと名付けられ、母子はそのまま洞窟で息をひそめながら暮らした。
2年ほどが過ぎたある日、ビーバリーという町の修道院長が過酷な環境で暮らす母子に同情し、母のアガサを修道院に引き取り、娘のアースラを地元の家族に養子に出す手助けをする。アガサはそれからわずか数年後に修道院で亡くなったが、洞窟で別れて以降、娘との再会は叶わなかった。
一方、アースラの里親は善良な人たちだったものの、彼女は出自と身体的な特徴が原因で、成長するにつれて周囲の人々に気味悪がられるようになる。鼻と背中が曲がり、「まるで魔女のようだ」と揶揄されたアースラは、孤独を紛らわすように度々生まれた洞窟を訪れた。生みの母と過ごした2歳までの記憶が残っていたとは思えないが、どこかで母アガサの温もりを求めていたのかもしれない。
とても聡明な子どもだったというアースラは、洞窟のまわりに生息する植物に興味を持ち、やがてハーブやその効能の研究に没頭していく。「女予言者」の目覚め
薬草師として1人で生計を立てられるようになったアースラは、24歳の時に地元の大工トビアス・シプトンと結婚する。立派に自立してもなお彼女に偏見を持つ者は少なからずおり、「アースラと結婚するなんてトビアスは魔術にかけられたに違いない」とささやく者もいたが、アースラは幼い頃から自分を悪く言う者に対し、抗議や復讐をすることはなかった。
しかし、結婚からたった数年で夫は逝去。以降、独り身のまま歳を重ねていたシプトン夫人だったが、やがて薬草師としての仕事の合間に「小さな予感」を世間話程度に話すようになる。だが、それらの予感が次々に的中し、自分の特別な能力に気づいた彼女は、その能力を高める自主訓練を開始。いつの間にか「ネーズバラの女予言者(Knaresborough's Prophetess)」として近郊の町に広く知れ渡り、「マザー・シプトン」(以下マザーと略す)と呼ばれるようになった。
水がウーズ橋を渡り、塔の上に風車が建つ。そうすれば、ニレの木がすべての人の玄関に横たわるだろう。
当初、マザーのこの言葉を理解する者はいなかったが、後にヨークの水道システムが整備され、水がウーズ橋を渡って風車に運ばれ、耐水性のあるニレの木でできた水路を通り人々の家にまで届くようになると、「マザーの予言はこのことだったのだ」と地元民は驚愕した。ほかにも、こんなものもある。
ウーズ橋とトリニティ教会が出会う前、昼に建てられたものは夜に倒れ、教会の最も高い石が橋の最も低い石となるだろう。
この予言の後、間もなく激しい嵐がヨークシャー地方を襲い、教会の尖塔が夜中にウーズ橋に落下。橋の再建時には、その尖塔の石が基礎に使用されたという。
遺産が欲しい息子が父親の死期を尋ねに来たり、泥棒を見つけて欲しいと相談されたりすると、マザーはその都度助言を与え、予言者としての力を認められ敬われつつも、よろず相談所のような存在としても慕われた。そして相談者からの心付けには、決して多くを請求することはなかったという。
予言だけで生活できるようになると、マザーは大胆にも王政や未来の世界についても言及するようになっていく。その頃、王冠はヘンリー8世に継がれていた。
宮廷からの使者と対決
1513年、ヘンリー8世率いるイングランド軍がフランスに侵攻し勝利を収めた「スパーズの戦い」の直前、マザーは「イングランドのライオンがガリアの海岸に足を踏み入れると、ユリは恐怖で垂れ下がり始める(※ユリはフランスの紋章)」と予言。イングランドが勝利を収めたことで、この辺境の予言者の噂はついに国の中枢まで届くことになる。
噂は旅行者や行商人の口から口へと広まり、珍しい物や話を集めてヘンリー8世に献上する仕事を担った者も、彼女の存在を耳にしてネーズバラを訪ねている。1537年にはヘンリー8世がノーフォーク公爵に宛てた手紙の中で「ヨークの魔女」について記しており、イングランド一の権力者も彼女を気にしていたことは確かだろう。
さて、そうした中でマザーの予言に最も翻弄されたと言われるのが、ヘンリー8世の重臣トマス・ウルジー枢機卿だ。ウルジーは、ヘンリー8世から最初の王妃キャサリン・オブ・アラゴンとの婚姻を無効にする命を受けてローマ教皇のもとへ派遣されたものの、その説得に失敗。激高した王により、宮廷から追放された。彼は唯一残されたヨークの大司教の座を死守するため、1529年にヨーク訪問を計画。実はヨークを重要視していなかったウルジーは、着任してから15年もの間、一度も同地を訪れたことがなかったのである。ところが、マザーが「ウルジー枢機卿がヨークを見ることはないだろう」と予言したとの噂がウルジーの耳に届き、激怒した彼はマザーへ警告を与えようと、すぐにサフォーク公爵やノーサンバランド伯爵らをネーズバラへ送った。
これを察していたマザーは、驚くことなく彼らを迎えた。サフォーク公に「我々がここにいる理由はわかっているでしょう。あなたが『枢機卿はヨークを見ることはない』と予告したことを彼はよく思っていません」と告げられたマザーは、「私は枢機卿がヨークを見ることはないとは言っていません。彼はヨークを見るかもしれないが、『決してたどり着くことはないだろう』と言いました」と返答。それに対し、サフォーク公は「枢機卿はあなたがヨークに来たら火あぶりにすると言っていますよ」と続けたが、マザーは余裕の面持ちで「いずれわかるでしょう」と答えて追い返した。
翌年、ウルジーは病気で弱った身体を奮い立たせてロンドンを発つ。ヨーク南郊の村カウッドまでたどり着いたウルジーは、カウッド城の塔から夕焼けに霞むヨークの街を眺めながら、「誰かが私はヨークを見ることはないだろうと言ったな」と呟く。彼の背後に立つ者――ノーサンバランド伯が「いいえ。彼女はあなたがヨークを見るかもしれないが、決してたどり着けないと言いました」と訂正すると、ウルジーは「ヨークに着いたら彼女を燃やす」と告げた。
だが、これは実現することはなかった。その日、大逆罪で告発されたウルジーは、そのままロンドンへと連行されることになったからだ。彼女の予言通り、ウルジーがヨークへたどり着くことはなかった。ウルジーはロンドンへ戻る道中に病状が悪化し、レスターで非業の死を遂げている。
生き続ける伝説
ウルジーに関する予言が的中したことで、マザーの予言者としての評判は一気に高まった。その後も彼女はスコットランド女王メアリーの死や、エリザベス1世の戴冠とイングランドの黄金時代などを予言。こうした政治的な予言のほかにも、当時は想像すらできなかった未来の世界についても先見している(下コラム参照)。
マザーに関する現存する最古の記録は、1641発行の冊子「The Prophesie of Mother Shipton in the Raigne of King Henry the Eighth(ヘンリー8世時代のマザー・シプトンの予言)」で、そこにはウルジーとマザーの逸話が記されている。また、1677年には「The life and death of Mother Shipton(マザー・シプトンの生涯と死)」が刊行されたが、同書には『新たに収集された』と称した真意不明な予言が加えられており、かなり『盛られた』内容だと考えられている。
1561年、73歳という当時としてはかなりの高齢で亡くなったマザー・シプトン。現在は所在不明となっている彼女の墓石には、次の言葉が刻まれているという。
ここには、嘘をついたことのない者が眠っている。その手腕は幾度となく試された。彼女の予言は生き残り、その名は永遠に生き続けるだろう。
彼女の伝説がどこまで真実なのか正確に判断することは困難だが、500年前、マザー・シプトンと呼ばれ、人々に慕い頼られ、力強く生きた女性が存在していたことは確かである。
マザー・シプトンが予言した未来
馬のいない馬車が走り、事故は世界を災いで満たすだろう → 自動車と交通事故
瞬く間に、世界中に思いが飛び交うだろう → インターネット
水中の鉄は、木の船のように簡単に浮かぶだろう → 鉄製の船
水中を男たちは歩き、乗り、眠り、話すだろう → 潜水艦
空中では人々は白、黒、緑の服を着て見られるだろう → 飛行機
勝利の死がロンドンを駆け抜けるだろう
→ 1665年のペストの大流行
1666年のロンドン大火
※ 英海軍の書記官サミュエル・ピープスは、1666年の日記に「See -- Mother Shipton's word is out.」と記している。
【 参考文献 】
「Mother Shipton's Prophecy Book」
www.mothershipton.co.uk
www.historic-uk.com/CultureUK/Mother-Shipton-Prophesies
洞窟を訪ねて in Knaresborough
■1630年にオープンした、400年近い歴史を誇るイングランド最古の有料観光施設「Mother Shipton's Cave」。ネーズバラの街の入り口となっている橋のたもとにあり、ニッド川沿いに自然豊かな遊歩道と摩訶不思議な見所が点在する。ヨークシャー周辺の人には馴染みの深いアトラクション。
❶The Cave/洞窟
「マザー・シプトン」ことアースラ・ソンセイルが生まれたとされる洞窟。この大岩(左写真)の下に広がる、奥行数メートルほどの寒く冷たい空間で、幼い母アガサとアースラは2年ほど暮らしていた。洞窟内には、老いたマザーの石像が建てられている(右写真)。どれほど心細い生活だっただろう…。
❷The Petrifying Well(The Dropping Well)/石化の泉
洞窟の隣にある泉で、とてもユニークな同地一番の見所。遠くから見ると大岩が「ドクロ」にも見える(左写真)。高度のミネラル分を含んだ水が滴り落ちる岩壁は、ドレープ状に形成されている。ここに物を吊るしておくとミネラルが付着して層を成し、数ヵ月で石のような見た目に変化。1853 年から吊るされたままのシルクハットと女性用のボンネット帽は、現在も見ることができる。
❸The Wishing Well/願いの泉
石化の泉の裏手にある、鉱水が沸く泉。古くからここで願い事をすれば叶うと信じられている。願い事をする時のルールは、次の通り。❶ 右手を泉につけて願い事をする。❷ 金銭や他人を傷つける願いはしてはいけない。❸ 願い事は他人にもらさない。❹ 濡れた右手は自然乾燥させる。
❹The Museum&Shop
小さなミュージアムには、有名人やテレビ番組から寄贈され、石化の泉に吊るされていた品々が展示されている。エリザベス2世の祖母であるメアリー王妃も1923 年に訪れており、自筆の感謝の手紙と、訪問時に残して泉に吊るされていた靴も見ることができる(中央写真)。また、泉で石化させた小さなテディ・ベア(£50)なども販売されている(右写真)。
Travel Information
※2024年6月25日現在
Mother Shipton's Cave
マザー・シプトン洞窟
Prophecy Lodge, High Bridge, Knaresborough, North Yorkshire HG5 8DD
www.mothershipton.co.uk
【オープン時間】
11 月3日まで毎日営業(2024年)
学期中の平日 10:00~16:30(最終入場は15:00)
週末/祝日 10:00~17:30(最終入場は16:00)
クリスマス特別営業:ウェブサイトにて要確認
【料金】
車:1台につき£30(最大5人)
ウォークイン:1人 £10
1グループ£30(最大5人)
※週末/祝日などは割増料金
【アクセス】
電車:リーズ駅からノーザン・レイルウェイでネーズバラ駅まで約1時間。またはヨーク駅からネーズバラ駅まで約30分。ネーズバラ駅から徒歩10分。
車:リーズまたはヨークから共に約40分。
週刊ジャーニー No.1348(2024年6月27日)掲載