戦乱が生んだ多彩な文化

 平和な繁栄の時代が続き、次第に戦うことを忘れていったのだろうか。
18世紀後半にフランスのナポレオン軍が侵攻してくると、騎士団はあっけなく降伏した。だが、私有財産などを略奪していくフランス軍に不満を募らせた島民は、当時フランスと敵対していた英国に支援を求める。ネルソン提督はその要請に応じ、英国艦隊を率いてマルタを占拠。1814年、マルタは正式に英国の保護統治領となった。その後150年の英領時代を経て、1964年に英連邦内での独立が認められ、74年には共和制を宣言して現在のマルタ共和国が誕生した。2004年にはEUに加盟したが、英連邦加盟国のひとつとして、今もその名を連ねている。
このように、多様な民族や国家が交差してきたマルタでは、当然ながらその文化も複雑な発展を見せる。実際にこの島を訪れると、建築物や風土にはイスラム的なものを、公衆電話ボックスや郵便ポストといった近代の公共物には英国的なものを、そして明るくフレンドリーな人々にはイタリア的なものを感じ、さまざまな国や地域の特質が融合していることに気づく。
また、長年にわたり英国領であったことから、アラブ語系とされるマルタ語のほかに、英語が公用語となっている。それに加え、イタリア語も比較的通じるので、国際的な印象が強い。英海軍の退役者たちが、余生を過ごすために移住してくることも珍しくないという。英語教育も盛んで、日本人を含め海外からの留学生も少なくなく、とくに昨年、元タレントで現在画家として活動中のジミー大西氏が、マルタで2年間アート留学していた様子がテレビ放映されて以降、アートを学びに来る日本の学生も増えてきたという。
独特の文化を持つだけでなく、マルタは人種のるつぼでもある。繰り返された争奪戦が招いた結果によって生まれたものだが、こうした多彩性が同国の魅力のひとつとなっていることは否定できないだろう。

 

カルカーラ英連邦墓地(旧英海軍墓地)にある、
日本海軍・第2特務艦隊の戦没者墓碑
日英同盟によりマルタへ
日本海軍・特務艦隊の出撃
第2特務艦隊・第11駆逐艦「柏」
© Imperial War Museum
第一次世界大戦中の1917年、日英同盟を結んでいた日本は、英国政府の要請により、地中海におけるドイツ軍潜水艦Uボートから輸送船舶を護衛するため、第2特務艦隊を派遣した。
派遣されたのは巡洋艦「明石」を旗艦とする駆逐艦8隻で、同年4月にマルタに到着。第一次世界大戦が終了するまでの約1年半の間に、同艦隊が護衛した回数は348回にのぼった。
派遣中には、魚雷攻撃を受けて駆逐艦「榊」が地中海で大破するなど、悲劇にも見舞われた。59名が戦死し、その後、戦病死者計78名のうち、73名がマルタ島カルカーラにある英連邦墓地に葬られている。