これはマチガイ! よくある 誤った思い込み

その 1

×建設にあたって奴隷が使われた。

チェスター・フォートの遺跡。床暖房の跡がうかがえる。

実際にはローマ軍兵士があたった。しかし「ローマ軍」といっても、いろいろ。ハドリアヌスは経費節減に熱心で、地元から兵士を募ることにも積極的だった。長壁建築には、南ウェールズ、ヨーク、チェスターの各駐屯軍が携わったことが記録されている。ローマ軍は、各地で土木工事に携わる優れた技術集団でもあり、設計技師、測量士、石工、大工、ガラス工などの専門も含まれていた。なお、ローマ軍兵士の待遇は比較的恵まれていたとされている。また、兵士として、もともと給料が払われている者たちを工事にあてたので、この点でも経費効率は良かった。長壁建設にかかった人件費を、現在の貨幣価値におきかえると、1億ポンドと見積もられているだけに、兵士に力仕事をさせるのは実に賢い方法だったと言える。

その 2

×長壁はスコットランドとイングランドの国境にある。

イングランドの語源は「アングル人の国」。アングロ・サクソン人がヨーロッパ中部から、グレート・ブリテン島に押し寄せてきたのは、ローマ帝国が撤収してから100年以上を経た、5~6世紀のこと。つまり、ハドリアヌスの長壁が完成した頃には、イングランドの影も形もなかったことになる。

その 3

×警護のためにローマから兵士たちがやってきた。

これも経費的に現実的ではなかった。属州ブリタニアに駐留させるため、現ハンガリー、ドイツなどヨーロッパ中・北部から多くの兵士が送られ、やがて定住。長壁の警護にあたる兵士は、こうして「地元」で調達できるようになっていたという。

その 4

×ハドリアヌスの長壁は風化により部分的に消失した。

道の舗装技術も発達していた。

もちろん、風化と無縁であるわけはないが、これで壁の一部がごっそり消失したりはしなかった。長壁がエリアによってまったく残っていないのは、410年にローマ帝国がブリタニア統治を放棄して以来、地元で教会、城、農地の境を示すための垣根などに、石が『リサイクル』されてしまったため。ハドリアヌスの長壁の建設にあたり、なかなか石が集められず苦労したとの記録が残っており(長壁の一部は、当初から芝土を土手のように高く積み上げ、石の壁の代わりとしてあるのも同じ理由から)、長壁の石は地元の人々にとっても魅力的に映ったことは容易に想像がつく。約36の教会に石が使われたとされ、新しいところでは、1838年になってもなお、石が『盗まれ』ていたことが分かっている。1987年に世界遺産に認定されたあと、2005年に、ローマ帝国の定めた国境の一部として、ドイツに残る遺跡とともに、改めて世界遺産の認定を受けたが、今も石を記念に持ち帰る人が後を絶たず、管理組織である「イングリッシュ・ヘリテージ」も頭を悩ませているという。