■ 第248話 ■シオニズムって、何なの?
▶フランスを分断した「ドレフュス事件」。「自由」「平等」「博愛」。崇高な理念とは裏腹に軍部や教会の間では依然として「反ユダヤ主義」が根強く残っていた。フランスと言えばカトリック。ユダヤ人はキリストを裏切ったユダの子孫という憎悪があった。一時キリスト教カルヴァン派が隆盛したが暴力的に排除された。フランスを脱出したカルヴァン派やユダヤ教徒は反カトリックのオランダやイギリスに逃げ込んだ。「普仏戦争」が終わるとフランスに戻って来るユダヤ人が増えた。だって第三共和政フランスは「自由」「平等」「博愛」を掲げている。ユダヤ人も平等、博愛で守られ自由に生きられるはず。やがてユダヤ人は商業や金融業で頭角を現し、共和制を支える存在となった。都市下層民や農民は面白くない。「キリストを殺した奴らが、神が禁じる金儲けをしよる」。反ユダヤ的感情が「ドレフュス事件」で一気に爆発した。
▶テオドール・ヘルツル。ハンガリー生まれのユダヤ人ジャーナリストだ。フランス特派員時代に目の前で「ドレフュス事件」に遭遇した。「ユダヤ人をぶっ殺せ」と叫ぶフランス人たちに衝撃を受け「ユダヤ人が安心して暮らせる国を建設するしかない」と思い至った。1896年、ヘルツルは小冊子「ユダヤ国家」を執筆。ユダヤ人国家建設の道筋を示した。これが「シオニズム」の始まりとされる。シオンはエルサレムにある丘の名前。翌年、スイスのバーゼルで最初のシオニスト(シオニズムを信奉する人々)会議を開催した。集まった200人のユダヤ人代表の前で堂々と演説ぶっこいた。多くの人がユダヤ民族国家建設候補地としてパレスチナを希望する中、ヘルツルはパレスチナにこだわらない柔軟性を持っていた。当時、パレスチナはオスマン帝国の支配下。ローマ帝国に敗れたユダヤ人が追放されて以来、空白地帯となったパレスチナには当然のごとくアラブ人たちが移り住み、長大な時をかけて普通の生活を築いていた。
▶離散から約1800年。突然「紀元70年までここに住んでいた者ですが、やっぱり戻りま~す」と言っても「ああ、そうですか。あちこちで迫害されて大変でしたね。ささ、どうぞどうぞ」とは、ならんわな。第一次世界大戦によって滅亡するが、この時点ではオスマン帝国が消えてなくなるなど絵空事。なので合理的なヘルツルはパレスチナ以外にアルゼンチンやウガンダなども候補地として考えていた。しかし1904年、突然の心臓病により44歳の若さで死んだ。彼の遺志は多くのユダヤ人たちに受け継がれて行くことになる。
▶1948年、パレスチナの地に念願のイスラエルが再建された。そこには1800年もの間パレスチナ人が住んでいた。強引過ぎたから当然揉める。4度に渡って中東戦争が起きた。ドンパチは今も続き、治まる気配ゼロ。イスラエルが再建してもシオニズム運動は終わらない。イスラム教徒を全部追い出して完全なユダヤ民族国家を目指す強硬派がいる。現連立政権内にはネタニヤフ首相を始めウルトラ過激で暴力的なシオニストが多い。一方、ユダヤ人の中には「旧約聖書はいつか救世主が現われてイスラエルを再建すると言っている。まだ救世主、現れてないじゃん」と現イスラエルを否定する勢力もある。シオニズムは100年ちょいの間に複雑多様化し、一言で説明するのが不可能になっちゃったよ、ってな辺りで次号に続く。チャンネルはそのままだ。
週刊ジャーニー No.1370(2024年11月28日)掲載
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