■ 第246話 ■ホロコーストの火種
▶革命成り、ソ連となったロシアは第一次世界大戦から離脱。ロシアが去ったことでドイツ軍巻き返しの大チャンス! に見えたけど実際には逆のことが起こった。ドイツは食料不足が深刻だった。冬は特に酷く庶民の主食はイモからかぶらになった。かぶらはイギリスではスエードと呼ばれる根菜でカブの一種。あまり美味しくない。ヨーロッパでは食料が枯渇した時に食べる最終食糧。イギリスではかつてブタのエサだった。腹が減っては戦はできぬはサムライもドイツ兵も同じ。空腹から兵士や労働者の間でデモ、暴動、スト、職場放棄が頻発し、厭戦気分が広がっていた。
▶1918年8月に連合軍の大反撃が始まり、ドイツ軍は大敗。5万人以上が捕虜となった。士気はさらに低下。政府は講和を考え始めたが軍部は戦争継続を主張。1918年10月、ドイツ海軍は英艦隊に決戦を挑むため大洋艦隊に出撃を命じた。出撃は無謀で自殺行為。約1000人の水兵が出撃を拒否。海軍司令部は命令違反した兵士たちをキール軍港に送って牢屋にぶち込んだ。11月1日、キールで他の水兵たちが仲間の釈放を求めたが軍部は拒否。抗議はエスカレート。鎮圧しようとした警察隊が発砲し大混乱となった。労働者や兵士たちはレーテを結成しキール市と港湾を制圧した。レーテとは評議会の意味でロシア語ではソビエト。蜂起はドイツ全土に広がり、止めようとする将校らはレーテによって逮捕された。これがドイツの「十一月革命」。ロシアからドイツへ革命の輸出が起きた。兵士らによって結成されたレーテは社会民主党によって掌握された。同党は共和国樹立を宣言。皇帝ヴィルヘルム2世に退位を迫った。
▶社会民主党の中枢にはユダヤ人がいた。いっぱいいた。ウジャウジャいた。ユダヤ人はソ連のような「社会主義共和国」を目指し、民主的な共和国を目指す穏健派と対立。急進的なユダヤ人たちは社会民主党を離脱。「独立社会民主党」と「スパルタクス団」が結成された。より過激な共産主義者「スパルタクス団」はのちに粛清されたが、社会民主党は「独立社会民主党」と組んで仮政府を樹立。ヴィルヘルム2世は慌ててオランダに亡命。「なんでオレ様がぁ~」と嘆きながら生涯をオランダで過ごした。内部崩壊したドイツは休戦条約に調印。第一次世界大戦はドイツの敗北で終結した。翌年2月、ドイツにワイマール共和国が誕生。この戦争でロシア、ドイツ、オーストリア、オスマンとユダヤ人を弾圧する傾向にある帝国が一気に4つも消滅した。不思議なことってあるものね。
▶ロシアとドイツで同時多発的に起きた革命。どちらの中心にもユダヤ人がワンサカいた。ドイツでは敗戦の原因は共産主義者とユダヤ人による「背後の一突き」のせいだと大騒ぎ。ユダヤ人憎しの感情が沸き立った。その中にヒトラーもいた。ユダヤ人は「一方的に迫害された気の毒な弱者」ではなかった。むしろ逆。しかし教科書も大手メディアもなぜかそこには沈黙を貫く。大戦を戦った英国王ジョージ5世、ドイツのヴィルヘルム2世、ロシア皇帝ニコライ2世の妻アレクサンドラ王妃の3人はヴィクトリア女王の孫。孫たちの3大国は敵味方に別れて激突した。その結果、一人は銃殺され、一人は祖国を追われた。可愛い孫たちの激突。ヴィクトリア女王が生きていたら何を思っただろう。知らん。てなこって次号に続くぜ。チャンネルはそのままだ。
週刊ジャーニー No.1368(2024年11月14日)掲載
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