
■ 第231話 ■世界をさまようユダヤ人
▶13世紀後半、モンゴルの侵攻で大打撃を受けたポーランド。減少した人口を補うためヨーロッパ各地で迫害を受けていたユダヤ人を招き優遇した。多くの国からユダヤ人が新天地ポーランドを目指した。この時期、ポーランドのユダヤ人コミュニティはヨーロッパ最大となった。優遇され、自由を保障されたユダヤ人は比較的平和な時を過ごしていた。
▶17世紀になるとヨーロッパでプロテスタントVSカトリックの宗教戦争が勃発した。多くのプロテスタントが反カトリックの総本山ネーデルランドのアントワープに集結した。ユダヤ人は勤勉や貯蓄、投資を良しとするカルヴァン派と波長バッチリ。プロテスタント側もカトリックに迫害されていたユダヤ人を受け入れた。彼らの財力も魅力だった。やがてネーデルランド南部がカトリックに寝返った。離脱した南部はベルギーとなった。プロテスタントは南部のアントワープを諦め、拠点をアムステルダムに移した。イングランドのエリザベス女王はプロテスタントを支援。「何しとんねん」とやってきたスペインの無敵艦隊をボコボコにした。ユダヤ人を追放したスペインは後期高齢の獅子。もはや強さも金もなし。80年続いた戦争だったが1648年、オランダはスペインからの独立を勝ち取った。

▶大航海時代はポルトガルとスペインの大躍進から始まった。一時はこの2国だけで世界を二分割して好き放題搾取していた。日本人には内緒だったけど、日本はポルトガルのものだった。一足遅れて大航海時代に突入したのがオランダとイングランド。しかし世界はポルトガルとスペインのもの。後発の弱小2国は彼らに隠れてコソコソ行動した。
▶スペインの没落がはっきりすると次に出て来たのはオランダだった。オランダは株式会社や銀行など、ヨーロッパ人が見たことのないビジネスモデルを次々と立ち上げた。発想の出所はいつだってユダヤ人。カトリック相手に共闘したオランダとイングランドだが、香辛料を巡ってインドネシアで激突。敗れたイングランドはスパイスを諦め、インドに下がった。そこでコットンと出会い、産業革命につながって行く。その後、ナポレオン戦争が始まるとオランダはフランスの属国となり、ユダヤ人はイングランドに逃亡した。1290年にユダヤ人を国外追放したイングランドだったが、この時はユダヤ人の財力と頭脳がイングランド発展に不可欠と考えて迎え入れた。ユダヤ人を優遇した国には大繁栄が訪れる。歴史研究家の間では常識だ。
▶一方、ポーランドにいたユダヤ人たち。良い時代は続かない。18世紀後半、ロシア、プロシア、オーストリアの3国に分割され、事実上ポーランドは消滅した。700万人のユダヤ人がロシアに移住させられた。ポーランドが再び世界地図に復活するのはロシア革命以降だ。しかし第二次世界大戦が勃発すると再びロシアとドイツによって分割された。この間、ユダヤ人たちは右へ左へと翻弄され続けた。キーウやオデッサなど、現在のウクライナではユダヤ人の虐殺を含む集団的破壊行為「ポグロム」が頻発した。多くのユダヤ人が英米、特にアメリカに逃亡した。米政府や米ユダヤ系団体はユダヤ人難民を積極的に受け入れた。彼らは流浪と多大な犠牲を払った末、遂に自由の国に辿り着いた。そして覇権は英国からアメリカへと移っていく。ってな辺りで次号に続く。チャンネルはそのままだ。
週刊ジャーニー No.1353(2024年8月1日)掲載
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