
■ 第230話 ■国を追われたユダヤ人の行き先
▶イエスの処刑後、2度に渡ってローマ帝国軍と戦い、敗れ去ったユダヤ人。第2神殿は焼かれエルサレムは陥落。ユダヤ人はパレスチナを追われた。紀元70年のことだ。以後、1948年にイスラエルが建国されるまでの1878年間、ユダヤ人は世界中を彷徨うことになる。この民族離散のことを「ディアスポラ」と言う。故国を失ったユダヤ人たち。しばらくは祖国周辺各地に集落を作り、他民族とほぼ同化せずに暮らしていた。その後、一部が現在のスペインがあるイベリア半島を目指した。この人たちのことを「セファルディム」と呼ぶ。スファラディやスペイン系ユダヤ人という呼び方もある。一方、ドイツ語圏や東欧圏には「アシュケナージ」と呼ばれるユダヤ人たちが出現する。複数形だとアシュケナジムとなる。アシュケナージはヘブライ語でドイツを意味する。中東やアフリカに残った人たちは「ミズラヒム」と言うらしいが、当欄で頻繁に登場するのは「セファルディム」と「アシュケナージ」の2大勢力だ。
▶13世紀、ポーランドはモンゴル軍の侵攻を受けた。ドイツ騎士団とポーランドの連合軍は必死の抵抗を見せた。最終的には勝利を得るものの被害は甚大で国土は荒廃した。日本も十数年後、2度に渡ってモンゴル軍の襲撃を受けた。元寇だ。教科書は嵐で元の船がボコボコ沈んだお陰で日本は守られたと教えた。しかし最近の研究で鎌倉武士たちの獅子奮迅の働きによって元軍を撃退したことが分かって来た。GHQが主導した戦後の歴史教科書は武士の偉大さを認めない。モンゴル軍は去ったがポーランドの国土は荒廃、人口減も凄まじかった。そこでドイツ商人と各地で迫害されていたユダヤ人を招聘。自由と手厚い保護を約束した。イベリア半島で迫害されていたユダヤ人の多くもポーランドに渡った。

▶スペインは長年イスラム教徒と激しい陣取り合戦を繰り広げていた。戦いが続く中で異教徒憎しの感情が醸成された。スペインに残っていたユダヤ人たちは財政面で中心的な役割を担う者も多かった。スペインはユダヤ人にカトリックへの改宗を迫った。多くがカトリックに改宗した。しかしスペイン人は改宗しても彼らを「コンベルソ(改宗ユダヤ人)」と呼んで結局差別した。異端審問が始まり、偽装改宗が疑われた多くのユダヤ人が火あぶりで殺された。偽装改宗者の摘発にあたったのも改宗ユダヤ人たち。裏切者の彼らは同胞から「マラーノ(豚)」と呼ばれ憎悪された。
▶コロンブスがスペイン王室に航海の資金援助を求めた際、女王イザベラは首を縦に振らなかった。女王を説き伏せて最終的に「いいよ」と言わせたのも女王側近のコンベルソ、つまり改宗ユダヤ人たちだった。コンベルソは差別の対象でありながら莫大な資金力を元に王室側近の地位をゲットしていた。彼らの本当の狙いは何か。次第に明らかになる。
▶1492年、イベリア半島ではイスラム勢力最後の砦グラナダが陥落。ついにカトリックによる国土回復レコンキスタが成就した。同時にユダヤ人追放令が出た。ユダヤ人はポルトガルやオスマン帝国に逃れた。スペインは国家財政を担う大資産家や金融、軍事のプロたちを自ら手放した。イベリア半島から多くのユダヤ人が消えた。そして「太陽の沈まない国」スペインの落日が迫る。ユダヤ人を迫害した国が迎える歴史の必然だった。ってな辺りで次号に続く。チャンネルはそのままだ。
週刊ジャーニー No.1352(2024年7月25日)掲載
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