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■ 第122話 ■怪しい公使も日本に来ちゃった

▶イギリスの初代駐日公使はラザフォード・オールコック。外科医から外交官に転じた変わり種だ。アヘン戦争後の清に派遣されたが、清が思ったように市場開放しないのでもう一回戦争(アロー戦争)仕掛けて清をボコボコにした武闘派。居丈高に怒鳴り散らして清国人を服従させた。日本人も恫喝作戦でイケるだろうと乗り込んで来たらサムライぞろりと待っていた。着任2年後の1861年1月、駐日米公使ハリスの通訳ヒュースケンが攘夷派浪士にザッパリ切られて死亡。同年夏、英総領事館も浪士14人に襲撃された。オールコックは無事だったが領事館員2名が切られて負傷。「日本、ヤベエ」を学んだ。国防ってやっぱ大事ね。一方でオールコックはこの時「こういった攘夷派の暴発を止められないって、日本政府は弱体化してんじゃね?」と疑い始めた。

▶翌年の秋、イギリスより19歳の通訳生、アーネスト・サトウが日本にやって来た。翌63年5月、長州藩が関門海峡を通過するアメリカやフランスの艦船に向け「攘夷」を叫んで砲撃した。イギリスも下関海峡の封鎖で貿易上、莫大な不利益を被った。オールコックは文明国の圧倒的軍事力を見せつけ「チャンバラの時代は終わったんだよ」と分からせるため、米、仏、蘭を誘って長州への攻撃を決定。オールコックは英本国に「長州藩、生意気なので友だち誘って皆で懲らしめてきま~す」と書簡を送付した。受け取った英外務省は鼻血ブーと慌てた。なんせこの時期、綿花の大生産地であり、産業機械購入のお得意様であるアメリカが真っぷたつに分裂する南北戦争が勃発。世界の英植民地でも反乱や暴動が頻発。植民地経営のリスクが目立ち始め、大英帝国がグイグイ行くべきか、やめとくべきか足踏みしている時期。日本との全面戦争は絶対に避けたかった。本国から「日本に手を出すな。」との返報が届いた時、すでに総員5000人、17隻からなる四ヵ国連合艦隊による下関攻撃は完了。長州藩の砲台は連合軍によって占拠されていた。近代兵器を揃えた英米仏蘭という4大国が、吹けば飛ぶような長州一藩を寄ってたかってぶっ叩くという真に大人げない戦争を主導したオールコックは本国外務省からこっぴどく叱られ、公使の職を解かれた上で帰国させられた。清でのアロー号戦争のように結果オーライで褒めてはもらえなかった。やーい。

ドレーク
下関長府の前田砲台を占拠した連合国軍ですが、何か?

▶次の駐日英公使としてオールコックはかつての部下だったハリー・パークスを推挙した。パークスは鉄工場経営者の子として生まれたが5歳までに両親が死去。親戚に引き取られたが13歳の時に姉を頼って清に渡り、翌年総領事に職を得た。その後、中国語能力をオールコックに認められ、上海領事にまで成り上がり1865年、37歳という若さで2代目駐日公使に抜擢された。この日から18年間日本に滞在し、明治維新の目撃者となる。英政府が欧米諸国に送り込む公使は貴族や上位の外交官が圧倒的だった時代。日本にはなかなかユニークな男が送り込まれた。一方、通訳生だったアーネスト・サトウは来日4年目の23歳。日本語もメキメキと上達し通訳官に出世。日本語が堪能な英国人がいると日本人の間でも知られ始めていた。この男も25年間を日本で過ごすこととなる。明治維新に深く関わっていく怪しげな小僧と若い公使、役者が揃ったところで次号に続く。チャンネルはそのままだぜ。

週刊ジャーニー No.1242(2022年6月2日)掲載

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