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■ 第108話 ■ドリナ誕生。で、ドリナって誰?

▼1817年、後に「最低王ジョージ4世」と称されることになる皇太子ジョージの一人娘シャーロット妃が21歳で産褥死した。不仲だった妻キャロラインと別居中だったジョージにはシャーロット以外に嫡子がない。愛人に産ませた子はワンサカいたけど、庶子じゃだめなの。シャーロットが死んだことで父王ジョージ3世の嫡出の孫が事実上ゼロとなった。ハノーバー朝存続の危機。皇太子ジョージと議会は焦った。そこで未婚だった弟(ジョージ3世の4男)のケント公エドワード・オーガスタスに「資金援助したるから、はよ結婚して子ども作れ」と促した。長兄ジョージ同様大借金を抱えていたエドワードは王朝の存続よりも借金から逃れたい一心で「がってんだ」とばかりに27年間同棲していた女性をポイと捨て、急ぎドイツの小さな領邦国のヴィクトリア妃と結婚した。最低王の弟もやっぱり最低だった。

▼1819年5月24日、ケンジントン宮殿内でエドワードとヴィクトリアの間に女児が誕生した。とりあえず一安心。女児の洗礼式が行われた。たまたまロンドンを訪れていたロシア皇帝アレクサンドル1世がゴッドファーザー(代父)の一人となり洗礼式に出席した。洗礼式を仕切っていたカンタベリー大主教が「なんて名で祝福しましょ?」と尋ねた。後の「最低王」ジョージは「アレクサンドリナ」と答えた。アレクサンドリナはアレクサンドルの女性名だ。「何でロシア名?」。困惑の表情になった大主教は続けて「で、ミドルネームはどないしましょ?」と尋ねた。女児の父、ケント公エドワードは控え目に「ジョジーナ」か「シャーロット」、ダメなら「オーガスタ」にしたい、と言ってみた。ところが「最低王」は「決定権は俺にある」と一蹴。エドワードの妻の名と同じ「ヴィクトリア」がいいと大主教に告げた。大主教は「なんでドイツ名?」とさらに困った顔になった。こうして「アレクサンドリナ・ヴィクトリア・オブ・ケント妃」というロシア風ファーストネームとドイツ風ミドルネームを持つ、名前だけだとどこの国の子か分からないプリンセスが誕生した。英国民も「ヴィクトリア?はあ?」と聞きなれない名前に戸惑った。この時点でアレクサンドリナ・ヴィクトリア妃の王位継承順位はジョージ3世の4人の息子に次ぐ5番目だった。女児は周囲から「ドリナ」「ドリナ」と呼ばれて可愛がられた。

ドリナ
戴冠式の時のドリナですが、何か?

▼1820年にジョージ3世が亡くなり、10年前から摂政になっていたジョージが即位してジョージ4世となった。しかしジョージ3世が長生きだったため、最低王は即位から10年後に67歳で没した。跡を継いだのは弟のウィリアム4世。彼もまた高齢で7年後に71歳で世を去った。この時既に父親のケント公も亡くなっていたため、誕生時に王位継承順位が5位だったドリナに玉座が回って来た。1838年6月20日、ハノーバー朝第6代国王となる女王が誕生した。即位にあたり、アレクサンドリナもドリナもやめてミドルネームのヴィクトリアが採用された。そりゃロシア風より先祖の故郷であるドイツ名がいいに決まっている。しかし同時に、女性君主の統治を認めない古いゲルマンの法(サリカ法)により、イギリスはドイツ領主国家ハノーバーとの同君連合を解消した。わずか18歳で大英帝国の女王となったヴィクトリア。ジョージ4世同様、ロスチャイルド家の従順なマリオネットになっていく。大英帝国の大暴走が始まるってところで次号に続く。チャンネルはそのままだぜ。

週刊ジャーニー No.1228(2022年2月24日)掲載

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