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■ 第79話 ■幕末、なんか違うぞ

▼薩英戦争を戦った薩摩とイギリスはその後、互いに利用価値があることを知り、手を組んだ。薩英が「これからよろしくね~」と握手を交わしていた頃、伊藤博文や井上馨など長州藩の若者5人がロンドンに向かっていた。のちに「長州五傑」とか「長州ファイブ」と呼ばれることになる男たちだ。幕府にバレたらエライことになるこの危険な密航のお膳立てをしたのは長崎の武器商人トーマス・グラバー…ということになっているけど実際は違う。18歳でイギリスを後にしたグラバーはこの時まだ25歳。そんな力もコネもない。グラバー商会とはジャーディン・マセソン商会横浜支店の長崎代理店みたいなもので実際に手配をしたのは横浜支店長だったウィリアム・ケズィック(William Keswick)だ。ケズィックはアヘン戦争を引き起こしたウィリアム・ジャーディンの甥っ子。29歳の若者だった。伊藤らはジャーディン・マセソン商会が所有する船に乗ってロンドンを目指した。ロンドンに到着した長州ファイブの面倒をみたのはヒュー・マセソンという男で、ウィリアム・ジャーディンと共にジャーディン・マセソン商会を創始したジェームズ・マセソンの甥っ子。イギリスはアヘン戦争を仕掛けて清をボッコボコにし、莫大な賠償金を分捕り、上海などを開港させた上、香港を割譲させた。正義なき戦いと言われるアヘン戦争はイギリスに未曽有の利益をもたらしたが、その仕掛け人こそジャーディン・マセソン商会だった。そんな連中がお膳立てした長州ファイブの英国留学。なんか、超ウルトラうさん臭いんですけど。

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▼さらに解せないことがある。長州ファイブと呼ばれる5人の中の伊藤と井上、そして山尾庸三の3人は、英国密航のわずか半年前に高杉晋作らと共に品川に建設中だった英国公使館に火をつけて全焼させた(英国公使館焼き討ち事件:1863年1月31日)。それほどまで欧米を敵視していた長州の志士たちだが、そのわずか半年後、彼らはイギリスを目指して横浜を発つ。一体この間に何があった? 一方で自国公使館に火を放ったテロリストたちの渡英を許したイギリスの狙いは何だったの? 日本に戻った長州ファイブ。のちに伊藤は日本の初代首相となり、井上は外務大臣等を歴任。遠藤謹助は造幣局長となり、山尾庸三は東京大学工学部の前身となる工部大学校を創設。井上勝は日本の鉄道発展に貢献した。造幣の機械はイギリス製。鉄道は国産化できるようになるまでほぼイギリス製に頼った。なんかイギリス、日本の混乱に紛れてやたら儲けてまんな。うさん臭さフルスロットル。

長州ファイブ
長州ファイブですが、何か?

▼1866年に薩長が同盟を結び、倒幕の機運が一気に高まった。しかしよく考えてみたら奇妙な話だ。薩摩と長州、今の鹿児島県と山口県あたり。47都道府県のうちのわずか2県が250年以上続いた幕府を倒せるの? いやこれとて正確ではない。当時は全国に260近い藩が存在したという。ということは260藩の中の2藩が手を結んだことが引き金となり、わずか2年で徳川が崩壊したことになる。前週も述べたように薩摩は生麦事件の見舞金2万5千ポンドを幕府から借金して払うほど財政は逼迫していた。長州も2度の征伐を受けて財政はボロボロだったはずだ。ところがこの後、両藩はグラバーらの商社から新式銃や大砲、艦船を購入して戊辰戦争に突き進んだ。その金、どこから出た? グラバー? ジャーディン・マセソン? それとも? なんか奥の方にいるラスボス登場の予感がするところで次号に続く。チャンネルはそのままだぜ。

週刊ジャーニー No.1199(2021年7月29日)掲載

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