
■ 第80話 ■幕末日本に忍び寄る影
▼ジャーディン・マセソン商会は1832年に清で設立された商社だが、現存するどころか今やアジアを拠点とする巨大国際コングロマリット。そのため、めったなことは言えないが、ここで取り上げているのはあくまでも同社創成期の頃の話。同社は日本がイギリスと修好通商条約を結んだ翌年の1859年に早くも横浜に支店を構えた。さらに長崎に社員のトマス・グラバーを送り込んだ。アヘン戦争を引き起こし、清を半植民地化させるきっかけを作った彼らの、日本での狙いは一体何だったのか。清をシャブ漬けにして巨利を貪った彼らがまさか日本で生糸やお茶の小商いではないだろう。探っていくうちに興味深い資料が見つかった。2005年6月22日付の英ファイナンシャル・タイムズの記事だ。ジャーディン・マセソン商会が創業した6年後の1838年、英ロスチャイルド家は同社とエージェント契約を交わした。ロスチャイルドは、魅力的だがまだまだ不透明なアジア市場で同社にロスチャイルドの目となり耳となるよう期待したと書かれている。つまりジャーディン・マセソン商会横浜支店とは商社として活動する一方、日本の世情や動向を探り、逐一イギリスのロスチャイルド家に報告するインテリジェンスの役目を担っていた。幕末の日本。既にロスチャイルドの目と耳が日本に上陸していた。怖いよー。
▼横浜支店が開設された翌年の1860年3月、桜田門外で大老井伊直弼が暗殺された。その翌年、グラバーが独立してグラバー商会を設立。アメリカでは南北戦争が勃発した。さらにその翌年、生麦事件が発生し薩英戦争へと発展した。アメリカや日本から続々ときな臭い情報がロスチャイルドの元にもたらされた。舌なめずりが止まらない。ぺろ~ん。

▼ロスチャイルドの本家フランクフルトからイギリスに送り込まれた3男、ネイサン・ロスチャイルドはナポレオン戦争最終章、ワーテルローの戦い(1815年)で莫大な利益を上げた。この時に役立ったのがインテリジェンスだった。ネットも電話もない時代、情報伝達には恐ろしく時間がかかった。ロスチャイルド家はヨーロッパに散らした5兄弟たちが暗号を駆使して盛んに情報交換をしていた。そのためいち早くナポレオンの敗北を知ることができたネイサンはすぐに英国債を売った。ネイサンが英国債を売ったのを見た他の投資家たちは「イギリスが負けた」と思い込み、一斉に英国債をパニック売りした。英国債は大暴落した。それを待っていたネイサンが一気に買い戻しに転じ、莫大な利益を上げた。ロスチャイルド家は戦争が膨大な利益をもたらすことを知った。そのロスチャイルド家の目となり耳となったジャーディン・マセソン商会。日本で今、まさにデリシャスな動乱が始まろうとしている。ここまではほぼ歴史的事実。この先は少々私見が混じる。なので眉唾注意ね。
▼彼らはペリー来航以来、弱腰な幕府に不満を持つ勢力が日本各地にくすぶっていることを知った。このくすぶりが猛火に発展してくれないかなーと願った。だって儲かるんだもの。そこで役に立つのが長崎のグラバー商会だ。グラバーからは薩摩や長州、土佐の動きが逐一報告されたはずだ。一方の横浜支店では幕府の動向が筒抜けだった。憶測だけど長崎の支店をグラバー商会と改めたのも怪しまれないための策略だったのかもしれない。横浜支店には幕府から、グラバーには討幕派から武器弾薬、艦船購入の話が舞い込み始めた。いいぞ、いいぞ。金の匂いがしてきたところで次号に続く。チャンネルはそのままだぜ。
週刊ジャーニー No.1200(2021年8月5日)掲載
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