2011年7月7日 No.684

●サバイバー●取材・執筆・写真/本誌編集部

 

輝く黄金の泡立ち
シャンパン小事典

 

   
   
 

Special thanks to : Ms Miyoko Stevenson
本特集は、ロンドンでワイン教室を主宰し、弊誌の連載『ワインミニミニ講座』でもお馴染みの
ミヨコ・スティーブンソン氏に監修をいただきました。この場を借りて御礼申し上げます。

 

 豪華結婚式の披露宴などで、グラスを何段にも積み上げ、その頂上からシャンパンを注ぐ「シャンパンタワー」や、F1を始めとする表彰式や祝勝会での「シャンパンファイト(=シャンパンシャワー)」など、派手な演出にひと役買うシャンパンには華やかで慶事向きというイメージがつきものだ。しかし、一般庶民にとってシャンパンを飲む機会といえば、こうしたハレの席で景気付けに飲む、あるいはアペリティフとしてたしなむといったくらいで、日常的に飲むワインやビールとは一線を画しており、常にそこには特別な感覚がひそんでいるように思われる。
 日本では「シャンパン」や「シャンペン」(英語では「シャンペイン」と発音)と呼ばれるが、正式呼称は「シャンパーニュChampagne」であり、文字通りフランスのシャンパーニュ地方特産のスパークリングワイン(発泡性ワイン)のことを指す。イタリア産のスプマンテ、スペイン産のカバ、ドイツ産のゼクトもほぼ製法は同じであるが、「シャンパン」と呼ぶことはできず、フランス産であってもシャンパーニュ産以外のものは「クレマン」と呼び名が変わるなど、その呼称は法律で厳しく保護されている。
日本で高級シャンパンの代名詞として広く知られている「ドンペリ」は今さら説明するまでもないが、日本人お得意の省略語で「ドン・ペリニヨン」の略称。フランスの老舗シャンパンメーカー「モエ&シャンドン」の銘柄であり、安いものから白、ピンク(ロゼ)、ゴールド、プラチナとあり、日本での正規小売価格は約2~50万円、高級クラブなどでは約5~70万円、プラチナでは100万円もくだらないという代物である。「高級クラブでドンペリなど無銭飲食、16歳無職少年を逮捕」などという記事見出しを見かけるように、「ドンペリ」といえば「桁ハズレに高いシャンパン」と相場が決まっているのだ。
この「ドン・ペリニヨン」、17~18世紀のフランスに実在したベネディクト修道僧の名前であり、今日、「モエ&シャンドン」を訪れると、彼の銅像が神々しく聳え立っている。もちろん彼は生前、自分の名が贅沢品の代名詞として300年後に世界中に響き渡り、ましてや遠い日本で略されるまでに流布するなどとは考えもよらなかったに違いない。
では、なぜこの修道僧がこれほどまでに有名になったのか、なぜシャンパンには非日常的なイメージが漂うのか、シャンパンの発祥の歴史とともにその理由を探ってみることにしよう。

 

ブルゴーニュには負けられない

 

ドン・ペリニヨン修道僧 ドン・ペリニヨン修道僧は1638年に生まれ、19歳でベネディクト派に入会している。シャンパーニュ地方の小さな村オーヴィレールHautvillersの修道院に配属されたのは68年、以来1715年に他界するまで47年間、同院の出納係および酒倉係を務めた。
修道僧とアルコール飲料は一見、不似合いな印象を受けるかもしれないが、キリスト教においてはパンが「キリストの体(肉)」、ぶどう酒(ワイン)が「キリストの血」を意味し、洗礼式にワインが使われるなど、ワインはむしろキリスト教に欠くことのできないものである。旧約聖書の創世記には、神がぶどうの栽培法とワインの作り方を教える一節があるし、ローマ時代からカトリック教会の聖体拝領式(聖餐式)にはワインが使われ、そのため、ぶどう畑の管理は聖職者や修道士に任されるのが常であった。17世紀にはワインは宗教上の儀式だけでなく一般的に飲まれていたが、作り手はやはり修道僧たちで、ボルドー、ブルゴーニュ、アルザス・ロレーヌ、シャンパーニュにはカトリック教会所有のぶどう畑が広がっていた。
そして、ドン・ペリニヨンの生まれ育ったシャンパーニュ地方には、ローマ帝国属州の都市として古くから栄え、5世紀末からフランスの歴代の王たちが戴冠式を執り行ってきたランスReims(英語では「リームズ」と発音)がある。ランスの戴冠の歴史については再来週号で詳しく述べることにしたいが、キリスト教国での戴冠式は正式には「聖別式」や「成聖式」と呼ばれ、新君主の顔や手に聖油を塗り(=anointment塗油)、人格を神聖化させる慣わしがあり、この聖別式を行って初めて、王は神の力を借りて威厳を備えることができると信じられていた。英国王の戴冠式がカンタベリー大司教によってウェストミンスター寺院で行われるように、フランス王の聖別式はランスの大司教がランス大聖堂で行うものと決まっていたのだ。この聖別式で地元のワインが振舞われるため、シャンパーニュのワインは中世以前から広く知られていた。しかし、前述したフランスのワイン生産地の中でもシャンパーニュは最北端にあって冷涼で、ぶどうがなかなか完熟に至らず、黒ぶどうは色素が薄く、酸味の強いものができがちだった。そのため、お隣のブルゴーニュ産ワインの評判にはどうしても引けを取っていた。
赤ワインではブルゴーニュの味わい深さに勝つことはできない、ならば一流の白ワインを作ろうとシャンパーニュの作り手たちが躍起になっていた17世紀半ば――、それがドン・ペリニヨンの生きた時代である。彼がシャンパン、つまりスパークリングワインの発明者だとか、初めてスパークリングワインを作った人物などという記述も少なくないが、それは正しいとはいえないことが最近では明らかになっている。フランス南部のリムーLimouxでは、1531年ごろに既に「スパークリングワイン」なるものが偶然の産物としてできていたという記録が残っているし、最初にスパークリングワインを意図的に作ったのは、英国人科学者クリストファー・メレットだったと1662年の英王立学会公文書に記されている。ドン・ペリニヨンが酒倉係になる6年前のことだ。とはいえ、それはインターネットもない大航海時代のこと。他所でスパークリングワインが生まれ、また故意に作られ始められていることなど、ドン・ペリニヨンが知る由もなかった。彼はただ、美味しいワインを作ろうと試行錯誤を繰り返していただけだったのである。