2012年3月8日 No.718

●サバイバー●取材・執筆/本誌編集部

 

ホロコーストを逃れ

英国一の傘会社を築いた男 後編

アーノルド・フルフトから、パスポート上の名を「アーノルド・フルトン」に変えた後、
勤め始めた「ヘルメス・マシーン・ツール・カンパニー」にて。
小さい頃から発明することが好きだったアーノルドは、23歳でエンジニアとしてキャリアをスタートさせた。

 

ナチス・ドイツが無条件降伏したあとも、 ポーランドには反ユダヤ主義がうずまいていた。
そのポーランドから、アーノルドという14歳の少年が 英国に独り渡ったのは1946年のことである。
傘会社を興し、エリザベス皇太后(クイーン・マザー)や 現女王に愛用される傘を作るまでに至った、
このアーノルド・フルトンという人物の半生を、 引き続きお届けすることにしたい。

 

【前編より】
■1939年9月1日。ナチス・ドイツがポーランドに突然侵攻したことは、全世界に衝撃を与えただけでなく、アーノルド少年とその家族、フルフト一家の日常を一変させた。アーノルドの生まれ故郷である、ポーランドの地方都市チェルストホヴァでもユダヤ人に対する弾圧が始まる。■41年には、フルフト一家の住居があった一帯はゲットー(ユダヤ人居住区)とされ、自由に『外部』と行き来することが禁じられる一方、強制収容所に送る人々を選ぶための『セレクション』が行われるようになるなど、弾圧は激しさを増していく。そして43年春、6歳年上の姉ソーニャと、11歳のアーノルドはゲットー脱出に成功し、ワルシャワへと逃れたが、両親は脱出時にみつかり銃殺されてしまう。■母方の親類である、ユレク・イグラという25歳の男性の尽力により、隠れ家を転々としつつ、必死で生き延びようとするソーニャとアーノルド。やがて、44年8月1日には「ワルシャワ蜂起」が起こり、市内ではナチス・ドイツによる虐殺が断行され、建物には火がかけられる。■アーノルドは、ワルシャワへの脱出時に力を貸してくれた、勇敢なポーランド人女性、プォーヴェシカ夫人に再び助けられる。2人のおばと共に、なんとかワルシャワから故郷のチェルストホヴァにたどりついた後、同夫人の手引きにより、カトリック修道院に預けられたアーノルドだったが…。

 

生き残りをかけた「ざんげ」

 

 故郷のチェルストホヴァで、アーノルドは、カトリック教のセント・ヤナ・ボスコ修道院に引き取られた。偽造の身分証明書にある「Adam Filipczak」の名前で、ポーランド人として生活することになったわけだが、カトリック教についての知識をまったく持たぬ状態で、修道院で過ごすのは危険すぎると判断する。
アーノルドは、「ざんげ」することを決意。カトリック教では、司祭らが「ざんげ」を聞く時、その内容に関しては完全な守秘義務を負うことを聞き知っていたからだ。20代の親切なゴリク司祭を相手に選び、アーノルドは腹をくくって告白した。
「僕は…ユダヤ人なのです」
しばし沈黙が流れた。ざんげ専用の小さなボックスの中では、ゴリク司祭の顔は見えないようになっている。それでもアーノルドは、ゴリク司祭の反応をなんとか知ろうと仕切りの向こうに全神経を集中させ、様子をうかがった。
長い長い時間が流れたように感じられた。
ゴリク司祭はやがて静かに答えた。
「分かった。まず、これだけは先に言っておこう。この秘密は100パーセント、他にもれることはない」
司祭は続けた。
「アダム、ざんげ室から出なさい。何も恐れる必要はないからね。私に任せなさい、君を助けると約束する」
アーノルドは思わず、安堵の深いためいきをもらした。
ゴリク司祭は、この言葉にうそがないことを証明してみせた。アーノルドが修道院での暮らしの中で困ることがないよう、様々な形で手をさしのべ、配慮を示した。また、数学、ポーランド語、ラテン語、そしてカトリック教の教義を、この頭の良い少年に教え込んだ。
アーノルドも、1939年から失われた時間を取り戻すかのように、修道院の図書室にある本をむさぼり読んだ。図書室は、コナン・ドイルのシャーロック・ホームズからアレクサンドル・デュマまで、アーノルドの知的好奇心に応える本に満ちていた。文字通り、乾いたスポンジが水を吸収するがごとく、アーノルドは知識を身につけていったのである。
まもなく、アーノルドはカトリック教の洗礼を受けた。身を守るためからではなく、信仰心からであった。もともと、フルフト家は、ユダヤ教の教えに対してさほど厳格ではなかったこともあるが、戦乱の中で、心穏やかに過ごすという、今までは望むべくもなかった贈り物を与えられた13歳の少年が、その贈り物を授けた主、イエス・キリストに感謝や敬愛の念を持ったとしても何の不思議があろう。
アーノルドが修道院の中でこうした毎日を送っているかたわらで、世界は大きな転換期を迎えようとしていた。
1945年5月、ナチス・ドイツは無条件降伏を受諾。それに先立ち、4月30日にヒトラーは愛人エバ・ブラウンとともに自らの命を絶った。ヨーロッパ戦線における世界大戦はここに集結を見たのである。


アーノルドの「ざんげ」を聞いたゴリク司祭
(Father Golik)。