上空を目指した男たちの挑戦の物語

19世紀のヴィクトリア朝時代、気象予報の未来のために前人未到の上空を目指した学者と、その無鉄砲な冒険を支えた気球乗りがいた。屋根もないゴンドラで彼らが達成したのは、現在ジャンボジェットが飛ぶほどの高度…。英俳優エディ・レッドメイン主演の映画『エアロノーツ』の題材になった、大空への挑戦を追う。

●サバイバー●取材・執筆/名越美千代・本誌編集部

空への強い憧れ

気象学者ジェームズ・グレーシャー。気象分野に留まらず、写真協会の会長、王立航空協会の評議会のメンバーを務めるなど幅広く活躍した。

国の産業力を示す「第2回ロンドン万国博覧会」に沸いた1862年、英国科学振興協会は、気象観測の発展を目的にある計画への援助を決定した。それは、気球で高層大気まで上昇して空の状態を調査するというもの。この画期的な実験の必要性を協会に訴えたのは、グリニッジ天文台勤務の気象学者ジェームズ・グレーシャー、学者らしからぬ命知らずな空の冒険で後世まで知られることとなる人物だ。

グレーシャーは1809年に時計職人の息子として生まれた。生家はロンドン南東の街ロザハイズで、グリニッジ天文台から近く、隣人には同天文台勤務の学者がいた。そんな環境もあってか、子どもの頃から科学への興味を抱いていたようだ。高等教育を受けた記録はなく、独学で科学に関する知識を学んだと思われる。1829年1月から翌年11月まで、アイルランドで行われた三角測量調査に助手として参加。聳え立つ山々の頂きの輪郭を測るため、長い間雲に包まれた状態に留まっているうちに、上空に心惹かれるようになった。「雲の繊細な色合い、不透明で大きな塊の動きなどを観察するようになった」と、自著で振り返っている。

1833年にケンブリッジ大学の天文台に職を得る。後年、グリニッジ子午線を設置することになる天文学者ジョージ・ビドル・エアリーの助手としてのポジションだった。エアリーがグリニッジ天文台へ天文台長として赴任した際には、グレーシャーも同天文台へ転勤となるなど、エアリーからの絶大な信頼を得ていた様子がうかがえる。

国を代表する天文台で働くうちに、グレーシャーは「雲が突然、星を視界から隠してしまう時、雲が急速に形成されるのはなぜだろうか」などと、空への関心を募らせていく。そして数年後、新設された磁気気象部門の管理責任者に任命され、本格的に気象学者としての人生を歩み始める。

上空での観測計画

学者としてのグレーシャーは気象観測や気象統計の整備を効果的に進めたと評価されている。しかし、彼が最も世間の注目を集めたのは、キャリアを重ねた1862年、53歳のときに行った気球飛行だ。

当時は空について科学的に解明されていないどころか、飛行機も気象衛星も開発されていない時代。気象予報の精度を高めるためには地上での気象観測だけでは不十分であり、上空での大気観測が不可欠だと考えていた彼は、その手段として気球に目をつけた。

1783年にフランスのモンゴルフィエ兄弟や物理学者のジャック・シャルルらが熱気球やガス気球を使った史上初の有人飛行を成功させ、以来100年足らずの間に、米国や欧州では気球飛行が見世物としてもてはやされるようになっていた。見世物の気球飛行は地上の人々から見える範囲に敢えて留まるが、グレーシャーが目指したのは限りなく広がる空の海の探索。そこで、相棒として雇われたのが、高度まで気球を飛ばすことができるとして名を馳せていた、10歳下の気球乗りヘンリー・コクスウェルだった。

彼らが用いた気球は、中に満たした水素のような軽いガスの力を借りて上昇するタイプ。地上から上昇するためにはおもり代わりの砂を投げ捨て、逆に下降する際には気球のバルブを開いてガスの一部を放出する仕組みだ。

地球上の天候を支配する大気の力をなんとしても理解したいという一心で、グレーシャーは準備に励んだ。

いざ、前人未到の高さへ

1862年7月17日、ふたりは最初の飛行を行う。午前9時43分にイングランド中部ウルヴァーハンプトンから離陸し、太陽の暑い日差しを受けながら水素ガスを含んだ気球は完全な球体となって浮上。12分で雲を抜けることに成功した。「空の青が深いプルシアンブルーに変わっていく…」。長年夢見た雲の上の世界。「無限の多様性と壮大さを見せる山々。それを引き立たせる雲の最高の美しさ!」「眼下の雲に映る気球の影と、影を囲む煌びやかな光!」。グレーシャーは感動に打ち震えた。

次の実験飛行ではロンドンのクリスタルパレスから離陸し、首都の独特の眺めを楽しんだ。「ウェストミンスターの時計の輝く文字盤が2つの鈍い月のように見えた」一方で、コマーシャル・ロードが「輝く炎の線のようだった」という。

グレーシャーの探求心はとどまることを知らない。9月5日には、さらなる高みに挑むべく、ウルヴァーハンプトンから離陸。ゴンドラには羅針盤や温度計などの観測器具に加え、ブランデー、上空での危険を感知するためのハト6羽を持ち込んでいた。雲のない美しい青空が広がり、強い日差しが降り注ぐ中、気球は空へ舞い上がった。眼下には壮大な雲海が広がり、丘や山々の連なりが果てしなく続いた。

記念すべき飛行となった9月5日、危険度を測るためにゴンドラに6羽のハトが持ち込まれたが、生還したのはたった1羽だった。そのハトもよほどのトラウマを受けたらしく、地上に戻り、再び空へ飛び立つまでにしばらくグレーシャーの手にしがみついていたという。

ところが高度3マイル(4800メートル)で1羽のハトがピクリとも動かなくなる。これがおそらく最初の警告であっただろう。ふたりは構わず高度を上げる。4マイルで2羽目が、5マイルで3羽目が、石のようになってしまう。気温は氷点下20度を下回っていたと考えられる。グレーシャー自身も体の異常を感じ始める。温度計や時計を読もうとしたが、目がかすみ、見えない…。腕を持ち上げようとしても、思うように動かない。コクスウェルを呼ぼうとしたが、言葉は口の中で凍りつき、ついに頭を支えることもできなくなり、無力にもだらりと垂れてしまった。「一瞬ですべてが真っ暗になった。すぐに降りなければ死が訪れると感じた」。

排気バルブの不調で絶体絶命に

グレーシャーの異常に気づいたコクスウェルは、すぐに降下するべく気球の排気弁に繋がる紐を引いた。ところが弁が開かない! 運悪く、他のロープが絡まっていたのだ。排気できなければ降りられない…。どうする…。

グレーシャーは意識を失いつつあり、もう一刻の猶予もない。コクスウェルは決死の覚悟を決めた。「ロープ沿いに排気弁のところまで登っていく」と。勇気を振り絞って空中を彷徨うゴンドラの外へ身を乗り出すと、ロープを頼って気球の上部を目指した。だが、てっぺんに着いた彼には、自らの手足も動かなくなるという困難が待ち受けていた。追い詰められたコクスウェルは反射的に排気弁を歯でくわえ、頭を数回、ぐいっとひねった。そして…! 必死の思いが通じたのか、ようやく空気が抜け、気球は降下を始めたのだった。

高度が少し下がった所で、グレーシャーが意識を取り戻した。命の恩人とも言えるコクスウェルが何かつぶやいているのが聞こえたが、まだ体の感覚は完全には戻っていなかった。それでも、少しの時間も無駄にできないと、なんとかペンをつかみ、再び観測を開始した。正確な記録は不明ながら、2人の気球は高度3万7000フィート(約1万1000メートル)に達していたと推定されている。当時の有人飛行として最高高度であった。

これほどに危険な目に遭ったグレーシャーだが、気象観測への情熱が衰えることはなかった。この後も21回の気球飛行に挑み、水蒸気が雨粒となって地上に落ちていく過程や、高度変化による風速の変化など、気象を理解するために不可欠な観測を記録。1874年までの38年間、グリニッジ天文台に勤めた後、1903年に93歳でその人生に幕を下ろした。

飛行機に乗れば簡単に上空の眺めを楽しめるようになった現代。次に搭乗する際には、150年以上前のグレーシャーらの挑戦に思いを馳せるとともに、未来の姿を想像してみてはいかがだろうか。

大空への挑戦!気球の歴史

- 1709年

ブラジル出身のポルトガル人司祭バルトロメウ・デ・グスマンが空中船の構想を練り、燃焼によって物を浮遊させる実験を行ったとされる(後年、魔法を使う異端として告発され、研究は中止に)。

- 1783年

6月4日…フランスのモンゴルフィエ兄弟が熱気球の無人飛行実験に成功。
8月27日…フランスの物理学者ジャック・シャルルが水素を使ったガス気球の無人飛行実験に成功。
11月21日…モンゴルフィエ兄弟が熱気球の有人飛行に成功。
12月1日…シャルルが水素ガス気球による有人飛行に成功。

史上初! 気球での有人飛行 1783年

まだ誰も成し得ていない気球での有人飛行をめぐり、熱い戦いが繰り広げられていたフランス。結果として人類で初めて気球で飛んだのは、暖めた空気を使って飛ぶ熱気球を開発したモンゴルフィエ兄弟だ(1783年、高度910メートル、飛行時間25分間、距離9キロメートル)。発明家気質だった兄ジョセフは、洗濯物を乾燥させるために火を焚いた時に洗濯物が上にうねることから熱気球を思いついたという。

モンゴルフィエ兄弟の成功からわずか10日遅れで、物理学者ジャック・シャルルと気球専門家ロベール兄弟が水素を使ったガス気球での有人飛行に成功している(高度550メートル、飛行時間2時間5分、距離36キロメートル)。

- 1785年

1月…フランスの気球乗りジャン=ピエール・ブランシャールと米国人科学者ジョン・ジェフリーズが水素ガス気球でドーバー海峡横断に成功。飛行時間は2時間25分。
6月…史上初の航空死亡事故が発生。1783年にモンゴルフィエ兄弟の熱気球に搭乗したピラートル・ド・ロジェが、今度は熱気球とガス気球を組み合わせた新型気球で気球製作者のジュール・ローマンと共にドーバー海峡横断を試みたが、上空で気球が爆発した。

- 1852年

フランスの技術者アンリ・ジファールが蒸気エンジンで動くプロペラを搭載した飛行船で有人飛行に成功。

- 1858年

フランスの写真家ナダールが気球に乗り、パリ上空から世界初の空中写真撮影を行う。

- 1862年

英国の気象学者ジェームズ・グレーシャーと気球乗りヘンリー・コクスウェルが推定1万メートル超の高度に到達。

- 1877年

島津源蔵(初代)が水素ガス気球で日本初の有人飛行に成功(高度36メートル)。

日本で初めて気球で飛んだ男、島津源蔵 1877年

日本では1877年12月に、島津製作所の創業者、島津源蔵(初代)が日本初の気球による有人飛行を成功させる。教育用理化学機器の製造を行う同社を興してからまだまもない頃、京都府から理化教育への人々の関心を高める目的で国内初の有人気球制作を依頼されたのがきっかけだ。

源蔵は伏見の酒蔵から巨大な仕込み樽11個を買って、その中で水素を製造。水素を漏らさない気球体を作るためにも試行錯誤を重ね、羽二重にエゴマ油で溶かしたゴムを塗る方法に思い至ったという。飛行実験は京都御所で行われ、48,000人の大観衆が集まったとされる。

また同年の西南戦争で熊本鎮台が西郷軍に包囲されると、政府は気球で連絡を取る方法を模索し、5月には東京・築地の海軍兵学校で気球の飛揚試験が行われた=下図。試験は成功したものの、西南戦争での実用化とはならなかった。

- 1903年

米国のライト兄弟が継続的に操縦を行うエンジン搭載の飛行機による有人飛行に成功(滞空59秒、飛距離約260メートル)。飛行機の技術開発がますます進むこととなる。

人類初の動力飛行、ライト兄弟 1903年

気球やグライダー、動力付きの飛行船などによる有人飛行は以前にもあったが、ライト兄弟の発明は「空気より重い機体で、継続的に操縦を行った最初の動力飛行」として評価されている。

米オハイオ州デイトンで自転車店を営むことで飛行機の研究資金をまかなっていた兄弟は、飛行機に関する文献をつぶさに研究し、本業の自転車の技術も活用していた。操縦機能を備える画期的な飛行機の発明は、その後の空の歴史を大きく変えることとなったが、必ずしも良いことばかりではない。1948年まで生きた弟のオーヴィルは、飛行機の軍事利用に胸を痛めていたという。

- 1931年

スイスの気象学者・物理学者オーギュスト・ピカールが、気圧を一定に保つために密閉されたゴンドラを持つ水素ガス気球で高度約16キロメートルに到達(人類初の成層圏到達)。

- 1978年

米国のベン・アブラッゾ、マキシー・アンダーソン、ラリー・ニューマンが、気球「ダブルイーグルⅡ」にて大西洋横断。その後、1981年に気球「ダブルイーグルⅤ」にアブラッゾ、ニューマンと共にロッキー青木(青木廣彰)、ロン・クラークが乗り、日本からカリフォルニア州へ飛行して、気球による初の太平洋横断を達成。

- 1999年

オーギュスト・ピカールの孫のスイス人ベルトラン・ピカールが英国人ブライアン・ジョーンズと共にロジェ気球で初の無着陸世界一周飛行に成功(飛行時間370時間24分)。

- 2020年

米国のベンチャー企業が気球での成層圏飛行を計画中。

最新の気球で成層圏飛行、実現へ 2020年予定

航空機の大型化・高速化が進んでも、気球にはゆったりと空中に浮かぶ魅力があり、人々は今も、観光や航空スポーツで気球を楽しんでいる。

米国のベンチャー企業ワールドビュー社では定員8名(うちパイロット2名)の豪華カプセルを地球の大気圏の99%のエリア、高度10万フィート(30.48キロメートル)の成層圏まで上昇させるハイテクのヘリウムガス気球を開発中。宇宙旅行ではないが、宇宙飛行士が見るものに近い地球の景色を眺められるという。2020年にはツアー開始予定で、既に搭乗者の予約を開始している。
https://astrax-by-iss.wixsite.com/world-view

エディ・レッドメイン × フェリシティ・ジョーンズ映画 『エアロノーツ』

グレーシャーの物語をベースにした映画『The Aeronauts(エアロノーツ)』が11月に公開される。気象予報の発達に情熱を燃やす19世紀の学者が熟練の気球乗りと組んで空を目指すが、前人未到の高さの上空で絶体絶命の危機に陥る…というあらすじは実話と同じだが、実在の相棒コクスウェルはアメリア・レンという架空の女性に置き換えられた。アメリアは気球の飛行技術という優れた才能を持ちながら、それを活かせずに悶々と暮らす若きお金持ちの未亡人という設定だ。

主演は、物理学者スティーヴン・ホーキングとその妻を描いた映画『博士と彼女のセオリー』(2014)以来の再共演となったエディ・レッドメインとフェリシティ・ジョーンズ。上空の迫力を臨場感のある映像で見せるべく、2人は実際におよそ8000フィート(約2500メートル)の高さまで熱気球で上昇して撮影に挑んだという。特にジョーンズは、気球から振り落とされそうになる場面など、危険なシーンの多くをスタントマンなしで熱演している。監督はBBCドラマ『戦争と平和』(2016)を手がけたトム・ハーパーが担当した。

アメリアについて、演じるジョーンズは「全く向こう見ずで命知らずな女性」と語る。人物設定の参考となったのは、世界初のプロの女性気球乗りとして活躍したフランス人、ソフィー・ブランシャール(1778-1819)で、気球で世界初のドーヴァー海峡横断(1785)に成功したジャン=ピエール・ブランシャールの妻だった。飛行中の急病で亡くなった(1809)夫の仕事を引き継ぎ、10年後にパリで墜死するまで気球の見世物飛行を続けた。

コクスウェルの存在が無視されたことで、映画は史実と異なるという批判もある。しかし、英国で初めて女性の単独気球飛行を行ったマーガレット・グレアム(1804-1880)、気球専門家メアリー・マイヤーズ(米・1849-1932)、女性として初めて飛行機での大西洋単独横断を達成した飛行家アメリア・イアハート(米・1897-1937)など、大空に挑戦した女性たちが多数存在したことも事実。アメリアの姿は、女性であるがゆえの制限や偏見を跳ね返して自分が愛することを成し遂げた先人たちを彷彿させる。

The Aeronauts(英/2019年/100分)
監督:トム・ハーパー
出演:エディ・レッドメイン
フェリシティ・ジョーンズ
ヒメーシュ・パテル
アン・リード他

危機を救った気球乗り ヘンリー・コクスウェルとは?

ヘンリー・トレーシー・コクスウェル(1819-1900)は、グロスターシャーで英海軍司令官の末の息子として生まれた。少年の頃から気球に興味を持ち、機会さえあれば飛行見物に出かけていたという。特に、石炭ガスを使った気球乗りとして知られたチャールズ・グリーンが1836年にロンドンのヴォクソール・ガーデンからドイツまでの480マイル(770キロ)を飛んだ時には、気球への情熱に火がついたが、自分が空を飛ぶには1844年まで待たねばならなかった。

1845年に気球に関する雑誌を発行したり、1847年には嵐の夜に友人とヴォクソール・ガーデンから気球で飛び出したりと、気球に関わり続けた結果、ついに1848年にブリュッセルの気球「シルフ」を任されてプロ気球乗りとなる。以降はアントワープ、ケルン、ベルリン、プラハなど欧州各地で飛行を行うようになった。

1885年のヨークでの大気球飛行を最後に引退。当時は命に関わる事故も多かった中で40年以上も無事に気球乗りを続けられたのは、気球装置に対する彼の深い知識によるところとされる。

週刊ジャーニー No.1108(2019年10月17日)掲載