
ジェイミー・オリバー、ナイジェル・スレイター、ディリア・スミスらを始め数多くのセレブリティ・シェフが愛用する塩としても知られる『モルドンの塩』。世間に数多く流通する塩の中から、「味覚の達人」である彼らを引き寄せる、その塩の魅力とは何なのか? 人気の秘密に迫りたい。
●サバイバー●取材・執筆・写真/本誌編集部
フランス「ゲランドの塩」のほか、イタリア・シチリアの「トラーパニの塩」、今回ご紹介する「モルドンの塩」など、今、人気を集めているのは、どこそこの塩と産地の名を冠した天然塩だ。いずれも海水を原料とした天然塩に変わりはないが、産地によって含まれるミネラル、味や形が少しずつ異なっている。巷に定着した健康志向も追い風となって、「個性的な天然塩」がうける時代となったといえる。
太古の昔から人間の身体にとって必須であった塩は、食文化の発達に伴い、今や「嗜好品」の域に入りつつあるのだ。メディアを通じて、セレブリティ・シェフらがその人気のきっかけを作ったり、また後押しをしたりもしている。そうした人気の塩のひとつであるモルドンの塩。この塩について語る前に、人間が生きていく上で欠くことのできない塩全般に関して話を広げさせて頂きたい。
塩は、「塩化ナトリウム sodium chloride」と呼ばれる、塩素とナトリウムから成るイオン結晶体で構成されており、化学式NaClで表されるイオン性物質。自然界には岩塩や、海水の主成分として存在している。塩素もナトリウムも、人間はもちろん地球上の大半の生物にとって、生命維持のために必要不可欠なミネラル。人間は塩を摂らなくては生きていけないのだ。
大昔、食のほとんどを狩りに頼っていた頃、人類は捕まえた動物をまるごと食し、その血中や内臓に含まれる塩分を摂取していたので、あえて「塩」を食す必要はなかったとされている。やがて人々は野菜や果物なども食すようになり、それらに多く含まれるカリウムを大量に摂るようになる。カリウムも生物の必須ミネラルの一つで、余分なナトリウムを体外に排出して血圧の上昇を防ぐ働きがある物質。日常生活に塩分をたっぷり含んだ外食や加工食品が定着し、塩分過多になっている現代人にはありがたい存在のカリウムだが、当時の人々はカリウム過多の傾向があったため、排出時に、必要量のナトリウムまでも道連れに、体外に出されてしまうようになった。
こうして体内に不可欠の塩分を確実に補充すべく始められたのが、「塩作り」だったとされている。野菜に塩を振りかけて食す、という今では当たり前となった食習慣の始まりでもあった。例えば日本では、製塩土器の出土によって、およそ3000年前の縄文時代後期には、塩が作られていたことが分かっている。ヨーロッパや中国でも、同時代までには始まっていたとされている。
また、塩が貴重だった古代ローマでは、兵士に給与として塩を支給していた。塩は古代ローマのラテン語でsal(サール)、これに値段のarium(アリウム)がついて、salariumから英語のsalary(給与)という単語が生まれた。そのsalariumを受け取ることからsoldier(兵士)と呼ぶようにもなったという。さらには、塩を振り掛けるsalad(サラダ)、塩味をつけたsalami(サラミ)もsalを語源とした派生言語だ。ちなみにsauはsalのなまったものでsauce(ソース)、sausage(ソーセージ)も塩が語源だ。
古代、人間が生きていくための絶対的な必要性から始まった塩作り。数十世紀を経た現在、世界各地から運ばれる塩をスーパーマーケットで簡単に購入できるようになり、人間は「生きる」ための塩分摂取を大前提としながらも、その風味を「味わう」という次元にまで達してきたといえる。
ちなみに、現代人は塩分過多になりがちだが、世界保健機構が目標とする成人の塩分摂取量は1日5グラム。日本の厚生労働省は、男性9、女性7.5グラム未満と設定。これは醤油や味噌を始めとした食塩を含む調味料が、日本人の食生活を支えていることが背景となっている。
太古の昔から人間の身体にとって必須であった塩は、食文化の発達に伴い、今や「嗜好品」の域に入りつつあるのだ。メディアを通じて、セレブリティ・シェフらがその人気のきっかけを作ったり、また後押しをしたりもしている。そうした人気の塩のひとつであるモルドンの塩。この塩について語る前に、人間が生きていく上で欠くことのできない塩全般に関して話を広げさせて頂きたい。
生きるための塩から味わう塩へ

大昔、食のほとんどを狩りに頼っていた頃、人類は捕まえた動物をまるごと食し、その血中や内臓に含まれる塩分を摂取していたので、あえて「塩」を食す必要はなかったとされている。やがて人々は野菜や果物なども食すようになり、それらに多く含まれるカリウムを大量に摂るようになる。カリウムも生物の必須ミネラルの一つで、余分なナトリウムを体外に排出して血圧の上昇を防ぐ働きがある物質。日常生活に塩分をたっぷり含んだ外食や加工食品が定着し、塩分過多になっている現代人にはありがたい存在のカリウムだが、当時の人々はカリウム過多の傾向があったため、排出時に、必要量のナトリウムまでも道連れに、体外に出されてしまうようになった。
こうして体内に不可欠の塩分を確実に補充すべく始められたのが、「塩作り」だったとされている。野菜に塩を振りかけて食す、という今では当たり前となった食習慣の始まりでもあった。例えば日本では、製塩土器の出土によって、およそ3000年前の縄文時代後期には、塩が作られていたことが分かっている。ヨーロッパや中国でも、同時代までには始まっていたとされている。
また、塩が貴重だった古代ローマでは、兵士に給与として塩を支給していた。塩は古代ローマのラテン語でsal(サール)、これに値段のarium(アリウム)がついて、salariumから英語のsalary(給与)という単語が生まれた。そのsalariumを受け取ることからsoldier(兵士)と呼ぶようにもなったという。さらには、塩を振り掛けるsalad(サラダ)、塩味をつけたsalami(サラミ)もsalを語源とした派生言語だ。ちなみにsauはsalのなまったものでsauce(ソース)、sausage(ソーセージ)も塩が語源だ。
古代、人間が生きていくための絶対的な必要性から始まった塩作り。数十世紀を経た現在、世界各地から運ばれる塩をスーパーマーケットで簡単に購入できるようになり、人間は「生きる」ための塩分摂取を大前提としながらも、その風味を「味わう」という次元にまで達してきたといえる。
ちなみに、現代人は塩分過多になりがちだが、世界保健機構が目標とする成人の塩分摂取量は1日5グラム。日本の厚生労働省は、男性9、女性7.5グラム未満と設定。これは醤油や味噌を始めとした食塩を含む調味料が、日本人の食生活を支えていることが背景となっている。
英国・東海岸生まれのモルドンの塩

モルドンもゲランド同様に海水から採れる塩を商品化しているが、ゲランドとの決定的な違いは、その生産工程。ゲランドは、機械を一切使わない極めて原始的といえる「天日製塩法」を続けている。塩田(海水を貯めるくぼ地)に海水を取り込み、太陽熱と風の力で3ヵ月間かけてじっくり蒸発させ、できあがった塩の結晶を収穫するという方法で、昔ながらの製塩法だ。
一方モルドンでは、海水の取り込みから始まる工程の大部分を機械が行う。タンクに取り込まれた海水は工場内の平釜に移され、天然ガスによってぐつぐつと煮詰められ、丸1日もかからないうちに塩の結晶ができあがる。そのため残念ながらモルドンでは、ゲランドのような塩田のある牧歌的風景を見ることはできない。

多くの食塩の形状を虫めがね等でよく見てみると、その結晶はサイコロ状の正六面体を成している。一方のモルドンの塩は、「トレミー状」と呼ばれているピラミッド型。整ったサイコロ状をしている塩は、巨大な蒸発装置の中で大量生産されているものだ。
モルドンの塩は、大量生産はできないが、水分蒸発が盛んな大きな平釜の中で、ゆっくりと結晶が形成され、海水の表面に逆ピラミッド状に浮かびあがってくる。これが口に含んだときの独特のシャリシャリ感を生みだしている。また手に取ってみると一辺一辺の結晶が光を反射し、キラキラと輝くのが分かる。
英国製塩の2大系統 岩塩エリア VS 海岸エリア
英国の塩総生産量は580万トン。これは世界第10位(2006年、英国地質調査所調べ)という規模だ。しかしながら産業革命後の18~19世紀にかけては、英国は世界一の地位にあった。ちなみに現在、1位から順にアメリカ、中国、インド、カナダ、オーストラリアと続き、この上位5ヵ国が世界の総生産量の6割近くを占めている。気になる日本の順位は、125万トンで24位となっている。英国で作られる塩は、原料である塩水の違いから、主に2つの系統に分けられる。一つはモルドンのように海岸地域で、海水を蒸発させて作られる塩。もう一つは、地中深くの岩塩を溶かし、地上へ湧き上がってきた「かん水(濃い塩水)」と呼ばれる地下水から採れる塩。岩塩とは、海水が数億から数千年間の地殻変動により地中に閉じ込められ、岩のように硬くなってできたもの。こちらは英国北西部、チェシャー産の塩が世界的にも有名だ。この地域は「チェシャー岩塩」の恩恵を受け、生産量世界一だった頃の英国製塩業の中心地でもあった。
英国で塩作りが始まって以来、総生産量の大部分を占めてきたのは「岩塩製塩」だった。中世には海外からの安価な輸入塩に圧迫され、一時衰退するも、輸入塩にはない色の白さが好まれ、バターやチーズなどの製造や、食卓塩としての需要を獲得し、この危機を乗り越えたという。
産業革命後、ピークを迎えていた岩塩製塩だったが、生産量をさらに増やすべく、取り組まれた岩塩採掘が裏目に出てしまう。過剰な採掘により地盤が緩み、製塩所のある地域が次々と地盤沈下してしまったのだ。これにより20世紀初頭までに多くの製塩所が閉鎖を余儀なくされ、チェシャーを中心に産業は下火となっていく。
一方の「海水製塩」は、気候が比較的穏やかなリンカンシャーを含む東海岸から、サセックスの南海岸を中心に発展をみせる。そして11世紀ごろには、製塩所の数が1200ヵ所にも膨れ上がったという。現在、国内にあるのはモルドンを含め4ヵ所のみであることから考えると、当時の興隆ぶりとは天と地ほどの差があることが分かる。やがて海水製塩は17世紀にピークを迎えるも、チェシャー産塩の台頭や、輸入塩に押されるなどして、19世紀に入り、それまでの勢いを失っていく。
ミネラルって何?
現代人は総じてミネラル不足と言われている。そもそもミネラルとは何なのか?なぜ必要なのか?人間の体を元素に置き換えると、酸素、炭素、水素、窒素が約97%。残りの3%がミネラル(無機質)。ミネラルはナトリウム、カルシウム、マグネシウム、カリウムなどで、人間の体に必須であることが証明されているものが全部で16種類。ミネラルは、食べ物を効率よくエネルギーとして使うための酵素を活性化したり、老廃物の排出を促したりするなど、体内のシステムにとって重要な役割を担う。不足すると精神不安や疲労感、集中力の低下などをもたらし、様々な病気を引き起こす原因にもなる。
ミネラルは、人間の体内で作り出すことができないため、食事から補うしかない。たった3%の存在ではあるが、生命活動を維持するために多大な影響を与えるミネラル。よってミネラル豊富な有機野菜や、ミネラル・ウォーター、天然塩を積極的にとることが薦められているのだ。
ローマ人司令官の思わぬ発見
およそ2000年前のこと。当時モルドン地域を治めていたローマ人司令官、カシウス・ペトックス Cassius Petoxは、冬場、骨身に沁みる寒さに苦しんでいた。彼は身体を温めようと、身近な海水で風呂を沸かすことを考えつく。実際に入ってみると、不思議と身体の節々の痛みが和らいだため、大変気に入ったという。ある時ペトックスの家来が、この「海水風呂」を長時間火にかけすぎ、水分が蒸発してしまうということがあった。
怒り狂ったペトックスだったが、ふと、その風呂釜の底に溜まっている塩の結晶に目を留める。ペトックスはさっそく家来たちに命じ、海水から塩の結晶を大量に作り出す方法を編み出させた。できあがった塩を彼の兄弟に試させたところ、その塩を大変気に入り、彼らはさらに欲しがったという。これに気を良くしたペトックスは、赴任期間終了後もモルドンにとどまり、本格的に塩作りをするようになる――。
以来モルドンが20世紀という長きに渡り、変わらずに塩作りの地であるのは、この地が製塩に最適な環境を備えているからに他ならない。以下にその好条件を挙げてみる。
①少ない降水量(海水中の塩分濃度が上がる) ②強い風(塩田に貯まった海水の蒸発を助ける) ③明るい日差し(②と同様) ④低地で入り江となっている(塩分の濃い海水が流れ込んでくる)
これらの自然の恵みを受けた初期の塩作りは、まず海が満潮の時に、水路に伝って入ってきた海水を塩田に貯め、太陽熱と風である程度まで蒸発させる→塩分濃度が十分に高まった海水を土器のつぼに移し、それらを火炉にならべ、炙って蒸発させる→塩ができあがると、そのつぼを割って塩をかき集める、という方法がとられた。
エセックスの海岸線沿いの地域は通称「Red Hills(赤い丘)」と呼ばれている。大量の土器の破片や火炉が、地面を赤く染め上げたというこの一帯は、当時の塩作りの名残を伝える貴重な風景を呈している。
代名詞は「セレブリティ・シェフ愛用の塩」
現在、モルドンの塩の生産を一手に担う、「Maldon Crystal Salt Company Ltd.」(以下モルドン社)の創業は1823年。製塩家であるロバート・ウォラッカー Robert Worrakerという人物が、現在の場所に製塩所を建てたのが始まりだ。同社が現経営者であるオズボーン家の手に渡ったのは1922年。以来オズボーン家4代に渡り、伝統の味を守り、地道な塩作りを行っている。数多くの料理本はもちろんのこと、テレビ、雑誌などでも広く取り上げられているモルドンの塩。
シェフのナイジェル・スレイターは著書の中で「バターといえば無塩バター、塩といえば『モルドンの塩』、砂糖といえばモーリシャス産の未精製砂糖」と評すほどだ。
写真左:92年にはサッチャー元首相〈手前左から2人目〉も見学に訪れた。
モルドンの塩は、添加物を一切加えていないため、天然海塩の素朴で深い旨みが味わえる。大量生産された塩に少なくない、なめた後に舌に残る苦味はまったくなく、むしろほんのりとした甘みすら感じられる。シャリシャリとした独特の食感は、生野菜のサラダに良く合い、またキラキラと輝く美しい塩の結晶は、ソルトミルに詰めて、食卓においても絵になる。
実際に工場に行ってみると、思いがけずスタッフは小人数だったが、それぞれの役割を黙々とこなしつつ、塩作りに愛情を注いでいる様子を垣間見ることができた。機械を取り入れて製造過程を近代化させつつも、塩作りの精神は昔のままを守り続ける彼らの作る塩は、これからも変わらずに、我々の味覚を満足させてくれることだろう。
「塩」でございます――
あの家康も大いに感心
美人側室が語った「塩学」

徳川家康の側室だったお梶の方は、その聡明さと美しい容姿で家康の深い寵愛を受けた女性と伝えられている。ある時、家康が家臣たちを集め、唐突に「この世で一番うまいものは何か?」とたずねた。武将らはそれぞれ好きな魚や山菜の煮ものなどの名前を並べていく。最後にお梶の方に話題がふられると、「『塩』でございます。山海の珍味も塩がなければそのうまさを発揮できません」。さらに一番まずいものは、と問われ「それも塩でございます。どんなに美味きものでも塩が過ぎると食べられません」と返し、「塩はさじ加減ひとつで他のものの味を引き出します。指導者もまた家臣の心を巧みにとらえ能力を引き出すことが肝心なのです」とも付け加えたという。
お梶の方がその時、指導者論までを実際に加えたのかははっきりしないとされるが、それを聞いた家康は深く感銘を受け、以後これを教訓としたという。家康は塩を珍重したという話が伝えられているが、これはこのお梶の方の発言も大いに関係しているものと考えられる。
実際は、調味料である「塩」を「おいしいもの」とした答えは、あまりに優等生的すぎていたため、家康や家臣らの意図していたであろう会話の次元をひょいっと越えてしまい、もしかしたら場を白けさせてしまったかもしれない。とはいえこの問答は、お梶の方の賢さはもとより、塩の大切さを伝える上での興味深いエピソードであることは疑うべくもないことだ。
塩作りの現場レポート
@ Maldon
「モルドンの塩」ができるまで
原料は、町に流れ込む入り江の潮の干満によって塩分濃度が高まった海水のみ。そこから添加物等は一切加えられず、我々の食卓までやってくる「モルドンの塩」。その天然塩が、今や多くのセレブリティ・シェフをして「モルドンの塩でなくては!」と言わしめている。それは一体なぜなのか? その答えを探るべく、10月初旬、吹き去る風に秋の気配を感じつつ、取材班はエセックス・モルドンに向かった。① 海水を貯める

② 蒸発
泥や堆積物がろ過された海水を、工場内にあるステンレス製の平釜に移す。温度調整しながら15時間程熱を加え、ゆっくりと蒸発させる。海水が蒸発し始めると表面に塩の結晶がはなびらのように浮かび上がってくる。水分の蒸発が進むうちに、大きくなっていく結晶がその重みで水中に沈み、平釜の底に溜まっていく。
③ 塩のくみあげ
専用の熊手で底に溜まった塩をくみ上げていく。毎朝7時から工場内にある19基の平釜の塩をくみ上げる。単純そうな作業に見えるが、くみ上げるタイミングや力の加減など、熟練の技術が必要という。ちなみに写真のガリーさんはモルドン社で16年間働くベテラン塩職人。2人の職人で交代でくみ上げを行っている。
④ 乾燥準備
くみ上げた塩を一旦大きな容器に移す。
⑤ 乾燥
乾燥機に入れて塩をしっかりと乾燥させる。
⑥ 選別

⑦ パッキング
機械が正確に一箱につき250グラムを測って箱詰めしていく。
⑧ 出来上がり

■チーム・モルドン

モルドン社のスタッフたちは全部で14名。現在、代表を務めるのはスティーブン・オズボーン Steven Osborne氏(写真右から3人目)。スタッフたちは皆長年モルドン社に勤めているそうで、家族のようなチームワークで塩作りに携わっている。

Wycke Hill Business Park,
Maldon, Essex, England, CM9 6UZ
Tel: 01621 853 315
Fax: 01621 858 191
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*工場の一般見学は不可
*Maldon: 日本では「マルドン」の表記が多く使われているが、本稿では英語の発音に近い「モルドン」で統一した。
週刊ジャーニー No.603(2009年12月3日)掲載