沈泥に守られた右舷

 船体を引き上げるにあたり、泥を取り除き、中にある装備品や遺留品を一つひとつ取り上げる作業が行われた。沈没後、長い時間をかけてデッキや船室などが泥によって埋め尽くされていたのだ。船は水面から14メートルの海底で静止していたが、最下層のデッキともなると、泥の深さはおよそ4メートルに達した。
400年以上も前に海の底へと沈んだ木造船の一部が、なぜ残っていたのかは、ここに理由を見ることができる。メアリー・ローズは船首に向かって右側から沈没して海底に埋まった。潮の影響で泥が船内に流れ込んで積み重なっていったことで、酸素濃度が低下し、バクテリアなどの増殖が抑えられ、右舷や船内備品の数々が腐敗をまぬがれることとなり、全体の3分の1程度が生き残っていた。ただ、残念ながら埋まることのなかった部分は侵食され、400年という歳月に飲み込まれてしまった。
泥に保護されていたとはいえ、全体的にもろくなっていることが十分に考えられるため、作業は綿密さを要した。万が一、実行不可能と判断された場合のことも考え、後戻りできる道筋も考慮に入れながら慎重に行われた。つまり、資金が不足した場合や技術が及ばないときは、元のように海底に埋め戻すことも思案されたのだった。
引き上げ方法の検討や詳細の調査など、準備が着々と整えられた1982年10月11日午前9時3分。チャールズ皇太子をはじめ、ダイバー、考古学者、科学者など数多くの関係者が固唾を飲んで見守る中、メアリー・ローズはようやく海面から顔をだしたのだった。見物に集まった無数の船の汽笛や、人々が沈没を見届けたサウスシー・キャッスルからは礼砲が鳴り響き、歴史的な瞬間が刻まれた。船体は、吊り上げるための保護枠に挟まれていたため、その全体像をしっかりと見ることはできなかったが、チューダー朝時代の船の引き上げに、テレビ中継を通して英国内外の多くの人々が歓喜した。

 



1982年10月11日、海底に埋まっていた船体部分は、
エアクッションつきの保護枠(黄色い部分)に支えられ、
引き上げられた。© The Mary Rose Trust

 

骨は語る


最も一般的な個人の遺留品、つげ櫛。82本が見つかっている。細かい方がシラミ取り用で、粗い方が整髪用。© The Mary Rose Trust
 沈没から437年の時を経て、ようやくポーツマスへと『帰還』を果たしたメアリー・ローズについては、以来、最先端技術を駆使しての調査が進められた。発見から引き上げまでがひとつのロマンなら、それを後世に残すための地道な研究と努力も、熱い情熱の賜物といえるだろう。
長い間海底の泥に保護されていた船体を取り巻く環境を突然変えることは、少なからぬ負担を与えることになる。木材の変形や崩壊なども十分に考えられることだ。
保存のために、まずは400年かけて木材にしみ込んだ塩分を洗い流す作業が行われた。一日のうち数時間を除いて常に水が噴霧され、これは12年にわたって続けられた。塩分が減ったことが確認されると、今度は一般的に木材保存に用いられるポリエチレン・グリコールを使った木材内部の補強へと進んだ。目に見える劇的な変化が日々起こるわけではない、気の遠くなるような一連の工程が、毎日コツコツと継続された。ガラス越しではあるが一般の人でもその様子を目にすることができ、メアリー・ローズは人々に見守られながら、補強されていった。
そして現在、保護プログラムも最終段階に入っている。木材の乾燥が行われており、完了予定は2017年。帰還して35年となるその頃には、見学者と船を隔てるガラスは取り払われ、私たちはじかに目にすることができるようになるという。
建造から450年以上が経過したこの戦艦を見事に展示するスペースが、今年5月に2700万ポンドをかけて改装され、再オープンしたメアリー・ローズ博物館だ。
入場ゲートを抜けると、海底を思わせるような、照明をおさえたほの暗い空間でメアリー・ローズの世界が始まる。
館内は、3フロアにわたる展示となっており、各階には船に沿った長い通路とそこに窓ガラスが設けられ、補強作業中の船体をそれぞれの高さからガラス窓越しに望むことができる。示された見学順路に従って進むと、中盤で、最下階から最上階へとエレベーターで移動することになるのだが、そこからの眺めは特別だ。エレベーターには船に向かって大きなガラス窓があり、上へ移動しながら、船底から上部デッキにかけてのダイナミックな眺めを楽しむことができる。
引き上げられた1万9000ほどの装具や遺留品は、海底で泥に守られていたおかげで状態がよく、多くのことを語ってくれる。その研究にも目を見張るものがある。たとえば、遺骨が発掘された位置や骨の形状、所持品を元に、その人物が船の中でどういった役目を果たしていたかが分析されているほか、頭蓋骨から生前の顔を割り出し、模型までも作成されている。ある遺骸は、料理人と推定され、所持品に記された文字から類推される本人の名前とともに紹介されていた。これらの親しみやすい展示手法に、同博物館と研究者らの同船に対する熱い思いを感じることができた。
さらに、いつ終わるとも知れぬ戦いにおいて、船は戦場であるとともに生活の場。食料の残骸が示す彼らの食生活、演奏した楽器の音色、 身につけていた服、靴、整髪あるいはシラミ取りに使われた櫛、酒を携帯するためのフラスク(水筒)など、展示品は実に多岐にわたり、 16世紀の船での生活を肌で感じることができるだろう。

 





上/遺骨と人体模型。179体の遺骨が見つかっている。
すべて男性で、8割が30歳以下、わずか13歳の乗組員も含まれていたと考えられている。
下/見学通路のガラス窓から見た作業中の船体。