悲劇のバトル・オブ・ソレント
メアリー・ローズが文字通りに日の目を見るまでにはあと100年ほど待たなければならない。その引き上げプロジェクトへと話を進める前に、まずはこの船が建造された経緯や歩み、謎が残る沈没の原因に触れておきたい。
物語は1509年にさかのぼる。ヘンリー8世は父ヘンリー7世の死を受け、イングランド王に即位し、海上防衛を強化する必要性を感じていた。その頃のヨーロッパでは絶えず複雑な勢力争いが繰り広げられていたことに加え、イングランド王の座をめぐって行われた薔薇戦争(1455~85年)で、父ヘンリー7世がフランスでの亡命生活にピリオドを打ち、イングランドに海路で戻り、王座を獲得していたからだ。ヘンリー8世はその過去に学び、海からの侵略を防ぐため、海軍の拡張に乗り出した。
手始めに、即位後すぐに2つの軍艦を建造することを命じている。ひとつはロンドン南西部のウリッジで造船された巨大な木造帆船アンリ・グラサデューenr race ie(通称グレート・ハリーrea arr)。そしてそれに次ぐ強力で大型の木造帆船がポーツマスで建造され、1511年に完成した。ヘンリー8世最愛の妹メアリーの名がつけられた「メアリー・ローズ」である。
イングランドは、1534年にヘンリー8世の離婚問題からローマ・カトリック教会を離反して以来、ヨーロッパで孤立していた。そんな中で、反フランスの旗印のもと、神聖ローマ帝国と結んでいた同盟が破綻すると、かねてより虎視眈々とイングランドを狙っていたフランスは、この好機を生かす手に出る。1545年7月19日、200隻超、3万人の規模でポーツマス・ソレント海峡に大挙して押し寄せてきていた。「バトル・オブ・ソレント」と呼ばれるこの戦いは、歴史を動かすほど重要な意味をもたらした戦闘ではないが、メアリー・ローズにとっては一大事件となる。
ヘンリー8世は、交戦に備え、地上部隊をポーツマス南端の要塞サウスシー・キャッスル近くに待機させ、海上にはメアリー・ローズを含む船団を配備していた。港への水路は狭く、また地上部隊からの砲撃を前に、フランス軍はやすやすと侵入できないでいた。
前日は両軍による砲撃が連続して行われたが、ともに進展は得られず、この日、錨を下ろした両船団は、互いを牽制するかのように静かに停泊し、膠着状態にあった。ところが、4隻のガレー船(主に人力で進み、帆船に比べて機動性に優れた軍艦)がフランス軍の隊を離れ、正面に積んだ大砲を放ちながらイングランド軍に向かって漕ぎ出し、戦いを仕掛けてきたのだ。応戦しようとしたそのときだった。メアリー・ローズが突然、傾き始めたのである。まわりに控えていた艦船や、陸上のイングランド軍が呆然と見守る中、500名を超す乗組員を乗せたまま、船は海の底へと引きずりこまれていった。
王位の権力を誇示する軍艦が沈むという悲劇は、戦況を見守っていたヘンリー8世のまさに目と鼻の先、陸からわずか1マイル(1・6キロ)ほどの距離で起こったばかりか、助けを求める阿鼻叫喚の声が岸にいる人の耳にまで届いてきたという。しかし陸からなすすべはなく、メアリー・ローズはいとも簡単に沈んでいったのだった。
| 天然の良港ポーツマスを一望できる スピネカー・タワー |
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