
■ 第180話 ■ヴィクトリア女王、裏の顔 その1
▶1815年、イギリスがワーテルローでナポレオンを粉砕したことでイギリスは当面、強敵不在となった。ドイツ統一は先のお話。南下を目論むロシアもクリミア戦争でぶっ叩いた。第一次世界大戦が勃発する1914年までの100年は「帝国の世紀(imperial century)」と呼ばれ、植民地の約4億人が大英帝国に組み入れられた。世界最強イギリス海軍がオラオラ系世界警察になったことで世界には相対的に平和な時代が訪れた。いわゆるパクス・ブリタニカの時代だ。ヴィクトリア女王(1819年~1901年)はまさにその100年の中、81年を生きた。
▶ヴィクトリア女王。身長5フィート(152センチ)と小柄だった。英国内あちこちに銅像が立っている。「銅像になる人偉い人」は幻想だ。銅像は置き場所さえ考えなきゃ金次第で誰だって作れる。エリザベス女王が亡くなって以降の英王室内のゴタゴタは見ていて切ない。しかし昔の王室のゴタゴタぶりはこんな生易しいもんじゃなかった。王もダメなら皇太子もダメ、王位を継げない次男、三男などの王子たちにもろくでもないのがワンサカいた。筆者の中で極道No.1はハノーバー朝4代目、ジョージ4世だ。この王の皇太子時代の素行の悪さは既に当欄で取り上げた。快楽王、放蕩王、最低王と呼ばれ、死んだときに国民は小躍り。しかし摂政時代に作らせたリージェンツパークやリージェントストリート、ブライトンのロイヤル・パビリオンなどは今となっては良質な遺産だ。こんなのが長男だから弟たちも酷かった。ヴィクトリア女王の父ケント公エドワード・オーガスタスはジョージ4世の弟。彼の上にまだ二人の兄がいたため王位継承順は4番目。彼もまた放蕩三昧の生活をして莫大な借金を背負う放蕩王子だった。

▶長兄ジョージ4世は早くから王妃と別居していた。愛人に産ませた子はいっぱいいたけど別居妻とエッチしないから跡取りなし。2番目の弟も同じ。3番目のウィリアム(後のウィリアム4世)はまともな人物だったが、彼もまた子に恵まれなかった。ジョージ4世は焦った。そこで独身だった弟のケント公に「お前、結婚して子ども作ったら借金返済手伝ってやる」と囁いた。ケント公有頂天。ドイツから位の高い未亡人ヴィクトリアを呼び寄せて結婚。2人の間に後の女王、ヴィクトリアが誕生した。ケント公はヴィクトリアが生まれて8ヵ月後に急逝。未亡人となった母親のヴィクトリアはドイツに帰る選択肢もあったが、娘が君主になる可能性に賭け、残留を決めた。娘が女王になったらいいこと一杯起こりそう。野心家の瞳ギラリ。「アホ王子たちと付き合ったらアホうつる」として娘を王室ブラザーズから遠ざけた。そのくせ積極的に政治に介入して義兄たちを激怒させた。母は王室から疎まれた。
▶母ヴィクトリアの増長ぶりが目立つようになってきた。個人旅行を公務だと主張して旅費をせびった。ヴィクトリアのために祝砲を鳴らせと迫って陸軍を困らせた。ウィリアム4世は死の床で「姪のヴィクトリアが成人するまで死ねん。でないとあの女(母親)が摂政になってしまう」と胃を痛めた。願い叶い、ウィリアム4世はヴィクトリアが18歳となり成人した1ヵ月後に崩御。こうしてヴィクトリア女王が誕生した。金銭感覚麻痺した愚父と野心家の母のDNAをしっかり引き継ぎ、18歳の若さで大英帝国の女王となったヴィクトリア。いい君主になる要素ゼロを確信したところで次号に続く。チャンネルはそのままだ。
週刊ジャーニー No.1302(2023年8月3日)掲載
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