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■ 第181話 ■ヴィクトリア女王、裏の顔 その2

▶1837年6月、ヴィクトリアが18歳で女王となった。2年後、早くも国政を揺るがす「事件」を引き起こす。この時、英政府与党はホイッグ党。党首は還暦間近のイケメン、メルバーン子爵。生後数ヵ月で父を亡くしたヴィクトリアは知的で物腰柔らかなこのおじ様が大好き。女王は子爵を私設秘書のようにそばに置いた。2人は多くの時間を一緒に過ごした。ヴィクトリアは日記に「彼がそばに控えているだけで安心できるわ」と書き残した。日記は「メルバーン卿」や「M卿」の文字で溢れた。

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▶前君主(ウィリアム4世)死去に伴って総選挙が行われて勝利したホイッグ党だったが、この時、他の政党との対抗関係からライバル、野党トーリー党とは微妙な互助関係にあった。1839年5月7日、メルバーン卿が議会に提出したジャマイカの奴隷制度廃止法案がわずか5票差で庶民院を通過。自らの求心力低下を悟った子爵。この日ヴィクトリアに辞表を提出した。メルバーン卿が女王のそばにべったり居られるのも卿が首相なればこそ。辞任すれば蚊帳の外、ただのおいちゃん。動揺したのはヴィクトリアの方。「いやじゃ、いやじゃ」と激しく泣き崩れた。怪しい。とても怪しい。

▶メルバーン卿は後任にライバルであるトーリー党のウェリントン公爵を推挙した。しかしウェリントン公は高齢を理由にこれを辞退。代わりに同党のロバート・ピールを推薦した。ヴィクトリアは「今後もメルバーン卿に会って色々相談してもいいでしょ? ねっ、ねっ!?」と迫った。ピールは「野党党首が君主の顧問になるなんて前代未聞。ダメ~」とこれを拒絶。当然だ。しかしヴィクトリアは「私、あんたのこと嫌い。大っ嫌い」になっちゃった19の春。

ヴィクトリア女王とマルバーン子爵
24歳のヴィクトリア女王とマルバーン子爵ですが、何か?

▶女王の寝室女官は大方がホイッグ党国会議員の妻たちで占められていた。君主が男性の場合は与党議員が、女性君主の場合は与党議員の妻たちが君主の周囲を固め、話し相手になるのが習わしだった。ピールはホイッグ党議員の妻たちで占められていた寝室女官のうち数名をトーリー党議員の妻に入れ替える極めて妥当な人事異動を行おうとした。するとヴィクトリアは「女王女官の人事は私的人事」と主張して政府の介入を拒絶。ピールとガチンコで激突した。ウェリントン公が間に入って説得を試みたがヴィクトリアは「自分の息のかかった連中を私のそばに置きたがるなんて、弱っちぃ奴」とピールを罵った。ワーテルローの戦いでナポレオンをセントヘレナ島までブッ飛ばした名将ウェリントン公も19歳のワガママ娘に白旗パタパタ。ピールも「もう無理。あんた続けて」とメルバーン卿に与党と首相の座を突っ返した。結局、メルバーン卿の首相続投が決まった。ヴィクトリアは勝ち誇り、国民は激怒した。この出来事は「寝室女官危機(bedchamber crisis)」と呼ばれ、当のヴィクトリアすら晩年に振り返って恥じた出来事。

▶この事件をきっかけに周囲では「あのじゃじゃ馬を扱える男をあてがった方がいい」として婿探しが本格化。ヴィクトリアは「結婚なんてする気、ありませ~ん」と公言していたが同年10月、ドイツの貴公子アルバートと会って一目ぼれ。逆プロポーズした。翌1840年2月10日、2人は結婚した。前号からここまで、この女王に好意を寄せるの、個人的に無理。このスピード婚からわずか4ヵ月後、イギリスは清に正義なき戦い、アヘン戦争を仕掛けることになる。英政府と英王室、暴走したまま次号に続く。チャンネルはそのままだ。

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週刊ジャーニー No.1303(2023年8月10日)掲載

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