■ 第81話 ■坂本竜馬、結局何者?
▼司馬遼太郎著の『竜馬がゆく』を読んだ人は多いだろう。私も何度も読んだ。でも『竜馬がゆく』はあくまでも歴史小説であってドキュメンタリーではない。ところがあまりにも竜馬が魅力的に描かれているため、あれこそ坂本竜馬だと信じている人も多い。なので司馬竜馬と異なる竜馬像を描くとウザがられる。
▼幕末、開港したばかりの横浜に一番乗りした英ジャーディン・マセソン商会が英ロスチャイルド家の代理店となったことは前号で述べた。ロスチャイルド家はイギリスにいながらにして幕末の日本の状況をほぼ把握していた。竜馬には昔から外国資本の手先だったという噂がついてまわるけど、竜馬人気がスゴ過ぎて「手先説」はいつだって一笑に付されてきた。しかし竜馬がロスチャイルド家の目となり耳となって暗躍していたジャーディン・マセソン商会やグラバー商会の代理人だったと仮定して観察すると、彼の突飛とも思える発想や行動からにじむほとんどの意外性や神秘性は途端に色褪せる。犬猿の仲だった薩長を同盟させて倒幕に向かわせ、武器弾薬や艦船をお買い上げいただいて毎度あり。ついでに幕府側にも売りつけて毎度あり。内戦となって日本が焦土と化し、薩長が勝てば瓦礫の中から誕生する新政府はロスチャイルド家が自在に操れるマリオネット状態になって毎度あり。竜馬とはそういったシナリオの中の一つの駒に過ぎなかった可能性が高い。
▼坂本竜馬は土佐脱藩浪士の身でありながら薩長同盟や大政奉還に深く関与し、いろは丸沈没という海難事故が起きた際には日本語に翻訳されてからまだ日の浅い「万国公法(International Law)」を盾に事故相手の紀州藩側の過失を追求し、多額の賠償金をせしめることに成功した。スゴイ。いや、スゴ過ぎないか? 一体いつ国際法なんか勉強したんだ? 極めつけは船中八策。竜馬が起草したと言われる新国家体制の基本方針だが、第2項には「上下両院の設置による議会政治」とある。それって欧米の議会そのものじゃん。数百年に渡って幕府が国を治めてきた日本にあって、議会制すら新しいのに、まだ貴族も華族も存在しない日本で上下二院制なんて思いつくものか? しかし竜馬がジャーディン・マセソン商会やグラバーらイギリス人から色々と入れ知恵され、それに乗っかって欧米式の新国家を作ろうとしていたと仮定すると個人的には「ああ、なるほどね」に妙に納得できちゃう。さらに言えば、これは竜馬も気づいていなかったと思うが、何者かが極東にイギリス、もしくはロスチャイルド家に好都合な資本主義国家を作り、アジア支配の足掛かりにしようとした。そしてそれを成し遂げるために竜馬や海援隊を最大限に活用した、と考えるのは神様、司馬様、行き過ぎた妄想でしょうか。
▼それがただの妄想に聞こえなくなる話がある。1853年、ペリー提督がやって来て日本を無理やり開国させた。ペリーの娘キャロラインはその4年前にオーガスタ・ベルモントという男と結婚した。ベルモントはフランクフルトのロスチャイルド銀行で修業を積んだユダヤ人。ロスチャイルドに見込まれて24歳の時にアメリカに送り込まれ、同家の代理人として活動。ロスチャイルド家の米国進出に大いに貢献した超大物金融家であり政治家だ。ペリーも娘婿を通じてロスチャイルド家としっかり繋がっていた。つまりロスチャイルド家は幕末、西と東から、ほぼ同時期に日本に迫っていたことになる。あわあわしたところで次号に続く。チャンネルはそのままだぜ。
週刊ジャーニー No.1201(2021年8月12日)掲載
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