お姫様が運んだ喫茶習慣
お茶を飲む習慣を英国で始めたのは、ポルトガル王女キャサリンと言われている。
1662年に英国王チャールズ2世に嫁いだキャサリンは、当時は貴重品だった砂糖と、中国のお茶を大量に持参。砂糖を入れてお茶を飲むという喫茶方法を英宮廷に紹介したのだった。
中国で数千年の昔から、不老長寿の薬とされたというお茶は、英国でも、最初は東洋の秘薬として扱われた。それを日常的に、しかも、その頃やはり貴重品だった砂糖まで入れて飲むのは大変贅沢なことだった。
また、お茶をいれる行為そのものが目新しかった当時、今以上に優雅なものと感じられたに違いない。高価なポットにお湯を入れ、茶葉が蒸れるのを待って、繊細なデザインのカップに注ぐのは、いかにも王女らしい作法に見えたことだろう。
王族同士の結婚には、両国の政治的思惑が絡んだ。キャサリンの結婚も、スペインからの独立を目指して交戦状態にあったポルトガルが、英国との軍事協力を目論んでのことだった。勢いを強めていた英国に嫁がされたキャサリンが、引け目を感じていたとしても不思議ではなく、豪勢な持参品の数々をこれみよがしに披露しての喫茶で、溜飲(りゅういん)を下げていたのかもしれない。
キャサリンとチャールズの夫妻は子宝に恵まれず、結局、王位はチャールズの弟ジェームズに譲られることになる。子供ができない不満をはらすようにチャールズは愛人を複数囲った。また、英語を話さない王妃キャサリンは国民には不人気であり、夫であるチャールズにもかえりみられず、孤独な日々を送らざるを得なかったと思われる。甘いお茶を飲む一時は、キャサリンのなぐさめともなったのだろう。

チャールズ2世の王妃、キャサリンCatherine of Braganza
(1638~1705,ポルトガル語ではCatarina Henriqueta)
革命もお茶普及に一役
無血クーデターとして名高い1668年の名誉革命も、お茶の普及に一役買った。
前述したとおり、チャールズの後に王位を継いだジェームズ2世だが、カトリックへの傾倒が大きな反発を招き、王の座から追放されてしまう。
熱心なカトリック教徒で、スペイン王フェリペ2世と結婚したばかりか、イングランドのプロテスタント教徒を厳しく弾圧したメアリー1世の記憶が、まだ生々しかったことから、英議会ではカトリック寄りの王が危険視されたのである。
そして、ジェームズ2世の跡を継いだ新統治者とともにもたらされたのが、オランダ式のお茶を飲む習慣だった。
新しく玉座に就いたのは、ジェームズ2世の娘メアリー(メアリー2世として即位)と、その夫でウィリアム3世を名乗ったオランダ出身のオレンジ公ウィリアムの2人。英国を共同統治することになったこの夫妻は、オランダでの喫茶習慣を、そのまま英国に持ち込んだ。オランダは当時、海上貿易が盛んで、お茶も英国よりひろく出回っていた。
チャールズ2世の妻キャサリンが初めて紹介したお茶は、こうしてメアリー2世とウィリアム3世によって英宮廷に定着するようになる。特に18世紀に王位についたアン女王はお茶好きで知られ、同女王は、朝食時、紅茶を飲むことを常とした。今となっては、朝食に紅茶は当たり前だが、その頃の朝食時に一般的な飲み物といえば、なんとビールだったという。
クイーン・アン・スタイルと呼ばれる、ロココ様式の影響を受けた家具や建築が流行したアン女王の時代、優美な曲線を描く椅子やテーブルの並ぶ宮殿内で、お茶会も催されたことだろう。
しかし、東方の珍品であったお茶を飲む習慣は、まだまだ高貴な人々だけのものだった。

茶葉によって色が異なる。左から緑茶(番茶)、ウーロン茶、紅茶(アッサム)。©Haneburger


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