イーストエンドの悪名高き双子ギャング クレイ兄弟
双子のレジー・クレイ(左)とロニー・クレイ(右)。

■1960年代のロンドンの裏社会で活躍した双子のギャング、クレイ兄弟。凶悪犯罪に手を染めながらも、ナイトクラブを経営して著名人や政治家と親交を持ち、「セレブリティ」として一世を風靡。その死から20年以上が経過した現在でも、伝説のギャングとしてテレビドラマや映画に取り上げられている。今回は、このクレイ兄弟に焦点をあててみたい。

●サバイバー●取材・執筆/名取由恵・本誌編集部

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ボクサーを目指した イースト・エンダーズ

2000年10月10日、レジー・クレイの棺を載せた6頭立ての霊柩馬車が、東ロンドンのセント・マシュー教会に向かって、ベスナル・グリーン・ロードを進んでいた。棺には白い花々で形作られた「FREE AT LAST(やっと自由になった)」という文字が飾られ、沿道では最後の別れを告げる多くの市民が見守っている。やがて、葬列はヴァランス・ロードに入る。クレイ兄弟の伝説は、ここから始まった。

1933年10月24日、東ロンドンのホクストンで、レジナルド(通称レジーまたはレジ)とロナルド(通称ロニーまたはロン)の一卵性双生児が誕生する。ジプシーの血筋を持ち古着取引業を営む父親チャールズ、ユダヤ系の血を引く母親ヴァイオレット、そして双子には6歳上の兄チャールズ・ジュニアがいた。双子は3歳のときにジフテリアで入院。レジーは元気になったもののロニーは重症のまま良くならず、見かねた母親がロニーを自宅へ無理矢理連れ帰り、すでに退院していたレジーの側で看病したところ、すぐに回復したという話があるほど、双子の絆は強かった。

現在のVallance Road 178番地。住宅はすっかり建て替えられており、クレイ一家が暮らしていた頃の面影はない。

レジーとロニーが5歳のとき、一家はベスナル・グリーンのヴァランス・ロード178番地に引っ越す。同じ通りには母の両親、姉妹も住んでいた。父チャールズは不在がちだったが、兄弟は典型的な下町の母親であるヴァイオレットを崇拝し、伯母ローズと叔母メイからも強い影響を受けて育っていった。やがて2人は祖父の影響でボクシングを始め、アマチュアボクサーとしてめきめきと腕をあげていく。その一方で、地元ギャングとトラブルになることも多く、双子はケンカするのも逮捕されるのも一緒、常に行動を共にしていた。

18歳になると、兵役義務で徴兵されたが、脱走したり暴行をはたらいたりを繰り返し、2年の兵役期間のほとんどを営倉で過ごしている。結局、懲戒除隊となって前科者に名を連ねたことでプロボクサーとなる夢も絶たれてしまい、2人は本格的に犯罪の世界へ足を踏み入れることになる。

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時代が後押しした アンタッチャブルな存在

当時のロンドンでは、パブや店舗の経営者が地域のギャングに「みかじめ料」を払い、問題が起きたら解決してもらうのが当たり前。ナイトクラブの用心棒からスタートしたクレイ兄弟は、マイルエンドのスヌーカークラブ「ザ・リーガル」を拠点とし、「ファーム(The Firm)」と呼ばれるギャング集団を率いて、強盗、恐喝、暴行など組織的犯罪に次々と手を染めていく。やがて米国のマフィアとも手を組み、彼らの「帝国」を築きあげていった。

双子といっても、レジーとロニーの性格はまったく異なっていた。レジーは頭脳明晰、ビジネスセンスにもたけていたが、一方のロニーはアル・カポネなど米マフィアに憧れ、キレると手がつけられないほどに暴れた。さらに精神不安定で、サイコパス的な面もあった。しかし、共に容赦ないほどに暴力的であることに違いはなかった。ボクサーを目指していただけあり、殴り合いに強かったのは言うまでもないが、ピストル、ショットガン、クロスボウ、ナックルダスター(握りこぶしにはめる帯状金属)、サーベル、銃剣など様々な凶器も頻繁に使用していた。

1956年、ロニーが傷害事件で3年の服役が決まり、その間はレジーがファームを仕切ることになる。この頃からロニーは精神不安定が顕著になり、統合失調症と診断されている。

ロニーが不在の間、レジーは商才を発揮。1960年、西ロンドンのナイツブリッジにあるカジノクラブ「エズメラーダズ・バーン」を買収し、ここからウエストエンドへ進出することになる。彼らが目指していたのは単なるチンピラではなく、「ギャングスター」だったのだ。

1960年代といえば、ファッション、音楽、映画などの文化が盛り上がり、世界の流行の発信地となった「ス ウィンギン・ロンドン」の時代だ。クレイ兄弟はナイトクラブやカジノの経営者として、芸能界から政財界まで人脈を広げ、セレブリティとして一躍名を馳せていった。彼らと親交があったのは、フランク・シナトラ、ジュディ・ガーランド、シャーリー・バッシー、クリフ・リチャード、バーバラ・ウィンザーなど、数え上げれば切りがない。また、人気写真家のデイヴィッド・ベイリーの被写体にもなり、「メディアの寵児」として常に注目される存在となった。

1965年4月、レジーは部下の妹フランシス・シェイと結婚。双子の強固な絆に邪魔者が入ったと思ったのであろうか、ロニーは強く嫉妬した。犯罪を嫌悪するフランシスの影響もあって、レジーは合法ビジネスの実業家を目指すようになるが、「クレイ帝国」のリーダーが悪事から抜け出すのは簡単なことではない。結婚からわずか2年、絶望したフランシスは薬の過剰摂取で自殺を遂げている。

一方、ロニーはゲイ(本人曰くバイセクシュアル)だったが、当時の英国では同性愛は違法とみなされていたため、度々問題が起きた。とくに、ロニーと保守党の政治家、ブースビー卿が性的関係を結んだと「サンデー・ミラー」紙が報道したときには大きな話題となるかに思われたが、政治スキャンダルを恐れた当時の首相の協力を得て、事件はもみ消されている。これ以降、マスコミがクレイ兄弟の犯罪行為を取り上げることはなかった。

そもそもイーストエンドでは、昔から犯罪が起きても「警察は関与しない」という暗黙のルールがあり、またファームからの報復を恐れて、市民が双子について警察に証言をすることはなかった。法をも恐れぬ兄弟は、警察や政治家も手が出せない「アンタッチャブルな存在」だったのだ。

帝国の瓦解と終焉

敵対する南ロンドンのギャング・メンバーを、ロニーが銃殺したパブ「ブラインド・ベガー」(中央の赤レンガの建物)。 © David Williams

しかしながら、1960年代後半になると、兄弟の暴走が制御不能となり、セレブの顔の裏に隠されていた暴力的な面が明らかになっていく。逮捕の決め手となったのは、ある2人の男の殺害である。

1966年3月9日、ロニーがホワイトチャペルのパブ「ブラインド・ベガー」で、敵対する南ロンドンのギャング「リチャードソン」一味のメンバー、ジョージ・コーネルの額をピストルで撃ち抜いて殺害。コーネルから「デブのホモ野郎!」と言われたことが原因だった。

翌1967年10月、今度はレジーがストーク・オン・トレントで開かれたホームパーティーで、ファームの手下であるジャック・マクヴィティを誘き出して惨殺。普段から双子に不満を持っていたマクヴィティは、ファームの会計士であるレズリー・ペインの殺害を命じられたものの、実行に失敗していた。羽交い締めにされたマクヴィティの頭にレジーは銃口を突きつけたもののなぜか発砲できず、代わりにナイフで顔、胸、腹をめった刺しにした。手を下したのはレジーだったが、マクヴィティ殺害を唆したのはロニーといわれている。妻フランシスの自殺からわずか4ヵ月後のことで、自暴自棄になっていたのかもしれない。

暴力沙汰は日常茶飯事だったが、ついに殺人に手を染めたことで、とうとう警察も動き出す。中心になったのはロンドン警視庁のニッパー・リード警視だ。リード警視は1960年代はじめからクレイ兄弟を執念深く追い続け、逮捕の機会を虎視眈々と狙っており、ついにそのチャンスが訪れたのである。

そして1968年5月8日、おとり捜査の成功もあって十分な証拠が集まり、兄弟とファームのメンバー24人を逮捕。ファームのメンバーと「証言すれば刑を軽くする」と取引した結果、犯罪の全貌が白日の下にさらされた。レジーとロニーは有罪となり、「30年は恩赦なし」の終身刑が言い渡されている。

統合失調症が悪化したロニーは、バークシャーにある精神病院に送られ、そこで終生を過ごした。1995年3月17日、心臓発作のため死亡。享年61だった。

レジーは様々な刑務所を転々とするが、2000年に末期の膀胱ガンと診断され、同年8月に釈放されている。獄中結婚した妻のロバータと共にノーフォークのホテルで残りわずかな日々を過ごし、10月1日に死去した。享年66だった。

レジェンドになった双子

クレイ兄弟が暗躍した時期は、実はそれほど長くない。それなのに瞬く間に伝説的人物になったのは、なぜだろうか。

おそらくレジーとロニーが双子だったことは大きいだろう。切っても切れない絆で結ばれ、ときにはライバル、ときには親友として、良くも悪くも相乗効果で、一人だけでは実現不可能なことをやり遂げ、誰にも止められない無敵の存在にのしあがっていく彼らを「カリスマ」として見る者も少なくなかった。

さらに、兄弟がイーストエンド出身だったことも重要だ。この地域は「切り裂きジャック事件」の舞台になったように、昔から下層階級や移民が多く住み、貧困、暴力、犯罪、売春は日常茶飯事だった。第二次世界大戦中のロンドン空襲を生き延びたイーストエンドの住民は、生きるためにはどんなことでもしなければならず、クレイ兄弟も自らの才能を使って、戦後の混乱期を成り上がっていったのである。彼らの「It's Us Against the World(世界と対決する俺たち2人)」のスタンスは、社会の下層で虐げられ不満を持つ人々にとって、自分たちの代わりに警察や政治家、上層階級にカウンターパンチを喰らわせてくれる存在だったのかもしれない。

しかしながら、2人のグラマラスな物語の裏に、数々の犯罪の被害者・犠牲者が存在し、善良な市民を恐怖に陥れたことも忘れてはならないだろう。

あれから50年以上が経ち、貧民窟のようだったイーストエンドも、今ではお洒落なトレンディ・スポットに生まれ変わった。レジーとロニーは、東ロンドンのチングフォード・マウント墓地に一緒に葬られ、愛する母のそばで静かな眠りについている。

チングフォード・マウント墓地。レジー&ロニーの墓(左奥)、兄の墓(中央奥)、両親の墓(左手前)、レジーの最初の妻フランシスの墓(右手前)。© Edwardx

映像のなかのクレイ兄弟

クレイ兄弟の生涯は、数々のドラマや映画、書籍の題材になっている。

2015年の映画「レジェンド 狂気の美学(Legend)」(ブライアン・ヘルゲランド監督)=写真右上=は、ジョン・ピアースンのノンフィクション小説を映像化。人気の英俳優のトム・ハーディが一人二役で、レジーとロニーを見事に演じわけたことが話題になった。冷静なレジーと暴れ者のロニーが共に破滅の道をたどっていく様子が描かれている。

少し古いが、1990年の映画「ザ・クレイズ/冷血の絆 (The Krays)」(ピーター・メダック監督)=写真右中央=では、1980年代に人気を集めたバンド「スパンダー・バレエ」のギャリーとマーティンのケンプ兄弟が双子に扮している。母親のヴァイオレットやその姉妹ローズやメイなど、クレイ家の女たちにも焦点をあてた人間ドラマだ。

また、2016年の映画「UKコネクション(The Rise And Fall Of The Krays)」(ザカリー・アドラー監督)=写真右下=でも、クレイ兄弟の凶暴ぶりをリアルに描いている。主演はサイモン・コットン、ケヴィン・レスリー。テーブルに貫通するまでナイフで手のひらを刺したり、日本刀で口を裂いたりなどの暴力シーンもあるので、ご注意を。

週刊ジャーニー No.1213(2021年11月4日)掲載