TPP参加
 の切り札 「戦艦バウンティ号叛乱」の舞台 英領ピトケアン諸島って、なに?

●サバイバー●取材・執筆/手島 功

英国は2020年末EUから完全に離脱。その直前、日本と経済連携協定(EPA)を締結した。EU以外のパートナー探しが急務の英国だが、つい先日、TPPへの参加を正式に申請した。ちょっと待った。TPPって、「Trans-Pacific Partnership Agreement」の略で和訳は「環太平洋パートナーシップ協定」だ。「Agreement」まで入れて「TPPA」にしなかったのはペンパイナッポーアッポーペンの「PPAP」とゴッチャになるからか? 太平洋に領土を持たない英国にTPP参加資格なんてあるの? あるらしい。資格のことではない。領土だ。どこに? 探してみたら確かに南太平洋に英領「ピトケアン諸島」なるものがあった。

赤い印がピトケアン諸島だ。太平洋のどれだけど真ん中にあるか、これで分かってもらえるだろう。

ピトケアン諸島とはニュージーランドから5300キロ東、南米チリの5000キロ西にポッカリ浮かぶ5つのちっちゃ~い島々だ。ピトケアン島だけが有人島。面積わずか4・7平方キロ。切り立った崖や周辺に岩礁が多いため大型船では接岸できない絶海の孤島だ。2020年度、島の人口わずかに50人。学校の1クラス程度しか人のいないミニサイズの島を武器に、英国は堂々とTPP参加を主張してくるつもりなのか。

ピトケアン島には15世紀くらいまでポリネシア人が住んでいた痕跡が残っているという。1767年、この時七つの海を制覇していた英国の軍艦がこの島を発見。最初に発見したのが15歳のスコットランド人海軍士官候補生、ロバート・ピトケアン(Robert Pitcairn)だったため、彼の名前がつけられた。飲み水の確保すら難しいこの諸島は有益と判断されず、捨て置かれた。ところがある事件によってピトケアンは突然、英国史の表舞台に引きずり出されることになる。

バウンティ号反乱の舞台

© Kowloonese

1787年、英国海軍はタヒチからカリブ海の島々にパンノキ=写真右=を運搬する任務を武装輸送船バウンティ号に与えた。バウンティ号には指揮官ウィリアム・ブライをはじめとする46名が乗船していた。パンノキとは英語名をブレッドフルーツ(breadfruit tree)といい、その実を焼くとパンのようになることからその名が付けられた。

ニューギニアやインドネシアなどに自生していたクワ科の植物だが、英仏両国はこのパンノキをカリブ海の島々に移植しようとした。入植者や奴隷の食料にするためだ。タヒチに到着したバウンティ号乗員らは出航までの5ヵ月間をタヒチで過ごした。この5ヵ月間が海の男たちには至福のひと時となったらしい。彼らはタヒチの陽気で平和的な文化に馴染み、現地の女性といい関係になる者も多かった。

1789年4月1日、大量のパンノキの苗木を搭載し、バウンティ号はカリブに向けて出航した。事件はその4週間後、現在のトンガ付近の海上で起きた。副官のフレッチャー・クリスチャンを首謀者とする乗組員たちの反乱だ。反乱者たちはブライ他18名を小さな救命ボートに押し込み、わずかな食料と飲み物を与えて追放した。ブライらは約6500キロほど西に漂流し、最後はオランダ人居留地(現ティモール)に辿り着いた。

乗員たちに反乱を起こされた、ウィリアム・ブライ
William Bligh(1754~1817)。

ブライは直ちに反乱者たちを追跡、捕縛するよう英政府に訴えた。一方のクリスチャンらは一度タヒチに戻り、反乱に同調しないクルーを降ろし、支持した8人の他、ポリネシア人男性6人、女性11人、そして乳児の女児1人を連れてタヒチを後にした。ポリネシアンの男は労働力として、女は慰みものとして利用するために拉致したと言われている。反乱は傲慢で暴力的な指揮官ブレアに副官のクリスチャンがブチ切れたとする説が有力だ。いずれにしても英海軍が追跡してくるのは必至だった。そのためクリスチャンらはまだ海図に載っていなかったピトケアン島を目指した。1790年1月15日、彼らは無事に島に辿り着き、積載してきた家畜やその他の物資を降ろした。追跡者に見つからないように、さらに逃亡者が出ないようにと湾内でバウンティ号に火を放った末、海底に沈めた。

男は1人になっていた

反乱を主導したフレッチャー・クリスチャン(Fletcher Christian、1764~ 1793)。

1808年、米捕鯨船の乗組員がピトケアン島に上陸し、数時間を過ごした。彼らは島の様子を英政府に報告した。1814年、2隻の英軍艦が現れ、上陸した。そこで反乱者の一人、ジョン・アダムズと、ポリネシア人女性10人、さらにその女性たちが産んだ英国人とのハーフの子供たち23人が発見された。アダムズには国王が署名した恩赦状が手渡された。アダムズが語ったところによると、バウンティ号が到着してしばらくすると英国人とポリネシア人の男たちの間で争いが起こり壮絶な殺し合いに発展した。まるで映画「バトル・ロワイヤル」の世界だ。男性の生存者はアダムズを含む英国人4人だけとなった。そのうちの一人は粗暴な厄介者だったため殺害。一人は自殺し、もう一人は喘息で死に、男はアダムズ一人になった。


生き残ったジョン・アダムズ(John Adams、1767~1829)。

アダムズは1829年に61歳で死んだ。同年、英国はピトケアン島を含む5つの島を英国領だと宣言。唯一の集落はアダムズの名にちなんでアダムズタウンと名付けられた。誰も異議を唱えなかったので1838年、英政府は公式にピトケアン諸島を植民地とした。こうして英国は特に他国と争うこともなく、太平洋に領土を獲得。英国にとっては反乱者がもたらした大変な幸運、儲けものだったと言える。この事件はのちに小説化されベストセラーとなった。また、何度か映画化もされ、マーロン・ブランドがフレッチャー・クリスチャンを演じた1962年の『戦艦バウンティ』(原題: Mutiny on the Bounty)はアカデミー賞作品賞にノミネートされた。

小さな島で起った不名誉な大事件

一時は脚光を浴びたピトケアン諸島だったが、やがてその存在は忘れられていった。ところが近年になって再びスポットライトが当たる大事件が起こってしまった。1999年、短期で島を訪れていた英国人の女性警官はある日、島の少女たちがほとんどの男性島民と性的関係を持っていると聞かされ、愕然とした。調査をした結果、少なくとも強姦罪21件、強制猥褻罪41件、14歳未満の少女への極めて悪質な猥褻罪2件が確認された。しかし島には行政機関がなく、5300キロ先のニュージーランドにピトケアン総督が置かれているだけだった。

ニュージーランドに戻った女性警官は総督にこの事実を報告した。これが事実なら「未成年女子に対する集団レイプ事件」となる。しかしそれは法治国家、英国の理屈だ。島民は全員が反乱者の子孫たち。伝統的に女性は第一子を12歳から15歳の間に出産するのが普通であり、年配の女性たちも「自分たちもそうだった。それが島の習わしだ」と回答した。絶海の孤島で数百年もの間、独自の文化と風習の中で生きてきた島民に英国の法律をそっくりあてはめるのは無理があった。しかしピトケアンが英国領である以上、英国民は英国の司法制度に従うべきとの判断を下した。ところが英国民と言う認識すら希薄な島民は「昔から続く島の風習であり、島民を英国の法律で裁くことは出来ない」と激しく抵抗した。

困難を極める決断

島民の抵抗にも関わらず、英政府は島民男性7名と、既に他の島に移住していた男性6名、合計13名を起訴した。7名というのは島の男性人口の約3割に相当した。しかもほぼ全員が働き盛りだった。島に拘置所や裁判所があるはずがなく、当然ながら検事も弁護士も裁判官もいない。最も近い裁判所はピトケアン総督が置かれたニュージーランドだが5000キロ以上離れている。彼らをニュージーランドに移送して裁判を受けさせるとなると島は働き手を失う。まして全員が有罪となり刑務所入りとなれば島の経済は立ちいかなくなる。

前例のない事態にすっかり困り果てた英政府は、最終的にピトケアン島で裁判を開くことを決めた。この時、島に送り込まれた司法関係者はニュージーランド人だった。英国領内で英国人が起こした事件を他国に委託して裁くという極めてへんてこりんな裁判となった。結局6人に有罪判決が下された。しかし急きょ建設が決まった刑務所はまだ出来上がっておらず、2005年に完成するまで被疑者らは島内で自由に暮らすことができた。2010年までに全員が刑期満了で出所した。

この事件をきっかけに英政府はピトケアン島を放置出来なくなり、島内のインフラ整備に注力し始めた。今では道路も舗装され、発電機が置かれて電気も通じている。衛星回線を使ったインターネットの普及率は100%。警察署と学校が作られ、それぞれ英国本土から派遣された警察官と教師が常駐している。前述のように刑務所もある。水は雨水が利用され、ガスもないが50人の住民に対するインフラとしては世界最高峰のレベルとも言える。

以上、英国がTPPに参加する資格を有していか否かが問われる中、「参加可」に向けて極めて説得力がありそうな理由を述べてきた。ところが実際はピトケアン諸島がなくとも英国はTPPに参加できることが分かった。なぜなら協定文には追加加入する際の条件としてAPEC(アジア太平洋経済協力)加盟国だけでなく「締約国が合意する他の国」と明記されているのだという。うへー。誰でも参加できるのか。これまでの熱い語りは一体何だったんだ。まあ、酒の席でのネタが1つ増えたと思ってお許しください。(了)

絶海の孤島ピトケアンを動画で旅しよう。

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週刊ジャーニー No.1175(2021年2月11日)掲載