2011年8月4日 No.688

●サバイバー●取材・執筆・写真/中小原和美・本誌編集部

 

蒸気機関車誕生への道

不遇の天才トレヴィシック

産業革命が進む19世紀前半、リバプールとマンチェスターの間で世界初の鉄道が開通した。
その立役者として知られるのが、「蒸気機関の父」ジェームズ・ワットと
「蒸気機関車(鉄道)の父」ジョージ・スティーブンソンだ。
だが、鉄道誕生に大きく貢献したにもかかわらず、2人の著名人たちの影に隠れ、
その存在を忘れられている人物がいる。
その男の名はリチャード・トレヴィシック。
時代に翻弄された彼の紆余曲折の人生を軸に、
リバプール~マンチェスター間に鉄道が走るまでの物語をお送りしたい。

 

「欧州の田舎」から「大英帝国」へ

 1830年9月15日。
新たな時代への幕開けの瞬間を一目見ようと、多くの人々がリバプールのエッジ・ヒル駅に集まり、駅周辺は異様な熱狂と興奮に包まれていた。今か今かと待ちわびるなか、甲高い汽笛が響きわたった。煙管から煙を勢いよく吐き出しながら、世界で最初の旅客輸送用の蒸気機関車が、リバプール・アンド・マンチェスター鉄道 The Liverpool and Manchester Railway(L&MR)の軌道に走り出していく。この機関車が目指す終着地点はマンチェスターのリバプール・ロード駅(現在のマンチェスター科学・産業博物館の一部にあたる)。大きな歓声に見送られながら約60キロ、4時間半の歴史的初運行が始まった。
鉄道が開通する前の英国には、ヨーロッパ大陸で実現されたような道路網の発達はほとんど見られず、川や運河を利用した水運が中心であった。高い山は少ないものの意外と起伏の多い国土を走り、さらに貴族の領地内を通るものが少なくないといった悪条件の重なる道路を整備するより、好条件の川を活用しようというのは当然の選択だったといえる。また、比較的温暖な気候をもつ英国では、川が一年を通してほとんど凍結することがないのも、この機運を後押ししたはずだ。
しかし、18世紀後半頃からの産業革命の夜明けとともに、海洋や河川の利便のない内陸部でも炭鉱の開発や工業化・都市化が進展し、物資などを大量輸送する必要性が高まっていった。そこで考え出されたのが、鉄道の開業であった。
「欧州の田舎」とさえ呼ばれていた英国が、産業革命以降、第二次世界大戦時まで世界一の隆盛を誇った背景には、こうした水運に取って代わる鉄道の発展が大きく関与している。そして、その産業革命の原動力となり、鉄道走行を可能にしたのが「蒸気機関」である。

 

蒸気機関の誕生と、 特許に執着する発明家

 蒸気機関とは、蒸気の圧力を機械的エネルギーに変換する原動機の一つで、ボイラーなどから発生させた高圧蒸気をシリンダー内に送り、その膨張によってピストンを動かし、往復運動へと導いて動力を得るものである。
それまで物を生産する場合、風車・水車の利用や牛馬など動物を使ってできる役務以外は、人間がこつこつと手作業で行っていた。しかし、この蒸気機関の開発によって、単純な反復作業などは機械で代用することができるようになった。つまり、蒸気機関は「人間に代わる労働力」を人類社会にもたらし、生産力が飛躍的に増したのである。 
なかでも、初期の蒸気機関は鉱山において大きな活躍をみせた。石炭を採掘する際、坑夫たちは炭坑に溜まった地下水の処理にいつも手を焼いていた。とくに降雨の多い英国では、岩盤を通して雨水が坑道まで染み出してきてしまうのだ。
この排水作業に役立ったのが、1712年にトーマス・ニューコメン(Thomas Newcomen 1664~1729)が完成させた、蒸気機関を用いた排水ポンプである。
蒸気機関のアイディア自体は古代アレクサンドリア時代からあったといわれるが、商業的に実用化されたのは、このニューコメンの蒸気機関が世界最初となる。ただ、新技術の黎明期にしばしば見られるように、この排水システムは甚だしく効率の悪いものであった。そのため、多くの技術者が蒸気機関の開発・改良に乗り出していくことになる。
1765年、ジェームズ・ワット(James Watt 1736~1819)が、現代にも通じる実用的な蒸気機関の発明を成し遂げる。
ワットは、スコットランド中部の港町グリーノックで、造船工の息子として生まれた。父親に似て幼少時から手先が器用で、また語学よりも数学が得意であったのは数学教師であった祖父の才能を受け継いだのだろう。18歳の時にロンドンで計測機器の製造技術を学んだ後、スコットランドの商業都市グラスゴーで開業しようと試みたが、年齢や技師としての経験の少なさから、ギルド(組合)の許可が下りず断念。21歳になって、ようやくグラスゴー大学内に小さな機械工作の製造修理工房を構えた。

 


「蒸気機関の父」ジェームズ・ワット。
仕事率や電力の国際単位「ワット」は彼の名にちなんでいる。
また、新50ポンド紙幣には、ワットとボールトンの肖像画が
蒸気機関とともに印刷される予定という。