
世界で最も有名なスパイ、ジェームズ・ボンド。
2008年は、その生みの親であるイアン・フレミングの生誕100年にあたる。
魅惑のヒーロー、ボンドがどのようにして生まれたのか――。
今回は、ボンドの生誕の秘密に迫る。
2008年は、その生みの親であるイアン・フレミングの生誕100年にあたる。
魅惑のヒーロー、ボンドがどのようにして生まれたのか――。
今回は、ボンドの生誕の秘密に迫る。
●サバイバー●取材・執筆/本誌編集部
参考資料:『Ian Fleming』(Andrew Lycett著、Phoenix刊)、www.ianfleming.com、www.bbc.co.uk、www.channel4.com、www.007magazine.co.uk他。
Special Thanks to: Imperial War Museum, Andrew Lycett, Ian Fleming Centre, EON Productions, Danjaq LLC and United Artists Corporation
1952年2月、イアン・フレミングはジャマイカの別荘で執筆に没頭していた。10年以上不倫関係を続けた女性との結婚を決めた直後で、結婚式が1ヵ月後に迫っていた。晴れて結ばれる妻に贈りたいがためか、あるいは目前に迫る婚姻生活の重みから逃避するためか、一心不乱に書き、結婚式の1週間前の3月18日、たった4週間の執筆期間を経てひとつの作品が仕上がった。作品の名前は『カジノ・ロワイヤルCasino Royale』。世界で最も有名なスパイ、ジェームズ・ボンドの誕生だった。フレミングは43歳、「これまでのスパイ小説の息の根を止めるスパイ小説を書いてやる」と友人に豪語してから7年が経過していた。
長い間、構想を温めてきたフレミングは、43歳にして初めてペンをとり、56歳で息絶えるまで執筆作業を続け、14作のボンド小説を世に残した。
処女作『カジノ・ロワイヤル』は暴力やセックスシーンに彩られ、53年の出版当時、彼の交友していたブルジョワたちから「野蛮で安っぽく、金儲けのための粗末な文学」と揶揄された。しかし、荒涼とした雰囲気の漂う大戦後の英国で、華やかで羽振りのよいヒーローの物語は必ず受けるに違いないとフレミングは信じていた。さらに強烈な暴力シーンを含み、あえて議論の的になるようなストーリーを盛り込んだ2作目『死ぬのは奴らだLive and Let Die』は、その過激さで知名度を上げ、結果的に売り上げを伸ばした。そして、趣向を凝らした連作は、毎年ボンドファンを確実に増やし、人々を虜にしていったのである。
61年、アメリカ合衆国大統領に就任したばかりのジョン・F・ケネディが、ボンド小説5作目の『ロシアより愛をこめてFrom Russia, With Love』を愛読書として掲げると、ボンド小説の売り上げは一気に急上昇。映画業界が制作に乗り出すことになる。その後の映画における成功についてはここで触れるまでもないが、62年から2006年までに21作、興行収入約44億ドル(約5360億円)を上げる類まれなロングセラー映画に成長した。22作目となる『クォンタム・オブ・ソラスQuantum of Solace』も10月31日に公開されようとしている。
世界中を股にかけ、高級車を乗り回し、美女と戯れつつ、華麗なアクションや秘密兵器で事件を解決していくジェームズ・ボンド。この誰もが憧れる無敵のヒーローは、全くの想像の産物ではなく、フレミングが何人かの実在の人物をモデルに脚色したものといわれる。その最たるモデルが、世界中を旅し、高級車を愛し、多くの美女と関係を持ち、そして英国海軍諜報部の秘書でもあったフレミング自身である。言い換えれば、ジェームズ・ボンドはフレミングの実生活、実体験を投影し、最大限に美化した、彼自身の夢のストーリーともいえるのである。
2008年はフレミングの生誕百年にあたり、フレミングに関する展覧会やボンド小説の再版など数々のイベントが予定されている。今回は、英国のスーパースター、ジェームズ・ボンドの生みの親であり、ボンドの等身大のモデルとなったイアン・フレミングに迫る。
長い間、構想を温めてきたフレミングは、43歳にして初めてペンをとり、56歳で息絶えるまで執筆作業を続け、14作のボンド小説を世に残した。
処女作『カジノ・ロワイヤル』は暴力やセックスシーンに彩られ、53年の出版当時、彼の交友していたブルジョワたちから「野蛮で安っぽく、金儲けのための粗末な文学」と揶揄された。しかし、荒涼とした雰囲気の漂う大戦後の英国で、華やかで羽振りのよいヒーローの物語は必ず受けるに違いないとフレミングは信じていた。さらに強烈な暴力シーンを含み、あえて議論の的になるようなストーリーを盛り込んだ2作目『死ぬのは奴らだLive and Let Die』は、その過激さで知名度を上げ、結果的に売り上げを伸ばした。そして、趣向を凝らした連作は、毎年ボンドファンを確実に増やし、人々を虜にしていったのである。
61年、アメリカ合衆国大統領に就任したばかりのジョン・F・ケネディが、ボンド小説5作目の『ロシアより愛をこめてFrom Russia, With Love』を愛読書として掲げると、ボンド小説の売り上げは一気に急上昇。映画業界が制作に乗り出すことになる。その後の映画における成功についてはここで触れるまでもないが、62年から2006年までに21作、興行収入約44億ドル(約5360億円)を上げる類まれなロングセラー映画に成長した。22作目となる『クォンタム・オブ・ソラスQuantum of Solace』も10月31日に公開されようとしている。
世界中を股にかけ、高級車を乗り回し、美女と戯れつつ、華麗なアクションや秘密兵器で事件を解決していくジェームズ・ボンド。この誰もが憧れる無敵のヒーローは、全くの想像の産物ではなく、フレミングが何人かの実在の人物をモデルに脚色したものといわれる。その最たるモデルが、世界中を旅し、高級車を愛し、多くの美女と関係を持ち、そして英国海軍諜報部の秘書でもあったフレミング自身である。言い換えれば、ジェームズ・ボンドはフレミングの実生活、実体験を投影し、最大限に美化した、彼自身の夢のストーリーともいえるのである。
2008年はフレミングの生誕百年にあたり、フレミングに関する展覧会やボンド小説の再版など数々のイベントが予定されている。今回は、英国のスーパースター、ジェームズ・ボンドの生みの親であり、ボンドの等身大のモデルとなったイアン・フレミングに迫る。
007のライセンスを取得するための7か条は…
日本では「ゼロゼロセブン」と呼ぶが、正しくは「ダブルオーセブン」。007はジェームス・ボンドのコードネームで「00」は「License to Kill殺しのライセンス」を持っている証で、任務遂行中は本人の一存で人を殺しても罪に問われない。1.死を恐れず、いかなる拷問にも屈するな
2.射撃の腕はオリンピック級であれ
3.親を裏切っても組織を裏切るな
4.学者が驚く知性と悪女も微笑むユーモアを身につけよ
5.羊のごとき社交性で相手を欺く一匹狼であれ
6.酒・ギャンブル・車・食事において常に最高級を経験せよ
7.恋に堕ちてもいいが愛してはならない
ジェームズ・ボンド

第20作の『ダイ・アナザー・デイ』ではボンドが鳥類研究本を片手に「私は鳥類学者だ」と偽るシーンがある。
- 身長
- 183センチ
- 体重
- 76キロ
- 髪
- 黒
- 瞳の色
- ブルー
- 語学
- フランス語、ドイツ語、大学時代に日本語も少々習得
- 特技
- あらゆるスポーツ(とくにボクシング、柔道)、射撃、ナイフ投げ
- 嗜好
-
●酒…マティーニ、バーボン・ウィスキー、シャンパン、ワイン、ブランデーなど。とくに「かき回さず、シェイクしたウォッカ・マティーニ」を愛飲。
●タバコ…モーランドで特注したバルカン葉のオリジナルブレンド、デューク・オブ・デュアレム、チェスタフィールド、しんせい
●女…小説では14人、映画では38人の女性と関係を持つ
●車…原作では1933年式ベントレー・コンバーチブル、色はグレー、映画ではアストン・マーティンなど
●卵料理(とくに鶉の卵)
●コーヒー
- 身体的特徴
- 右頬に傷跡、右手の甲に整形手術の跡
- 弱点
- 深酒、女――女性と過ちを犯し、イートン校を退学になったほか、ターゲットの側近である女性に手を出し、Mに怒鳴られることも多々ある。
- 嫌いなもの
- 紅茶
- 結婚歴
- トレーシー・ディ・ヴィセンツォと結婚するがトレーシーは新婚旅行中に銃撃され即死。傷心のボンドは酒びたりの生活を送り、00課から一時外される。
イアン・フレミング

- 身長
- 約188センチ
- 体重
- 76キロ?
- 髪
- 黒
- 瞳の色
- ブルー
- 語学
- フランス語、ドイツ語
- 特技
- あらゆるスポーツ、とくにゴルフ。収集、とくに古書収集。
- 嗜好
-
●酒…ジン(1日ボトル1本)
●タバコ…モーランドで特注したバルカン葉のオリジナルブレンド。3本の金線入り(1日50 ~70本)
●女…学生時代から自他ともに認めるプレーボーイ
●車…Ford Thunderbird 妻のアンがイアンを「サンダーバード」と呼ぶほど、サンダーバード好き。
●卵料理(とくにスクランブル・エッグ)
- 身体的特徴
- 学生時代にサッカーのプレー中に打撲したことにより、湾曲した鼻
- 弱点
- 女――プレーボーイぶりが仇となり淋病を患う。
- 嫌いなもの
- 紅茶
- 結婚歴
- 1952年43歳のときに10年以上不倫関係にあったアン・チャーテリスAnne Charterisと結婚する。アンにとって3度目の結婚だった。
プレーボーイ
Lady's man

その後、ミュンヘン大学、ジェノバ大学に進んだフレミングは、モニーク(*)というスイス人女性と大恋愛をし婚約まで考えるが、イヴは、外務省入省試験の邪魔になると、あの手この手を使って強制的に別れさせる。
これ以降、フレミングのプレーボーイぶりにさらに拍車がかかる。「どうせ本物の恋なんてありえないし、あったところで成就できっこない」といわんばかりに、手当たり次第に多くの女性と浮名を流すことになる。特定の人と交際をする、いわゆる「コミットメント」を結ぶことを嫌い、カジュアルな関係をかわるがわる楽しんだ。積極的で直接的な愛情表現をする女性が苦手で、ミステリアスで美的感覚の鋭い女性を好んだが、相手にのめり込むことはまずなかったという。
フレミングは本の収集癖があることでも知られるが、彼の部屋は春本やヌード写真集、とくにSMや鞭打ちに関する本で満たされていたといい、フレミングの友人は後に「彼ほど頭がセックスでいっぱいの人に会ったことがない」と語っている。
*後にジェームズ・ボンドの母親、モニーク・デラクロアとして小説の中に登場している。ボンドが11歳の時、父アンドリュー・ボンドとともに登山事故で死亡してしまうという設定
愛憎に満ちた関係
Love-hate relationship
この嗜虐的傾向は母親との関係に起因している。前述した淋病を患うことになった経緯も、全く入る意志のなかった士官学校にむりやり入学させられた上、当時交際していた女性とむりやり別れさせられ、自暴自棄になって売春宿に駆け込んでしまったからで、母親の愛情や過度な干渉に対する強い嫌悪や復讐心が、フレミングの女性関係へ影響していくのである。
2人が結婚に至ったのは、10余年に及ぶ不倫関係が続いた後、アンがフレミングとの2人目の子(1人目は生まれて8時間後に逝去)を妊娠した1952年のことで、フレミングは43歳になっていた。
良家の異端児
Black sheep
父ヴァレンタインの戦死にあたり、彼の良き友人であったチャーチルが故人略伝を綴り、殊勲章を授与した。フレミングはこの記事を額に入れ死ぬまで持っていたという。フレミングが第二次世界大戦時に海軍諜報部で働くことによって、首相チャーチルを助けることになったのも偶然ではないのだ。
また、フレミングを除く兄弟3人は、祖父の人脈にあやかり大学卒業後すぐに金融業界で活躍。とくに文才のあった兄ピーターは、その後紀行家、作家としても成功を収めていた。フレミングだけが金銭に興味がなく、外務省の入省試験に落ちた後はロイターで記者をしていたもののキャリアらしいキャリアを積めないでいた。
祖父のロバートが他界し、遺産をすべて財団に預けてしまうと、再婚を考えていたイヴはフレミングの行く末を按じ、金融業に就くよう説得、いやいやながらロイターに辞表を出し、その後の6年間を銀行マンとして過ごすことになる。
フレミング著作リスト
長編
ボンド・シリーズ

『死ぬのは奴らだ』Live and Let Die(1954)
『ムーンレイカー』Moonraker(Too Hot to Handle)(1955)
『ダイヤモンドは永遠に』Diamonds are Forever(1956)
『ロシアより愛をこめて』From Russia, With Love(1957)
『ドクター・ノオ』 Doctor No(1958)
『ゴールドフィンガー』Goldfinger(1959)
『サンダーボール作戦』Thunderball(1961)
『わたしを愛したスパイ』The Spy Who Loved Me(1962)
『女王陛下の007』On Her Majesty's Secret Service(1963)
『007は二度死ぬ』You Only Live Twice(1964)
『007号/黄金の銃をもつ男』The Man With the Golden Gun(1965)
『チキ・チキ・バン・バン(空とぶ自動車)』Chitty Chitty Bang Bang(1964)
短編集

「バラと拳銃」From a View to Kill 、「読後焼却すべし」For Your Eyes Only 、「ナッソーの夜」Quantum of Solace 、「危険」Risico 、「珍魚ヒルデブランド」The Hildebrand Rarity
『007号/ベルリン脱出』 (新版では『オクトパシー』Octopussyと改題)Octopussy and the Living Daylights(1966)
「007号の追求」(新版では「オクトパシー」と改題)、「007号の商略」(新版では「所有者はある女性」Property of A Ladyと改題 )、「ベルリン脱出」Berlin Escape
ノンフィクション
『ダイヤモンド密輸作戦』 The Diamond Smugglers(1957)『007号/世界を行く』Thrilling Cities(1963)
『続007号/世界を行く』Thrilling Cities(1963)
子供好き
Adores kids
フレミングの著作として意外に知られていないのが、映画やミュージカルでもお馴染みの『チキ・チキ・バン・バンChitty Chitty Bang Bang』(英語ではチッティチッティと発音)。ボンド小説のイメージとかけ離れているためか、「え? チキ・チキ・バン・バンも彼の作品なの?」と驚いている読者も多いかも知れない。実際、フレミングは子供と遊ぶのが好きで、姪っ子や甥っ子たちには面白くて格好いい叔父さんとして慕われていた。戦後の沈んだ雰囲気の残る50年代に「サンダーバード」などの珍しい車で颯爽と現れ、トロピカルな国々を旅行しては楽しいハガキを送ってくれるフレミングはさぞかし子供たちをウキウキさせたに違いない。この物語は、たったひとりの息子、カスパーを寝かしつけるためにフレミングが綴ったもので、1964年に出版された。が、フレミングは同作が出版されたのを見届け、すぐに他界。そして、カスパーも約10年後、23歳の若さで麻薬の過剰服用により自殺してしまった。彼の棺の中には同作が納められたという。
チキ・チキ・バン・バンあらすじ

食通
Gourmand
女、車、ギャンブル、ゴルフと並んでフレミングが愛したのが「食べ物」だ。ボンドと同様、美食家であったが、ボンドのようにワインや食材について薀蓄のあるタイプではなく、とにかく美味しければ何でも良しとし、シンプルで高品質のものが好きだったようだ。「The Savoy Grill」と「The Ivy」はとくにお気に入りのレストランだったといわれる。ちなみにフレミングの大好物は「スクランブル・エッグ」。フレミングが「絶対にがっかりさせられることがない」と語る、そのレシピを下に紹介しよう。
尚、毎日の美食に加え、一日50~70本の喫煙に、ジンをボトル一本という飲酒の不摂生は人生を楽しくはしても長くはしなかったようで、1961年に53歳で心臓発作を起こしたフレミングはその後体調不良のまま、3年後に2回目の発作を起こして逝ってしまう。
絶対にがっかりさせられることがない
スクランブル・エッグの作り方

卵12個、バター150グラム、チャイブまたはフレッシュハーブ、塩コショウ
作り方:
卵を割り、フォークで混ぜながら塩コショウする。小さくて底の厚いフライパンにバターを半分いれ、卵を注ぎ、小さな泡立て器で混ぜながら、ごく弱火で焼く。卵がまだ半生でこのままでは食べられないというあたりでフライパンを火から下ろす。そこで残っているバターを加え、30秒かき混ぜる。ハーブを加え、バターをぬったトーストの上にのせて、銅の皿に盛り付け、シャンパンとともに食す。
諜報部員
Intelligence Officer
©1963 Danjaq, LLC and United Artists Corporation. All rights reserved.
国の機密情報を扱う諜報部員の一員となったフレミングは、この転機を待ってましたとばかりに受け止め、ロイター時代と同様、自慢の想像力と計画力、情報収集能力、伝達能力などを十二分に活かし、さまざまなスパイ活動を企て、遂行させた。ジェームズ・ボンドのように実際に現地に赴き、任務を行うスパイ(secret agent)ではなかったものの、指揮官としてスパイ部隊を統括し、軍の上層部や政府とのやり取りを円滑にするなど、より重要なポストでその才覚を発揮した。
「マーキュリー」と呼ばれる諜報部を組織し、サンデー・タイムズの海外特派員になりすましたスパイたちを諸外国に送り込み、情報の収集に努めたり、「30AU」(30 Assault Unit、42年設立当初30人だったが、戦争終了時には450人、通称レッド・インディアンズ)と呼ばれる、金庫破りや錠前破り、盗聴などを専門とする奇襲補助部隊を統括したりした。
とくに「30AU」は第二次世界大戦において大活躍し、結果的に勝利を導いたD-Dayでも多大な貢献を果たした。この時企てた陰謀や特別任務はボンド小説の中に散りばめられており、諜報部員としての経験なしにボンド小説は生まれ得なかったといってもいい。
フレミングが企てた主な特別任務
●Operation Ruthlessドイツのコードブック(暗号解読本)を盗むための特別任務。ドイツ軍の戦闘機を撃ち落とし、負傷兵の中に怪我をして血まみれに見せかけた偽ドイツ兵の諜報部員をもぐり込ませ、救助にやってきた掃海挺に乗り込み、最終的に救助されたドイツ兵を皆殺しにし、掃海挺をハイジャックしてコードブックを盗むという作戦。
●Operation Goldeneye
スペインが英国の敵側の枢軸国として参戦した場合、英領のジブラルタルを封鎖しようとする計画。結果的にはスペインが参戦しなかったので実行されなかった。ボンド映画17作目の「Goldeneye」はこの計画を基にストーリーが作られている。また、フレミングはジャマイカの別荘を「Goldeneye」と呼んでいた。
ボンド映画あれこれ
さてさて、イアン・フレミングがどんな人物がわかったところでボンド映画についてのいろいろなエピソードを紹介しよう。ボンドがフレミング自身の投影された姿だということを知りつつ観ると、さらに面白味が増すだろう。ジェームズ・ボンドは英国映画?アメリカ映画?
しかし、それも第10作目までの話。第1作目から配給会社として携わってきたハリウッドのユナイテッド・アーティスツが共同制作まで担うようになると純粋な英国映画と呼べないのではという意見も出てきた。そのため第11作目以降からは英米合作とするのが一般的で、最近作の「カジノ・ロワイヤル」のように英米にドイツ、チェコも加わり、4ヵ国の合作とされているケースもある。ちなみにユナイテッド・アーティスツは買収され、現在ソニー・グループのコロムビアが共同制作会社となっている。
初代 ショーン・コネリー
Sean Connery
主演回数:6回 (第1~5作、7作)

ひと口メモ
今回挙げたのはイオン・プロダクションによるボンド・シリーズに主演した歴代ボンドたち。コネリーはフレミングのかつての共同脚本執筆者であったケビン・マクローリーに依頼され、ボンド役を離れて10年ぶりにもうひとつのボンド作品『ネバー・セイ・ネバー・アゲイン』(83年、ワーナー・ブラザーズ)に主演している。この作品は「007シリーズの本家本元は私たちだ」というイオン・プロダクションとの法廷問題にまで発展。マクローリーはその後もイオン・プロに対抗して新たなボンド映画の製作を試み、法廷闘争を巻き起こしている。「ネバー・セイ・ネバー・アゲイン」は、「もう二度とボンド役はやりたくない」というコネリーに妻が「『決して』とは決して言わないことよ」と諭し励ましたことに由来する。2代目 ジョージ・レーゼンビー
George Lazenby
主演回数:1回 (第6作)

3代目 ロジャー・ムーア
Roger Moore
主演回数:7回 (第8~14作)

4代目 ティモシー・ダルトン
Timothy Dalton
主演回数:2回 (第15、16作)

5代目 ピアース・ブロスナン
Pierce Brosnan
主演回数:4回 (第17~20作)

6代目 ダニエル・クレイグ
Daniel Craig
主演回数:2回 (第21作~)

日本での撮影秘話
1967年に公開となった「007は二度死ぬ」は日本を舞台にしており、丹波哲郎や浜美枝、若林映子といった日本の俳優を起用し、日本で撮影が行われた貴重な作品。
実は、この「007は二度死ぬ」、関係者の多くが事故死したことでも知られる。
66年3月5日に英国海外航空(BAの前身)のボーイング707型機が富士山付近の乱気流に巻き込まれ、空中分解し乗員乗客全員が死亡した惨事を記憶している読者もいるかも知れないが、同機には英国に帰国しようとしていた撮影スタッフが含まれていたのだ。
監督のルイス・ギルバート、製作のサリー・ハルツマン、アルバート・ブロッコリなど、トップ関係者の5名も同機に搭乗する予定だったが、出発の2時間前に、忍者指南のための忍者パフォーマンスが急遽行われることになり、帰国をキャンセルしたためこの5名は難を逃れた。
その他、ヘリコプターを使って空中戦を行うシーンの撮影で、英人カメラマンが片足を切断してしまうという事故も起きている。
日本でのロケ地
都内旧蔵前国技館、銀座四丁目交差点、ホテルニューオータニ、営団地下鉄丸ノ内線、営団地下鉄丸ノ内線中野新橋駅、駒沢オリンピック公園、代々木第一体育館付近
国内
富士スピードウェイ、姫路城、鹿児島県坊津町、霧島山新燃岳
EON Productionsによるボンド映画一覧

英語タイトル | 日本語タイトル | 製作年 | 主題歌 | 歌手 | |
---|---|---|---|---|---|
1 | Doctor No | 『ドクター・ノオ』 | 1962年 | ジェームズ・ボンドのテーマ | |
2 | From Russia, With Love | 『ロシアより愛をこめて』 | 1963年 | 同名 | マット・モンロ |
3 | Goldfinger | 『ゴールドフィンガー』 | 1964年 | 同名 | シャーリー・バッシー |
4 | Thunderball | 『サンダーボール作戦』 | 1965年 | 同名 | トム・ジョーンズ |
5 | You Only Live Twice | 『007は二度死ぬ』 | 1967年 | 同名 | ナンシー・シナトラ |
6 | On Her Majesty's Secret Service | 『女王陛下の007』 | 1969年 | We Have All the Time in the World ルイ・アームストロング | |
7 | Diamonds Are Forever | 『ダイヤモンドは永遠に』 | 1971年 | 同名 | シャーリー・バッシー |
8 | Live and Let Die | 『死ぬのは奴らだ』 | 1973年 | 同名 | ポール・マッカートニー&ウィングス |
9 | The Man with the Golden Gun | 『黄金銃を持つ男』 | 1974年 | 同名 | ルル |
10 | The Spy Who Loved Me | 『私を愛したスパイ』 | 1977年 | Nobody Does It Better | カーリー・サイモン |
11 | Moonraker | 『ムーンレイカー』 | 1979年 | 同名 | シャーリー・バッシー |
12 | For Your Eyes Only | 『ユア・アイズ・オンリー』 | 1981年 | 同名 | シーナ・イーストン |
13 | Octopussy | 『オクトパシー』 | 1983年 | All Time High | リタ・クーリッジ |
14 | A View to a Kill | 『美しき獲物たち』 | 1985年 | 同名 | デュラン・デュラン |
15 | The Living Daylights | 『リビング・デイライツ』 | 1987年 | 同名 | アーハ |
16 | License to Kill | 『消されたライセンス』 | 1989年 | 同名 | グラディーズ・ナイト |
17 | GoldenEye | 『ゴールデンアイ』 | 1995年 | 同名 | ティナ・ターナー |
18 | Tomorrow Never Dies | 『トゥモロー・ネバー・ダイ』 | 1997年 | 同名 | シェリル・クロウ |
19 | The World Is Not Enough | 『ワールド・イズ・ノット・イナフ』 | 1999年 | 同名 | ガベージ |
20 | Die Another Day | 『ダイ・アナザー・デイ』 | 2002年 | 同名 | マドンナ |
21 | Casino Royale | 『カジノ・ロワイヤル』 | 2006年 | You Know My Name クリス・コーネル | |
22 | Quantum of Solace | 『クォンタム・オブ・ソラス』 | 2008年 | 未定(2008年3月31日現在) |
もうひとつの「カジノ・ロワイヤル」
ウッディ・アレンもちょい役で出演しているというこの映画、公開当時はそれほどヒットしなかったものの、60年代のポップ・カルチャーを反映した貴重な映画として、80年代以降評価が高まり、映画『オースティン・パワーズ』などにも多大な影響を与えたことで知られる。
ボンドガール
ボンド作品に欠かせないスパイスとなっているのが、セクシーでミステリアスなボンド・ガール。2006年に英エンターテインメント系会社が行った調査によると、「ボンド・ガール ベスト10」は下記のとおり。( )内は役名。第5作の『007は二度死ぬ』(1967年)に登場した浜美枝と若林映子がランクインしていないのが残念!1位 | ウルスラ・アンドレス(ハニー・ライダー) | 『ドクター・ノオ』 | 1962年 |
2位 | オナー・ブラックマン(プッシー・ガロア) | 『ゴールドフィンガー』 | 1964年 |
3位 | ダイアナ・リグ(トレイシー・ディ・ヴィンチェンゾ) | 『女王陛下の007』 | 1969年 |
4位 | ハル・ベリー (ジンクス) | 『ダイ・アナザー・デイ』 | 2002年 |
5位 | キャロル・ブーケ (メリナ・ハヴロック) | 『ユア・アイズ・オンリー』 | 1981年 |
6位 | ソフィー・マルソー (エレクトラ・キング) | 『ワールド・イズ・ノット・イナフ』 | 1999年 |
7位 | イザベラ・スコルプコ (ナターリャ・シモノーヴァ) | 『ゴールデンアイ』 | 1995年 |
8位 | ミシェル・ヨー (ウェイ・リン) | 『トゥモロー・ネバー・ダイ』 | 1997年 |
9位 | バーバラ・バック (エージェントxxx) | 『私を愛したスパイ』 | 1977年 |
10位 | ジェーン・シーモア (ソリテア) | 『死ぬのは奴らだ』 | 1973年 |
イアン・フレミング 生誕100年 記念イベント
フレミングの生誕100年にあたる2008年はさまざまなイベント、書籍刊行が予定されている。主なものをここで紹介しよう。For Your Eyes Only : Ian Fleming and James Bond
「~ユア・アイズ・オンリー~イアン・フレミングとジェームズ・ボンド」
イアン・フレミングの作品と生涯に焦点をあてた初の大型企画展。米ソの冷戦がいかにボンド小説とボンド映画に反映されているか、どこからどこまでがフレミングの想像によるものなのか、事実と虚構との境界を探る。
フレミングの草稿はもちろん、撮影でダニエル・クレイグが着用した血まみれのシャツや、ハル・ベリーの着たビキニなども展示される。※公開終了
Bond Bound: Ian Fleming and the Art of Cover Design

※公開終了
ジェームズ・ボンド切手発売!
フレミング生誕100年を記念し、2008年1月8日にロイヤル・メールよりボンド切手が発行された。切手図版は6種類あり、代表6作の初版本(ジョナサン・ケープ社刊)と改訂版の表紙4パターンが各々デザインされたもの。内訳は『Casino Royale』と『Dr No』が国内1stクラス用、『Diamonds Are Forever』と『Goldfinger』がZone 1、2の海外レター10グラム以下用(54ペンス)、Zone 1、2の海外レター20グラム以下用(78ペンス)が『From Russia, With Love』『For Your Eyes Only』となっている。切手サイズ:ヨコ60ミリ×タテ21ミリ
※発売終了
ニューデザインのハードカバーシリーズ刊行

【ボンド番外編】ヤングボンド・シリーズとマネペニーの秘密の日記シリーズ

新刊Devil May Care フレミングの誕生日に発売
ペンギン社 ハードカバー304頁 £18.99
しかし2008年5月28日、フレミングの誕生日に合わせて待望の新刊『Devil May Care』がペンギン社から発行される。シリーズ再開にあたり白羽の矢が立ったのは『Human Traces』や『Engleby』などで知られる英国の小説家、セバスチャン・フォークスSebastian Faulks。舞台は冷戦時代で、スリリングかつエキゾチックな都市をボンドが駆け巡るということだけは明らかにされているが詳細は発売まで秘められている。
Quantum of Solace 2008年10月31日公開
週刊ジャーニー No.517(2008年4月3日)掲載