~スパイ・メーカー、イアン・フレミング生誕100年に寄せて~ 007 誕生秘話
世界で最も有名なスパイ、ジェームズ・ボンド。
2008年は、その生みの親であるイアン・フレミングの生誕100年にあたる。
魅惑のヒーロー、ボンドがどのようにして生まれたのか――。
今回は、ボンドの生誕の秘密に迫る。

●サバイバー●取材・執筆/本誌編集部

参考資料:『Ian Fleming』(Andrew Lycett著、Phoenix刊)、www.ianfleming.comwww.bbc.co.ukwww.channel4.comwww.007magazine.co.uk他。
Special Thanks to: Imperial War Museum, Andrew Lycett, Ian Fleming Centre, EON Productions, Danjaq LLC and United Artists Corporation

1952年2月、イアン・フレミングはジャマイカの別荘で執筆に没頭していた。10年以上不倫関係を続けた女性との結婚を決めた直後で、結婚式が1ヵ月後に迫っていた。晴れて結ばれる妻に贈りたいがためか、あるいは目前に迫る婚姻生活の重みから逃避するためか、一心不乱に書き、結婚式の1週間前の3月18日、たった4週間の執筆期間を経てひとつの作品が仕上がった。作品の名前は『カジノ・ロワイヤルCasino Royale』。世界で最も有名なスパイ、ジェームズ・ボンドの誕生だった。フレミングは43歳、「これまでのスパイ小説の息の根を止めるスパイ小説を書いてやる」と友人に豪語してから7年が経過していた。
長い間、構想を温めてきたフレミングは、43歳にして初めてペンをとり、56歳で息絶えるまで執筆作業を続け、14作のボンド小説を世に残した。
処女作『カジノ・ロワイヤル』は暴力やセックスシーンに彩られ、53年の出版当時、彼の交友していたブルジョワたちから「野蛮で安っぽく、金儲けのための粗末な文学」と揶揄された。しかし、荒涼とした雰囲気の漂う大戦後の英国で、華やかで羽振りのよいヒーローの物語は必ず受けるに違いないとフレミングは信じていた。さらに強烈な暴力シーンを含み、あえて議論の的になるようなストーリーを盛り込んだ2作目『死ぬのは奴らだLive and Let Die』は、その過激さで知名度を上げ、結果的に売り上げを伸ばした。そして、趣向を凝らした連作は、毎年ボンドファンを確実に増やし、人々を虜にしていったのである。
61年、アメリカ合衆国大統領に就任したばかりのジョン・F・ケネディが、ボンド小説5作目の『ロシアより愛をこめてFrom Russia, With Love』を愛読書として掲げると、ボンド小説の売り上げは一気に急上昇。映画業界が制作に乗り出すことになる。その後の映画における成功についてはここで触れるまでもないが、62年から2006年までに21作、興行収入約44億ドル(約5360億円)を上げる類まれなロングセラー映画に成長した。22作目となる『クォンタム・オブ・ソラスQuantum of Solace』も10月31日に公開されようとしている。
世界中を股にかけ、高級車を乗り回し、美女と戯れつつ、華麗なアクションや秘密兵器で事件を解決していくジェームズ・ボンド。この誰もが憧れる無敵のヒーローは、全くの想像の産物ではなく、フレミングが何人かの実在の人物をモデルに脚色したものといわれる。その最たるモデルが、世界中を旅し、高級車を愛し、多くの美女と関係を持ち、そして英国海軍諜報部の秘書でもあったフレミング自身である。言い換えれば、ジェームズ・ボンドはフレミングの実生活、実体験を投影し、最大限に美化した、彼自身の夢のストーリーともいえるのである。
2008年はフレミングの生誕百年にあたり、フレミングに関する展覧会やボンド小説の再版など数々のイベントが予定されている。今回は、英国のスーパースター、ジェームズ・ボンドの生みの親であり、ボンドの等身大のモデルとなったイアン・フレミングに迫る。

007のライセンスを取得するための7か条は…

日本では「ゼロゼロセブン」と呼ぶが、正しくは「ダブルオーセブン」。007はジェームス・ボンドのコードネームで「00」は「License to Kill殺しのライセンス」を持っている証で、任務遂行中は本人の一存で人を殺しても罪に問われない。
1.死を恐れず、いかなる拷問にも屈するな
2.射撃の腕はオリンピック級であれ
3.親を裏切っても組織を裏切るな
4.学者が驚く知性と悪女も微笑むユーモアを身につけよ
5.羊のごとき社交性で相手を欺く一匹狼であれ
6.酒・ギャンブル・車・食事において常に最高級を経験せよ
7.恋に堕ちてもいいが愛してはならない

ジェームズ・ボンド

1922年スコットランド生まれ。スコットランドのグラスゴー出身の父とスイス出身の母との間に生まれる。「ユニバーサル貿易」という商社に扮した英国諜報局秘密諜報部(MI6)00課に勤務。退役提督であるサー・マイルズ・メッサヴィー(通称「M」)が上司。フレミングは誰にでも簡単に覚えられる主人公の名前を探しており、たまたま読んでいた鳥類研究書から、著者ジェームズ・ボンドの名前を拝借したといわれている。
第20作の『ダイ・アナザー・デイ』ではボンドが鳥類研究本を片手に「私は鳥類学者だ」と偽るシーンがある。
身長
183センチ
体重
76キロ
瞳の色
ブルー
語学
フランス語、ドイツ語、大学時代に日本語も少々習得
特技
あらゆるスポーツ(とくにボクシング、柔道)、射撃、ナイフ投げ
嗜好
●酒…マティーニ、バーボン・ウィスキー、シャンパン、ワイン、ブランデーなど。とくに「かき回さず、シェイクしたウォッカ・マティーニ」を愛飲。
●タバコ…モーランドで特注したバルカン葉のオリジナルブレンド、デューク・オブ・デュアレム、チェスタフィールド、しんせい
●女…小説では14人、映画では38人の女性と関係を持つ
●車…原作では1933年式ベントレー・コンバーチブル、色はグレー、映画ではアストン・マーティンなど
●卵料理(とくに鶉の卵)
●コーヒー
身体的特徴
右頬に傷跡、右手の甲に整形手術の跡
弱点
深酒、女――女性と過ちを犯し、イートン校を退学になったほか、ターゲットの側近である女性に手を出し、Mに怒鳴られることも多々ある。
嫌いなもの
紅茶
結婚歴
トレーシー・ディ・ヴィセンツォと結婚するがトレーシーは新婚旅行中に銃撃され即死。傷心のボンドは酒びたりの生活を送り、00課から一時外される。

イアン・フレミング

1908年5月28日ロンドンのメイフェア生まれ。スコットランド生まれの国会議員の父ヴァレンタインと母イヴの間に生まれる。1931年からロイターの記者として、39年より海軍諜報部の秘書として勤務。64年心臓発作のため死去。享年56。
身長
約188センチ
体重
76キロ?
瞳の色
ブルー
語学
フランス語、ドイツ語
特技
あらゆるスポーツ、とくにゴルフ。収集、とくに古書収集。
嗜好
●酒…ジン(1日ボトル1本)
●タバコ…モーランドで特注したバルカン葉のオリジナルブレンド。3本の金線入り(1日50 ~70本)
●女…学生時代から自他ともに認めるプレーボーイ
●車…Ford Thunderbird 妻のアンがイアンを「サンダーバード」と呼ぶほど、サンダーバード好き。
●卵料理(とくにスクランブル・エッグ)
身体的特徴
学生時代にサッカーのプレー中に打撲したことにより、湾曲した鼻
弱点
女――プレーボーイぶりが仇となり淋病を患う。
嫌いなもの
紅茶
結婚歴
1952年43歳のときに10年以上不倫関係にあったアン・チャーテリスAnne Charterisと結婚する。アンにとって3度目の結婚だった。

プレーボーイ
Lady's man

夫に先立たれ、女手ひとつで4人息子を育てていたフレミングの母親イヴは、教育熱心で過干渉なタイプだった。そのイヴの、一番の悩みの種がフレミングの女性問題。名門パブリック・スクールのイートン校に入学させたはいいが、学業そっちのけで授業をサボっては他校の女子校生とフラフラしていたフレミング。留年させるくらいならと、性根を叩き直すために陸軍士官学校に入れ直すが、ここでも売春婦から淋病をもらうという不始末を犯し、退学。ついに恥辱に堪えられなくなったイヴは、周囲の目の届かないオーストリアのプライベートスクールに送り込み、語学を習得させ外務省で働かせようと試みる。しかし、そこはヨーロッパでも有数のスキーリゾート地。フレミングはさらに羽を伸ばして、女性とのスキーやドライブに忙しい毎日を送ることになる。
その後、ミュンヘン大学、ジェノバ大学に進んだフレミングは、モニーク(*)というスイス人女性と大恋愛をし婚約まで考えるが、イヴは、外務省入省試験の邪魔になると、あの手この手を使って強制的に別れさせる。
これ以降、フレミングのプレーボーイぶりにさらに拍車がかかる。「どうせ本物の恋なんてありえないし、あったところで成就できっこない」といわんばかりに、手当たり次第に多くの女性と浮名を流すことになる。特定の人と交際をする、いわゆる「コミットメント」を結ぶことを嫌い、カジュアルな関係をかわるがわる楽しんだ。積極的で直接的な愛情表現をする女性が苦手で、ミステリアスで美的感覚の鋭い女性を好んだが、相手にのめり込むことはまずなかったという。
フレミングは本の収集癖があることでも知られるが、彼の部屋は春本やヌード写真集、とくにSMや鞭打ちに関する本で満たされていたといい、フレミングの友人は後に「彼ほど頭がセックスでいっぱいの人に会ったことがない」と語っている。
*後にジェームズ・ボンドの母親、モニーク・デラクロアとして小説の中に登場している。ボンドが11歳の時、父アンドリュー・ボンドとともに登山事故で死亡してしまうという設定

愛憎に満ちた関係
Love-hate relationship

10余年もの不倫関係を続けたフレミングとアンはサディズムおよびマゾヒズム的な性的嗜好を持っていたことでも知られる。 Ian Fleming, circa 1960 © Getty Images
女性に対して献身的で、優しくロマンチストだったと伝えられるフレミングだが、その一方で、「普通の女の子なら毛嫌いする」(知人説)冷淡で高慢な一面も持ち合わせていた。デートに誘っておきながら「頭が痛いから、俺がいいって言うまで一言も話すな」と一時間近く黙らせたり、難癖をつけて扱き下ろしたりすることも少なくなかった。「女なんてペットみたいなものさ。本当の人間といえるのは男で、本当に友達になれるのも男だけだ」という問題発言も残されており、サディズム的な考えを持っていたことは間違いないようだ。
この嗜虐的傾向は母親との関係に起因している。前述した淋病を患うことになった経緯も、全く入る意志のなかった士官学校にむりやり入学させられた上、当時交際していた女性とむりやり別れさせられ、自暴自棄になって売春宿に駆け込んでしまったからで、母親の愛情や過度な干渉に対する強い嫌悪や復讐心が、フレミングの女性関係へ影響していくのである。

フレミングはアンとの結婚を決めた際、友人夫婦に次のように語っている。「俺たちは2人とも双子座で相性がいい訳がないんだよ。俺は社交的じゃないし、暗くて明日のことしか考えてない。アンは快活で、伝統主義者。大喧嘩するに決まってるんだよ。でも、2人とも楽天的だから、なんとか続くとは思うけどね」。© Daily Mail
フレミングのむら気な愛憎に最も長く激しく惹きつけられることになるのが、彼の最初で最後の妻となるアンだ。出会った当時、アンはすでに人妻で、数年の交友関係が続いた後、不倫関係に発展。フレミング同様、恋多き女だったアンには他にも不倫相手がおり、その相手はフレミングの友人でもあった。この奇妙な三角関係にフレミングは多少嫉妬することはあっても、身を焦がして自滅することはなく、むしろそのスリリングさを楽しみ、利用していた節さえある。結局、しびれを切らして相手を独占したくなったのはアンのほうで、夫が戦死すると、アンはフレミングに「結婚しても構わない」と伝えるが、フレミングは必要性をまったく感じず、呆れたアンは以前の不倫相手だった男性と結婚。その後もフレミングとの不倫関係を続けた。2人の関係は情熱的で、激しくぶつかり合っては激しく引き寄せ合うという愛憎に満ちた関係だったようだ。精神的のみならず肉体的にも傷つけあうことで愛情を感じる関係だったと伝えられる。
2人が結婚に至ったのは、10余年に及ぶ不倫関係が続いた後、アンがフレミングとの2人目の子(1人目は生まれて8時間後に逝去)を妊娠した1952年のことで、フレミングは43歳になっていた。

ジャマイカの別荘でくつろぐフレミング Ian Fleming at his Jamaican home Goldeneye (March 1962) © Getty Images
結婚という契約をできる限り遠ざけてきたフレミングもこれ以上責任逃れをするわけにもいかず、ついに観念し、2人はフレミングが別荘を建てたジャマイカで結婚式を挙げた。しかし、どちらも利己的で相手に譲らないタイプであるだけに蜜月時代も短く、子供が生まれるとすぐに別居状態になり、互いに愛人をつくるようになってしまう。

良家の異端児
Black sheep

フレミングが1936~40年にかけて住んでいた家は、ロンドンのヴィクトリア駅のすぐ側(22B Ebury Street)にある。
祖父のロバートは一代でロバート・フレミング投資銀行(1873年発足、現JPモルガン・フレミング投資顧問会社)を創設したつわもので、金融業界では世界的に有名。父ヴァレンタインは保守党の議員で、ウィンストン・チャーチルの良き友人でもあった。質実剛健で誠実な父と、自由奔放で芸術家タイプの母イヴ、この夫婦間の4人息子の次男としてフレミングは生まれ、ロンドンのハムステッド・ヒースに住み、いわゆる裕福な家庭の「お坊ちゃま」として少年時代を送る。

Churchill giving the V sign outside No 10 Downing Street, having just arrived back in London from Washington where he held discussions with President Roosevelt. © IWM
父ヴァレンタインの戦死にあたり、彼の良き友人であったチャーチルが故人略伝を綴り、殊勲章を授与した。フレミングはこの記事を額に入れ死ぬまで持っていたという。フレミングが第二次世界大戦時に海軍諜報部で働くことによって、首相チャーチルを助けることになったのも偶然ではないのだ。
フレミングが9歳の時、ヴァレンタインは戦死するが、イヴが再婚しないという条件付きで莫大な遺産を残した。フレミングは父親や兄に倣ってイートン校に進み、体育、語学、文学で良い成績を残し、2年連続で校内スポーツ・チャンピオンに輝くなど非凡な面も見せていたが、もともと伝統や秩序に縛られることを嫌う彼は学校をサボりがちに。さらに母親の干渉や強要にも耐えられなくなり、他校の生徒とつるんで女子学生と夜遊びするなど、問題児のレッテルを貼られる。
また、フレミングを除く兄弟3人は、祖父の人脈にあやかり大学卒業後すぐに金融業界で活躍。とくに文才のあった兄ピーターは、その後紀行家、作家としても成功を収めていた。フレミングだけが金銭に興味がなく、外務省の入省試験に落ちた後はロイターで記者をしていたもののキャリアらしいキャリアを積めないでいた。
祖父のロバートが他界し、遺産をすべて財団に預けてしまうと、再婚を考えていたイヴはフレミングの行く末を按じ、金融業に就くよう説得、いやいやながらロイターに辞表を出し、その後の6年間を銀行マンとして過ごすことになる。

フレミング著作リスト

長編

ボンド・シリーズ

『カジノ・ロワイヤル』Casino Royale(You Asked for It)(1953)
『死ぬのは奴らだ』Live and Let Die(1954)
『ムーンレイカー』Moonraker(Too Hot to Handle)(1955)
『ダイヤモンドは永遠に』Diamonds are Forever(1956)
『ロシアより愛をこめて』From Russia, With Love(1957)
『ドクター・ノオ』 Doctor No(1958)
『ゴールドフィンガー』Goldfinger(1959)
『サンダーボール作戦』Thunderball(1961)
『わたしを愛したスパイ』The Spy Who Loved Me(1962)
『女王陛下の007』On Her Majesty's Secret Service(1963)
『007は二度死ぬ』You Only Live Twice(1964)
『007号/黄金の銃をもつ男』The Man With the Golden Gun(1965)

『チキ・チキ・バン・バン(空とぶ自動車)』Chitty Chitty Bang Bang(1964)

短編集

『007号の冒険』(新版では『バラと拳銃』と改題) For Your Eyes Only: Five Secret Occasions in the Life of James Bond(1960)
  「バラと拳銃」From a View to Kill 、「読後焼却すべし」For Your Eyes Only 、「ナッソーの夜」Quantum of Solace 、「危険」Risico 、「珍魚ヒルデブランド」The Hildebrand Rarity
『007号/ベルリン脱出』 (新版では『オクトパシー』Octopussyと改題)Octopussy and the Living Daylights(1966)
  「007号の追求」(新版では「オクトパシー」と改題)、「007号の商略」(新版では「所有者はある女性」Property of A Ladyと改題 )、「ベルリン脱出」Berlin Escape

ノンフィクション

『ダイヤモンド密輸作戦』 The Diamond Smugglers(1957)
『007号/世界を行く』Thrilling Cities(1963)
『続007号/世界を行く』Thrilling Cities(1963)

子供好き
Adores kids

フレミングの著作として意外に知られていないのが、映画やミュージカルでもお馴染みの『チキ・チキ・バン・バンChitty Chitty Bang Bang』(英語ではチッティチッティと発音)。ボンド小説のイメージとかけ離れているためか、「え? チキ・チキ・バン・バンも彼の作品なの?」と驚いている読者も多いかも知れない。実際、フレミングは子供と遊ぶのが好きで、姪っ子や甥っ子たちには面白くて格好いい叔父さんとして慕われていた。戦後の沈んだ雰囲気の残る50年代に「サンダーバード」などの珍しい車で颯爽と現れ、トロピカルな国々を旅行しては楽しいハガキを送ってくれるフレミングはさぞかし子供たちをウキウキさせたに違いない。
この物語は、たったひとりの息子、カスパーを寝かしつけるためにフレミングが綴ったもので、1964年に出版された。が、フレミングは同作が出版されたのを見届け、すぐに他界。そして、カスパーも約10年後、23歳の若さで麻薬の過剰服用により自殺してしまった。彼の棺の中には同作が納められたという。

チキ・チキ・バン・バンあらすじ

妻に先立たれた貧乏発明家の主人公は子供たちにせがまれ、過去にレースで大破しポンコツになった車を改造する。見違えるように生まれ変わった「チキ・チキ・バン・バン号」で子供たちを連れ、ひょんなことで知り合った令嬢とドライブに出かける主人公。しかし、そこには「チキ・チキ・バン・バン号」を狙う悪党がいた。悪党に襲われそうになるが、「チキ・チキ・バン・バン号」はホバークラフトになって海を駆け巡り、ついには空を飛ぶなど大活躍をする。

食通
Gourmand

女、車、ギャンブル、ゴルフと並んでフレミングが愛したのが「食べ物」だ。ボンドと同様、美食家であったが、ボンドのようにワインや食材について薀蓄のあるタイプではなく、とにかく美味しければ何でも良しとし、シンプルで高品質のものが好きだったようだ。「The Savoy Grill」と「The Ivy」はとくにお気に入りのレストランだったといわれる。
ちなみにフレミングの大好物は「スクランブル・エッグ」。フレミングが「絶対にがっかりさせられることがない」と語る、そのレシピを下に紹介しよう。
尚、毎日の美食に加え、一日50~70本の喫煙に、ジンをボトル一本という飲酒の不摂生は人生を楽しくはしても長くはしなかったようで、1961年に53歳で心臓発作を起こしたフレミングはその後体調不良のまま、3年後に2回目の発作を起こして逝ってしまう。
絶対にがっかりさせられることがない
スクランブル・エッグの作り方
材料(4人分):
卵12個、バター150グラム、チャイブまたはフレッシュハーブ、塩コショウ
作り方:
卵を割り、フォークで混ぜながら塩コショウする。小さくて底の厚いフライパンにバターを半分いれ、卵を注ぎ、小さな泡立て器で混ぜながら、ごく弱火で焼く。卵がまだ半生でこのままでは食べられないというあたりでフライパンを火から下ろす。そこで残っているバターを加え、30秒かき混ぜる。ハーブを加え、バターをぬったトーストの上にのせて、銅の皿に盛り付け、シャンパンとともに食す。

諜報部員
Intelligence Officer

『ロシアより愛をこめて』でローザ・クレッブが使用したナイフ仕込みの靴の試作モデル。Prototype of Rosa Klebb's flick-knife shoes for From Russia, With Love (1963)
©1963 Danjaq, LLC and United Artists Corporation. All rights reserved.
フレミングにとって人生最初の仕事となったのが、ロイター通信での記者業だった。モスクワなどで通信員として働いていた3年間で、フレミングは「速く書くこと、正しく書くことを覚えた」と後に語っている。第二次世界大戦が始まるとすぐに英国海軍諜報部Naval Intelligenceの海軍少将の秘書として抜擢されるが、それは、このロイター時代の明晰さを買われた結果だった。
国の機密情報を扱う諜報部員の一員となったフレミングは、この転機を待ってましたとばかりに受け止め、ロイター時代と同様、自慢の想像力と計画力、情報収集能力、伝達能力などを十二分に活かし、さまざまなスパイ活動を企て、遂行させた。ジェームズ・ボンドのように実際に現地に赴き、任務を行うスパイ(secret agent)ではなかったものの、指揮官としてスパイ部隊を統括し、軍の上層部や政府とのやり取りを円滑にするなど、より重要なポストでその才覚を発揮した。
「マーキュリー」と呼ばれる諜報部を組織し、サンデー・タイムズの海外特派員になりすましたスパイたちを諸外国に送り込み、情報の収集に努めたり、「30AU」(30 Assault Unit、42年設立当初30人だったが、戦争終了時には450人、通称レッド・インディアンズ)と呼ばれる、金庫破りや錠前破り、盗聴などを専門とする奇襲補助部隊を統括したりした。
とくに「30AU」は第二次世界大戦において大活躍し、結果的に勝利を導いたD-Dayでも多大な貢献を果たした。この時企てた陰謀や特別任務はボンド小説の中に散りばめられており、諜報部員としての経験なしにボンド小説は生まれ得なかったといってもいい。

フレミングが企てた主な特別任務

●Operation Ruthless
ドイツのコードブック(暗号解読本)を盗むための特別任務。ドイツ軍の戦闘機を撃ち落とし、負傷兵の中に怪我をして血まみれに見せかけた偽ドイツ兵の諜報部員をもぐり込ませ、救助にやってきた掃海挺に乗り込み、最終的に救助されたドイツ兵を皆殺しにし、掃海挺をハイジャックしてコードブックを盗むという作戦。
●Operation Goldeneye
スペインが英国の敵側の枢軸国として参戦した場合、英領のジブラルタルを封鎖しようとする計画。結果的にはスペインが参戦しなかったので実行されなかった。ボンド映画17作目の「Goldeneye」はこの計画を基にストーリーが作られている。また、フレミングはジャマイカの別荘を「Goldeneye」と呼んでいた。

ボンド映画あれこれ

さてさて、イアン・フレミングがどんな人物がわかったところでボンド映画についてのいろいろなエピソードを紹介しよう。ボンドがフレミング自身の投影された姿だということを知りつつ観ると、さらに面白味が増すだろう。

ジェームズ・ボンドは英国映画?アメリカ映画?

左からフレミング、プロデューサーのハリー・サルツマン、ブロッコリ両氏。© Getty Images
21作ものボンド映画を生み出してきたイオン・プロダクションは、アメリカの映画プロデューサー、アルバート・R・ブロッコリによって設立されたとはいえ、ロンドンのピカデリーに事務所を構え、バッキンガムシャーにあるパインウッド・スタジオで撮影を行う、正真正銘の英国の会社。ボンド映画は出演俳優も制作スタッフも英人が多く起用され、プレミア公開もロンドンで先行される。また、ロイヤル・ファミリーも列席することもあるなど、由緒ある英国映画とみなされてきた。
しかし、それも第10作目までの話。第1作目から配給会社として携わってきたハリウッドのユナイテッド・アーティスツが共同制作まで担うようになると純粋な英国映画と呼べないのではという意見も出てきた。そのため第11作目以降からは英米合作とするのが一般的で、最近作の「カジノ・ロワイヤル」のように英米にドイツ、チェコも加わり、4ヵ国の合作とされているケースもある。ちなみにユナイテッド・アーティスツは買収され、現在ソニー・グループのコロムビアが共同制作会社となっている。

初代 ショーン・コネリー
Sean Connery

主演回数:6回 (第1~5作、7作)
007といえばこの人。映画ファン投票などでも「最高のボンド役」として選ばれるなど人気は根強い。キャスティングの時点では無名の俳優で、とくにフレミングは「図体だけ大きくて野暮ったい」と彼の起用に乗り気でなかった。しかし、フレミングの女友達はコネリーの魅力を認めており、1作目の『ドクター・ノオ』を見てフレミングも納得。同作は原作ボンドを凌ぐまでに大ヒットし、渋くて甘いマスクのコネリーは、まさしくボンドの顔となった。
ひと口メモ
今回挙げたのはイオン・プロダクションによるボンド・シリーズに主演した歴代ボンドたち。コネリーはフレミングのかつての共同脚本執筆者であったケビン・マクローリーに依頼され、ボンド役を離れて10年ぶりにもうひとつのボンド作品『ネバー・セイ・ネバー・アゲイン』(83年、ワーナー・ブラザーズ)に主演している。この作品は「007シリーズの本家本元は私たちだ」というイオン・プロダクションとの法廷問題にまで発展。マクローリーはその後もイオン・プロに対抗して新たなボンド映画の製作を試み、法廷闘争を巻き起こしている。「ネバー・セイ・ネバー・アゲイン」は、「もう二度とボンド役はやりたくない」というコネリーに妻が「『決して』とは決して言わないことよ」と諭し励ましたことに由来する。

2代目 ジョージ・レーゼンビー
George Lazenby

主演回数:1回 (第6作)
歴代ボンドの中で唯一、英国出身・育ちでなくオーストラリア出身の俳優。アクションの上手さを買われ抜擢されるが、演技の経験がなく、イギリス英語もつたない彼は、撮影現場でトラブルメーカーだったにもかかわらずギャラアップを要求したため、1作で降板。しかし彼の主演した『女王陛下の007』は、ボンドの生涯で1度の結婚、新妻の死など悲劇的で人間臭いストーリー展開になっており、ボンド映画の中でも最もボンド映画らしい作品のひとつとして評価されている。

3代目 ロジャー・ムーア
Roger Moore

主演回数:7回 (第8~14作)
野性味あふれるボンド像がコネリーなら、スマートで知的なボンド像にはまり役なのがロジャー・ムーア。洗練された雰囲気があり、フレミングが最初からボンド役に推していた俳優だ。多くの女性ファンを魅了し、ボンド俳優の中で最多の主演本数を誇る。彼の演じた作品は大掛かりなスペクタクル・アドベンチャーに彩られ、アクションが多く、自称「運動音痴」のムーアはスタントマンの吹き替えを多用せざるを得なかったという。

4代目 ティモシー・ダルトン
Timothy Dalton

主演回数:2回 (第15、16作)
第6作目、第12作目の時にもオファーは来ていたが「自分は若すぎる」といって断っていたダルトン。3度目のラブコールで了承し、2作を好演した。故ダイアナ妃が「原作にもっとも近いボンド」と絶賛したことでも有名で、ムーア時代のスペクタクル劇から一転、ボンド作品を人間味のある英国スパイ作品に引き戻した。原作を熟読したファンには正統派ボンドと呼ばれている。

5代目 ピアース・ブロスナン
Pierce Brosnan

主演回数:4回 (第17~20作)
前代ダルトンの作品は批評家から高い評価を得たものの興行的に芳しくなく、シリーズは一時中断、5年以上ものブランクがあいていた。紳士的でワイルド、しかもセクシーという3拍子揃ったボンドを好演し、衰えていたボンド映画に再び人気の火を点したのがブロスナン。私生活では第12作のボンド・ガール、カサンドラ・ハリスと結婚しており(91年に死別)、04年にアメリカ市民権を得て20年以上アメリカに在住。

6代目 ダニエル・クレイグ
Daniel Craig

主演回数:2回 (第21作~)
シリーズ始まって以来の金髪ボンドの誕生にとまどうファンも多く、前評判の良くなかったクレイグ。だが、いったん映画が公開となると迫力のあるアクションや人間味のある演技が高い評価を得、ボンド作品の中で最高の興行成績を記録した。また、ボンド役で初めて英国アカデミー賞主演男優賞にもノミネートされた。

日本での撮影秘話

1967年に公開となった「007は二度死ぬ」は日本を舞台にしており、丹波哲郎や浜美枝、若林映子といった日本の俳優を起用し、日本で撮影が行われた貴重な作品。
原作『You Only Live Twice』をもとにしており、原題はフレミングが来日した折に松尾芭蕉の俳句にならって詠んだ詩、「you only live twice: once when you're born, and once when you look death in the face」からとったもので、小説の中ではジェームズ・ボンドが友人のタイガー・田中に捧げたという設定で登場している。
実は、この「007は二度死ぬ」、関係者の多くが事故死したことでも知られる。
66年3月5日に英国海外航空(BAの前身)のボーイング707型機が富士山付近の乱気流に巻き込まれ、空中分解し乗員乗客全員が死亡した惨事を記憶している読者もいるかも知れないが、同機には英国に帰国しようとしていた撮影スタッフが含まれていたのだ。
監督のルイス・ギルバート、製作のサリー・ハルツマン、アルバート・ブロッコリなど、トップ関係者の5名も同機に搭乗する予定だったが、出発の2時間前に、忍者指南のための忍者パフォーマンスが急遽行われることになり、帰国をキャンセルしたためこの5名は難を逃れた。
その他、ヘリコプターを使って空中戦を行うシーンの撮影で、英人カメラマンが片足を切断してしまうという事故も起きている。
日本でのロケ地
都内
旧蔵前国技館、銀座四丁目交差点、ホテルニューオータニ、営団地下鉄丸ノ内線、営団地下鉄丸ノ内線中野新橋駅、駒沢オリンピック公園、代々木第一体育館付近
国内
富士スピードウェイ、姫路城、鹿児島県坊津町、霧島山新燃岳

EON Productionsによるボンド映画一覧

  英語タイトル 日本語タイトル 製作年 主題歌 歌手
1 Doctor No 『ドクター・ノオ』 1962年 ジェームズ・ボンドのテーマ
2 From Russia, With Love 『ロシアより愛をこめて』 1963年 同名 マット・モンロ
3 Goldfinger 『ゴールドフィンガー』 1964年 同名 シャーリー・バッシー
4 Thunderball 『サンダーボール作戦』 1965年 同名 トム・ジョーンズ
5 You Only Live Twice 『007は二度死ぬ』 1967年 同名 ナンシー・シナトラ
6 On Her Majesty's Secret Service 『女王陛下の007』 1969年 We Have All the Time in the World ルイ・アームストロング
7 Diamonds Are Forever 『ダイヤモンドは永遠に』 1971年 同名 シャーリー・バッシー
8 Live and Let Die 『死ぬのは奴らだ』 1973年 同名 ポール・マッカートニー&ウィングス
9 The Man with the Golden Gun 『黄金銃を持つ男』 1974年 同名 ルル
10 The Spy Who Loved Me 『私を愛したスパイ』 1977年 Nobody Does It Better カーリー・サイモン
11 Moonraker 『ムーンレイカー』 1979年 同名 シャーリー・バッシー
12 For Your Eyes Only 『ユア・アイズ・オンリー』 1981年 同名 シーナ・イーストン
13 Octopussy 『オクトパシー』 1983年 All Time High リタ・クーリッジ
14 A View to a Kill 『美しき獲物たち』 1985年 同名 デュラン・デュラン
15 The Living Daylights 『リビング・デイライツ』 1987年 同名 アーハ
16 License to Kill 『消されたライセンス』 1989年 同名 グラディーズ・ナイト
17 GoldenEye 『ゴールデンアイ』 1995年 同名 ティナ・ターナー
18 Tomorrow Never Dies 『トゥモロー・ネバー・ダイ』 1997年 同名 シェリル・クロウ
19 The World Is Not Enough 『ワールド・イズ・ノット・イナフ』 1999年 同名 ガベージ
20 Die Another Day 『ダイ・アナザー・デイ』 2002年 同名 マドンナ
21 Casino Royale 『カジノ・ロワイヤル』 2006年 You Know My Name クリス・コーネル
22 Quantum of Solace  『クォンタム・オブ・ソラス』 2008年 未定(2008年3月31日現在)

もうひとつの「カジノ・ロワイヤル」

Casino Royale (1967) DVD
フレミングがすべての著作の映画化権をイオン・プロに売る以前に、「カジノ・ロワイヤル」の映画化権を別の人物に売却していたせいで、イオン・プロは「カジノ・ロワイヤル」を映画化できなかった。同作はコロムビアが制作権を獲得し、1967年にジョン・ヒューストンら5人の監督によりピーター・セラーズの主演で、ジェームズ・ボンドのパロディ作品として奇異なドタバタコメディに仕上がった。
ウッディ・アレンもちょい役で出演しているというこの映画、公開当時はそれほどヒットしなかったものの、60年代のポップ・カルチャーを反映した貴重な映画として、80年代以降評価が高まり、映画『オースティン・パワーズ』などにも多大な影響を与えたことで知られる。

ボンドガール

ボンド作品に欠かせないスパイスとなっているのが、セクシーでミステリアスなボンド・ガール。2006年に英エンターテインメント系会社が行った調査によると、「ボンド・ガール ベスト10」は下記のとおり。( )内は役名。第5作の『007は二度死ぬ』(1967年)に登場した浜美枝と若林映子がランクインしていないのが残念!

写真はすべて © Danjaq, LLC and United Artists Corporation
1位 ウルスラ・アンドレス(ハニー・ライダー) 『ドクター・ノオ』 1962年
2位 オナー・ブラックマン(プッシー・ガロア) 『ゴールドフィンガー』 1964年
3位 ダイアナ・リグ(トレイシー・ディ・ヴィンチェンゾ) 『女王陛下の007』 1969年
4位 ハル・ベリー (ジンクス) 『ダイ・アナザー・デイ』 2002年
5位 キャロル・ブーケ (メリナ・ハヴロック) 『ユア・アイズ・オンリー』 1981年
6位 ソフィー・マルソー (エレクトラ・キング) 『ワールド・イズ・ノット・イナフ』 1999年
7位 イザベラ・スコルプコ (ナターリャ・シモノーヴァ) 『ゴールデンアイ』 1995年
8位 ミシェル・ヨー (ウェイ・リン) 『トゥモロー・ネバー・ダイ』 1997年
9位 バーバラ・バック (エージェントxxx) 『私を愛したスパイ』 1977年
10位 ジェーン・シーモア (ソリテア) 『死ぬのは奴らだ』 1973年

イアン・フレミング 生誕100年 記念イベント

フレミングの生誕100年にあたる2008年はさまざまなイベント、書籍刊行が予定されている。主なものをここで紹介しよう。

For Your Eyes Only : Ian Fleming and James Bond
「~ユア・アイズ・オンリー~イアン・フレミングとジェームズ・ボンド」

イアン・フレミングの作品と生涯に焦点をあてた初の大型企画展。米ソの冷戦がいかにボンド小説とボンド映画に反映されているか、どこからどこまでがフレミングの想像によるものなのか、事実と虚構との境界を探る。 フレミングの草稿はもちろん、撮影でダニエル・クレイグが着用した血まみれのシャツや、ハル・ベリーの着たビキニなども展示される。
※公開終了

Bond Bound: Ian Fleming and the Art of Cover Design

ボンド小説出版にあたり、表紙のデザインや装丁などにもこだわったというフレミング。同展では、キャッチーな印象を与え、読者の想像力を膨らませるボンド本の作成とデザインの歴史を紹介する。ボンド小説だけでなくフレミングの著作すべてが展示される。
※公開終了

ジェームズ・ボンド切手発売!

フレミング生誕100年を記念し、2008年1月8日にロイヤル・メールよりボンド切手が発行された。切手図版は6種類あり、代表6作の初版本(ジョナサン・ケープ社刊)と改訂版の表紙4パターンが各々デザインされたもの。内訳は『Casino Royale』と『Dr No』が国内1stクラス用、『Diamonds Are Forever』と『Goldfinger』がZone 1、2の海外レター10グラム以下用(54ペンス)、Zone 1、2の海外レター20グラム以下用(78ペンス)が『From Russia, With Love』『For Your Eyes Only』となっている。
切手サイズ:ヨコ60ミリ×タテ21ミリ
※発売終了

ニューデザインのハードカバーシリーズ刊行

同じくペンギン社から、フレミングのボンド小説、14巻がマイケル・ジレットのデザイン画によるハードカバーで新たに2008年5月28日登場する=写真。マイケル・ジレットはウェールズ出身でサンフランシスコ在住のアーティスト。アーバン・アウトフィッターズやキャピタル・レコード、レヴィ(旧ヴァージン・レコード)などのデザインを手がけている。

【ボンド番外編】ヤングボンド・シリーズとマネペニーの秘密の日記シリーズ

フレミングを後継しているボンド小説の他に、もうふたつのボンド番外編が05年からシリーズ化されている。ひとつはボンドの少年時代の物語で、チャーリー・ヒグソンCharlie Higsonが執筆、50万冊を売り上げ、23ヵ国語にも訳されている人気のシリーズだ。もうひとつはケート・ウェストブルックKate Westbrookによるシリーズで、ボンドの上司Mの秘書であったマネペニーの秘密の日記を公開するというスタイルで書かれており、女性らしい視点が注目を集めている。ヤングボンド・シリーズの新作は2008年9月にPuffin社より発行予定。マネペニー・シリーズの新作『The Moneypenny Diaries - Final Fling』(John Murray社)は2008年5月に刊行予定。

新刊Devil May Care フレミングの誕生日に発売

『Devil May Care』
ペンギン社 ハードカバー304頁 £18.99
ボンド小説はフレミングの死後もジョン・ガードナーJohn Gardnerやレイモンド・ベンソンRaymond Bensonといった作家によってシリーズの存続が保たれていたが、2002年の『赤い刺青の男The Man With the Red Tattoo』を最後にベンソンが執筆を辞めると、後継の作家が現れず、シリーズは一時中断していた。
しかし2008年5月28日、フレミングの誕生日に合わせて待望の新刊『Devil May Care』がペンギン社から発行される。シリーズ再開にあたり白羽の矢が立ったのは『Human Traces』や『Engleby』などで知られる英国の小説家、セバスチャン・フォークスSebastian Faulks。舞台は冷戦時代で、スリリングかつエキゾチックな都市をボンドが駆け巡るということだけは明らかにされているが詳細は発売まで秘められている。

Quantum of Solace 2008年10月31日公開

新作『Quantum of Solace慰めの分け前』という題名はフレミングの原作 『For Your Eyes Only』に収録されている短編の題名からとったもの。若きボンドが007になるまでの道のりを描いた前作『カジノ・ロワイヤル』の続編で、前作の最後で最愛のボンドガール、ベスパーに死なれたボンドの悲哀から物語が始まる。敵役は『潜水服は蝶の夢を見る』などで知られるマチュー・アマルリックで、ボンドガールはオルガ・キュリレンコとジェマ・アータートンの2人。スタジオ撮影が今年に入って始まり、イタリアやオーストリア、パナマ、チリ、ペルーでロケが行われている。プロデューサーのマイケル・G・ウィルソンは、アクションの量が前作の2倍になると語っている。ボンド映画史上最高の興行成績となった前作の記録を果たして超えることができるか?

週刊ジャーニー No.517(2008年4月3日)掲載