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■ 第132話 ■ミソはクソじゃねェんだヨ

▶1860年、77名の幕府使節団が米ワシントンに派遣された。日米修好通商条約の批准書交換のためだ。一行は米海軍軍艦ポーハタンに乗ってアメリカに向かった。正規の遣米使節団に伴い勝海舟など17名の士官と従者や水夫合計96名を乗せた軍艦咸臨丸(かんりんまる)がサンフランシスコまで演習を兼ねて随伴した。この8年後に幕府が瓦解するなど考えてもいない総勢173名の日本人が渡米。その中に福沢諭吉もいた。筆者は今回、熊田忠雄氏の「拙者は食えん!サムライ洋食事始」という著作を参考にしている。160年ほど前、欧米に渡った日本人の食の苦労を緻密に描いた珠玉の1冊だ。

▶咸臨丸はオランダで造られた比較的小さな軍艦だ。艦内には厨房があった。出発前、軍艦奉行が長崎の海軍伝習所で教官を務めていたオランダ人に「厨房いらんので取っ払って火鉢を並べてはどうか」と尋ねた。オランダ人は言う。「日本人は皆、めいめいにコンロを持っていてそれで煮炊きする。想像してみて欲しい。百人からの人間が一斉に甲板上、各自のコンロで煮炊きしている姿を。炊事遠足ちゃうっちゅうねん。私は断固としてこれに反対した」。コンロって恐らく七輪。マイ箸すら持たない筆者からしてみたら士官や従者らが一人一人マイ七論を持ち込もうとしていたというのは驚きだ。オランダ人が困惑したのも無理はない。結局、厨房は撤去され、そこに米を炊くための大きな釜が2個据えられた。毎日の食事はご飯に干物、そして漬物。これが延々と続いた。日本を出発してすぐに咸臨丸は暴風雨に遭い、時に10メートルにも及ぶ高波に襲われ、船体も木の葉のように上下左右に舞った。甲板には海水がナイアガラの滝状に降り注ぎ、米を炊くどころではなくなった。そういう時は干物だけをかじって空腹をしのいだ。それ以前に船酔いで食欲も失せた。

咸臨丸
渡米した頃の咸臨丸ですが、何か?

▶小さな咸臨丸船倉に100人、往復10ヵ月間分の食料がギュウギュウに詰め込まれた。内容は大量の米、ミソ、しょう油、塩、胡椒、唐辛子、砂糖、酢、茶、香の物、焼酎、小豆大豆、そば粉、麦、鰹節、梅干、塩鮭、野菜、乾物、生きた鶏や鴨、豚等々。「なんだ、ちゃんと動物性たんぱく質もあるじゃないか」と思ったがこれらは咸臨丸に同船して帰国する、座礁した米測量船乗組員10名のためのもの。ポーハタンに積み込まれた食材も咸臨丸とほぼ同じ内容だった。しかしポーハタンに荷を積み込んでいる最中に問題が生じた。米水兵の1人が高い鼻をひん曲げて叫んだ。「ヘ~イ、なんかキョーレツに臭いヨ。この樽、クソか何かが入ってんじゃネ?」。樽の蓋を開け「ほ~ら、やっぱりクソの詰め合わせじゃん」。それはクソじゃなくてミソとたくあんが入った樽だった(注:クソ対比は筆者の不埒な大袈裟表現)。

▶日本側は「我々のソウルフードをクソとは何だ。確かにちょっと似てるけど、失礼千万」と激おこ。両者は一触即発状態となったが最終的には積み込みが許可された。ところがハワイ近海で船倉温度が上昇するとミソやたくあんの発酵が加速。船内に個性的かつウルトラ刺激的な香りが充満した。「これ爆薬より危険ね。あなたたち、アメリカ人皆殺しにするつ~もりですか?」と叫んだ記録はどこにもないがとにかく鼻が直角にひん曲がったアメリカ人たちはミソやたくあんが詰まった樽を全て太平洋のど真ん中に投棄した。日本人が「ミソクソじゃあ」と肩を震わせ嗚咽したところで次号に続く。チャンネルはそのままだぜ。

週刊ジャーニー No.1252(2022年8月11日)掲載

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