最後のポーランド王が夢見た ダリッジ・ピクチャー・ギャラリーを征く
© Luca Piffaretti

●征くシリーズ●取材・執筆/本誌編集部

■ ロンドン南部の住宅街ダリッジにある、ダリッジ・ピクチャー・ギャラリー。英国でもそれほど知名度はない小さな美術館だが、そこに展示されている絵画は、ある王国の最後の国王が集めたものだ。今回は同館をご紹介したい。

ポーランドの最後の国王、ポニャトフスキ家のスタニスワフ・アウグスト。
ポーランドの最後の国王、 ポニャトフスキ家のスタニスワフ・アウグスト。

ロシア、プロイセン、オーストリアの3国が領土を奪い合ったことで、1772年、1793年、1795年の3回にわたって国土を分割され、消滅してしまったポーランド・リトアニア共和国。その最後の国王、スタニスワフ・アウグスト・ポニャトフスキ(スタニスワフ2世)はポーランドを愛し、荒廃していく国家を立て直そうと教育制度を整え、芸術や文化、経済などの改革に尽力した。しかし一方で、ロシアの女帝エカチェリーナ2世との愛人関係によるロシアへの依存と断ち切れない想い、また元来の優柔不断な性格から、結果として国家滅亡を防ぐことができなかった。

君主として評価が分かれる人物であるが、ダリッジ・ピクチャー・ギャラリーの収蔵品の基礎は、実はこのスタニスワフ・アウグスト国王が収集を依頼した絵画で形成されている。

同王は1790年、ポーランド王室の美術コレクションの充実化と同国における美術の発展のため、ロンドンで画商を営んでいたフランス人のノエル・デザンファンと英画家のフランシス・ブルジョワに、絵画収集を依頼した。1度目のポーランド分割から28年が経過し、すっかり油断していたのかもしれない。デザンファンとブルジョワは、国王が満足する王室コレクションを用意すべく、ヨーロッパ中をめぐって美術品を集めていたが、依頼から3年後に2度目のポーランド分割が実施され、さらに2年後には3度目の分割も行われて、ついに王国自体がなくなってしまった。スタニスワフ・アウグスト王自身も退位を迫られた末、ロシアで幽閉となり、連絡をとることができない。

引き取り手がいなくなって浮いてしまった美術品、さてこれらをどうしようか――。困ったのはデザンファンとブルジョワの2人だった。買い手が見つからないままデザンファンが死去し、大英博物館に寄贈する案も頓挫。やがて死に面したブルジョワは、作品群を展示する美術館を新たに建てるように遺言を残し、息を引き取ったのだった。そうして完成した美術館が、ダリッジ・ピクチャー・ギャラリーである。

美術館の設計を担当したのは、ブルジョワの友人で、イングランド銀行の設計にも携わった建築家のジョン・ソーン。ホルボーンに今も残る彼の自宅兼博物館「ジョン・ソーン・ミュージアム」は、4万5000点におよぶオブジェと3万枚のドローイングがひしめきあう「異空間」として知られ、弊誌でも以前紹介しているので、ご存知の方も少なくないだろう。

ダリッジ・ピクチャー・ギャラリーの天井には、ジョン・ソーンのデザインの特徴でもある「天窓」が設置され、展示室内が自然光で明るく照らされている。「太陽光が差し込む展示室」は、現代では一般的な美術館のデザインで各所で目にする光景だが、それを最初に手がけたのがソーンである。また、同館にはなんと小さな霊廟(Mausoleum)も併設されており、そこにはコレクションを集めたデザンファンとブルジョワ夫妻の3人が眠っている(ただ、この霊廟は企画展の開催時には映像鑑賞用の部屋になることが多い)。

今月20日からは、特別企画展の葛飾北斎「冨嶽三十六景」が展示される。ロンドン中心部からは約1時間、こじんまりした美術館ではあるものの、スタニスワフ・アウグスト国王が求めたレンブラントやルーベンス、プッサン、ムリーリョといったヨーロッパの巨匠絵画を楽しめる。近くにはホーニマン・ミュージアム&ガーデンズもあるので、一緒に訪れてみては?

赤い電話ボックスと霊廟
英国の赤い電話ボックスは、ジョン・ソーンが得意としていた建築デザインがモデルとなっている。後方に見える霊廟の建物の形と見比べてみよう!
赤い展示室内の様子
© Luca Piffaretti
霊廟の内部の様子
霊廟の内部の様子。ジョン・ソーンらしい、ドーム型の天井と自然光が入る天窓が見られる。 © Poliphilo
青い展示室内の様子
© Luca Piffaretti

北斎 版画展「冨嶽三十六景」
Hokusai:Thirty-six Views of Mount Fuji from the Iuchi Collection
10月20日(火)~2027年1月17日(日)

1830~33年にかけて制作された、葛飾北斎による有名な風景版画シリーズ「冨嶽三十六景」の全36作品が、英国で初展示される。年末年始はダリッジ・ピクチャー・ギャラリーで富士山を見て、運気アップ!

富嶽三十六景 凱風快晴
Katsushika Hokusai, Clear Day with a Southern Breeze ('Red Fuji'), 1830-1833, colour woodblock, 25.6 x 37.6cm.
富嶽三十六景 武州墨田川関屋の里
Katsushika Hokusai, Sekiya Village on the Sumida River, 1830-1833, colour woodblock, 25.9 x 37.1 cm.
The Iuchi Collection, on deposit at The National Museum of Western Art, Tokyo. Photo by Norihiro Ueno

赤い電話ボックスのモデルを発見!
ジョン・ソーンの墓がある
St Pancras Old Church

St Pancras Old Church

4世紀前半、古代ローマ軍の野営地があったとされる場所に建てられた、古い歴史を持つセント・パンクラス・オールド教会。教会を囲む墓地には、1854年に同所が閉鎖されるまでの間、 メアリー・ウルストンクラフト夫妻(「フランケンシュタイン」の作者メアリー・シェリーの両親)、ジョン・ポリドリ(「吸血鬼」の作者)など多くの著名人が埋葬された。

1860年代にセント・パンクラス駅の開業へ向けて一帯の開発が始まると、線路を敷くために墓地は掘り返され、規模も大幅に縮小。残った部分は1877年、セント・パンクラス・ガーデンとして生まれ変わった。撤去されなかった墓で最も有名なものは、建築家ジョン・ソーンが自らデザインした墓所。先立った妻と長男、そして1837年に自身も埋葬されている。

ジョン・ソーン家の墓
ジョン・ソーン家の墓。墓石のデザインは、まさに赤い電話ボックスそのもの! ドームの下には墓碑が4基(4面)あるが、そのうちの3基には自身と妻、長男の名前がそれぞれ刻まれ、残りの1基は空白。不仲で勘当状態だった次男は埋葬されなかった。
ハーディ・ツリー
同所でジョン・ソーンの墓とともに有名な「ハーディ・ツリー」。1860年代の墓地の掘り起こしで撤去された墓碑は, 木の根元に積み上げられた。この作業にアルバイトとして作家のトーマス・ハーディが参加していたことから、この呼称がついた。現存する唯一の木だったが、2022年12月に倒壊、現在は墓石だけ残っている。
St Pancras Old Church Map
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Travel Information
※2026年10月6日現在

Dulwich Picture Gallery
ダリッジ・ピクチャー・ギャラリー

14 Gallery Road, London SE21 7AD
www.dulwichpicturegallery.org.uk

【オープン時間】
火〜日曜 10:00〜17:00
【料金】
常設展のみ £10
企画展+常設展 £21.50
【アクセス】
West Dulwich 駅から徒歩10分
North Dulwich 駅から徒歩15分
JEMCA
Kyo Service
J Moriyama
ジャパンサービス
らいすワインショップ
Atelier Theory
奈美デンタルクリニック
Toptour

週刊ジャーニー No.1465( )掲載