
◆◆◆《第935回》◆◆◆
白鳥の歌
英王室がまた話題の中心になっている。アメリカで生活していたハリー王子一家が突然、イギリスへ拠点を移したことも驚きだったが、それを上回る驚きはダイアナ元妃の弟、スペンサー伯爵が『白鳥の歌・ダイアナ・私の姉』というタイトルの回顧録を出版したことだ。言うまでもないが、ダイアナ元妃はハリー王子の実母である。
回顧録は九月二十二日に発売された。私はキンドルのデジタル版を購入した。スペンサー氏は発売前にマスコミのインタビューに応じるとともに、回顧録の一部を公開した。反響を呼んだのは、ダイナ元妃が事故死した後に、チャールズ皇太子(当時)と交わしたとされる会話である。回顧録によれば、ダイアナ元妃の死の数日後、チャールズ皇太子からスペンサー氏に電話があった。元妃が死去したにも関わらず、皇太子に沈痛さはなく、むしろ宝くじに当たったように高揚していた。スペンサー氏はこう記している。
「今、振り返ってみると、皇太子が最初に考えたことは、『ダイアナの死によって自分は解放され、晴れて愛する女性と結婚出来る』ということだったに違いない」
さらにスペンサー氏と皇太子がウイリアム王子とハリー王子を葬儀に参列させるかどうかで対立した時、皇太子は声を荒げて、「心配はいらない。我々は皆、すぐに彼女のことを忘れるだろう」と言った。スペンサー氏は回顧録にそう書いている。
王室は回顧録の記述にすぐに反応した。沈黙することで「記述を事実と認めた」と言われるのを恐れたのだろう。王室のスポークスマンは、「我々は原則として書籍に関するコメントを出さないが、チャールズ国王は『姉弟の苦痛は理性を曇らせ、大きな喪失の後、長い年月が経っても正しい判断力に影響を与え、他の人が理解出来ないほどに記憶を潤色するようだ』と認識している」という声明を発表した。持って回った言い方だが、スペンサー氏の記述を否定したのだ。

騒動はそれだけで終わらなかった。回顧録の発売日に元ミラー紙の編集長、ピアーズ・モーガン氏がスペンサー氏に噛みついた。回顧録に「モーガン氏は一九九三年、レオタード姿でトレーニング中のダイアナ元妃を隠し撮りさせ、それをミラー紙に載せた」との記述があるが、モーガン氏はその当時、別の新聞社に勤務していた。彼がミラー紙の編集長になったのは九五年であり、記述は完全に誤りである。スペンサー氏は誤りを認め、謝罪した。しかしモーガン氏の怒りは収まらず、「この回顧録の在庫は全て廃棄されるべきだ。私は著者のスペンサー氏と出版元のペンギン社に、私への中傷的な虚偽について賠償を要求する法的措置を取る」と断言した。
回顧録の中でスペンサー氏は「ダイアナ元妃にはADHD(注意欠如多動症)に関連する過敏な抑うつ症状があり、それが結婚後、皇太子との関係に影響を及ぼした」という趣旨のことも書いている。ADHDなどの精神疾患が広く認知されるようになったのは近年のことである。ダイアナ元妃が生きていた時代は治療方法も確立されていなかったから、彼女は一人で苦悩していたのかも知れない。読者の批判は当然、夫であるチャールズ皇太子の思いやりのなさに向かうことになる。
それにしても、スペンサー伯爵はなぜ今、回顧録を出版したのだろうか。ダイアナ元妃がパリの交通事故で亡くなってから二十九年が経っている。スペンサー氏はBBCとのインタビューで「チャールズ皇太子を批判するのは歴史の目撃者の義務である。私は真実をきっぱりと書き残したかった」と説明した。何しろ彼はダイアナ元妃やチャールズ皇太子の肉声を何度となく直接聞いているのだ。評伝作家やジャーナリストが知らない秘話もたくさんあるだろう。
ただ回顧録に書かれているチャールズ皇太子の言動はスペンサー氏の記憶の中にあるだけで、客観的に証明するものは何もない。だから王室は「これは記憶の潤色だ」と反論した。
とはいえ、国民の間でダイアナ元妃の人気は依然として高い。「パリにおける悲劇的な事故死は、不幸な離婚がなければ起きなかった」と考えている人も多い。そうした人たちは回顧録の中のチャールズ皇太子に関する記述を「なるほど、そうだったのか」と納得しながら読むだろう。現在のチャールズ国王にとっては不快なことだろうが、どうしようもない。これを「身から出た錆」と言えば言い過ぎだろうか。
週刊ジャーニー No.1465(2026年10月8日)掲載
在英三十年のエッセイスト。商社や銀行勤務を経て、現在は執筆に専念。酒、旅、そして何より犬を愛する。










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