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■ 第131話 ■赤子の手、捻るのカンタン説

▶日本が鎖国に踏み切ったのは1639年のこと。日米和親条約が締結されたのが1854年だから鎖国は約215年続いた。この間、欧米はシャレにならないほどの大発展を遂げていた。日本鎖国のちょっと前、オランダで「東インド会社」が誕生した。世界初の株式会社だ。それまでは冒険船が出発する度に出資者を募り、戻って来たら利益は皆で山分け、戻らなければ皆大損というギャンブル性の高い投資だった。株式会社は航海ごとに出資するのではなく、会社に出資した。そのため各々の航海の成否に一喜一憂する必要はなく、年度末に差し引きでプラスになっていれば配当がもらえた。皆、このやり方に倣った。株式会社が乱立した。

▶株式会社が増えりゃ株を扱うビジネスも生まれる。海難事故の損失を補填する保険業も始まった。産業革命が起こり巨万の富を築いた産業資本家たちが躍動した。ブルジョワジーの勃興だ。土地貸しの不労所得で食っていた貴族の没落が始まった。黒煙吐いて機関車が爆走し、大海原を蒸気船が駆けた。企業と新興富裕層が増えたことで銀行も乱立した。複数の銀行が通貨を発行していたため市場は混沌。銀行が増えたことで銀行の銀行、すなわち中央銀行が必要だと唱える連中が現れた。ロスチャイルド家のフロント企業「バンク・オブ・イングランド」が中央銀行にアップグレードされ、通貨発行権を独占した。賢い人たちが庶民には理解できないよう金融システムをどんどん複雑化させて行った。世界各地で植民地や地下資源の奪い合いが激化した。各国は軍備を拡大し、競って軍艦を造り、銃や大砲など、武器や兵器類の性能は飛躍的に向上した。

赤子
捻(ひね)るの、カンタンそうですが、何か?

▶ヨーロッパ主要国の中央銀行をほぼほぼ手中に収めたロスチャイルド家は北米で同様の試みをした。第1合衆国銀行、第2合衆国銀行と2度に渡ってアメリカで中央銀行設立に成功したがいずれも20年で抵抗勢力にぶっ潰された。やがてアメリカが南北に分かれて対立。北部では産業革命が進み、イギリス製の機械を入れないため保護貿易を求めた。南部は奴隷を使って綿を生産し、イギリスに輸出していたため自由貿易を訴えた。イギリスは南部を応援した。しかしリンカーンが大統領となり、奴隷廃止を訴えて世界の世論を味方につけた。イギリスは南部を応援しづらくなった。南と北は武力衝突した。南北戦争だ。リンカーンは戦費調達のため政府主導のグリーンバック紙幣を発行。通貨発行権を銀行から政府の手に奪い返したかに見えた。しかし南北戦争北軍勝利の数日後、観劇中に頭を撃ち抜かれて死んだ。米政府は再び通貨発行権を民間の銀行に奪われた。それが1865年のことで日本の元号が明治に代わる3年前のことだ。鎖国した頃、日本は欧米と比べてさほど遅れていた訳ではなかった。しかし200年ほど天下泰平の世を満喫している間に欧米はとんでもなく近代化していた。日本は周回遅れどころかレースに参加できる状態にすらなかった。

▶慌てて開国し、富国強兵、殖産興業を急ぐ日本にとって、欧米先進諸国の模倣をするのが一番の早道。イエズス会は強引過ぎて失敗した。米政府がロスチャイルド勢力から通貨発行権を死守せんと、まさに命懸けで闘っていた頃、ウブな日本は欧米列強に自ら頭を下げ、近代化のノウハウを教わりに行った。無垢な赤ん坊が捻ってもらうため、したたかな大人たちに自ら手を差し出しちゃったところで次号に続く。チャンネルはそのままだぜ。

週刊ジャーニー No.1251(2022年8月4日)掲載

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