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■ 第128話 ■パークスよ、あんたもか

▶2世紀以上に渡って鎖国を続けて来た日本。開国したかと思うとあっちゅー間に近代化していった。筆者思う。超高速西洋化の後ろにイギリスがいた。イギリスと言っても幕末明治期、日本には表と裏、2種類のイギリスがいた。表とはすなわちイギリス政府。当時イギリスが重きを置いていたのは欧米やインド、清などの大国で、そういう国には貴族や高位の外交官が送られていた。日本に送られて来た初代公使オールコックや2代目のパークスはいずれも叩き上げ。どちらも恫喝外交を得意とし、清では現地人を怒鳴りつけて支配するタイプの外交官だった。英外務省は公使たちに「日本で政変が起こるとしたら日本人の意思によって発生したように見せるように」と指令を出し、局外中立の立場を順守するよう伝えていた。フランスは幕府を支援。一方のイギリスは薩長を支援したとする歴史家が多い。しかし恐らくこれは正確ではない。イギリス政府の目的は貿易。よって貿易の妨げになるような騒乱は望んではいなかったはずだ。

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▶裏のイギリスとはロスチャイルド家だ。グラバー商会や英系銀行は内戦を望んでいたとしても何の不思議はない。だって戦争は儲かるんだもの。ただし、ロスチャイルド家代理人のジャーディン・マセソン商会がどちらの立場だったかは分からない。同社の子会社的存在だったグラバー商会が維新後、財政破綻に直面した際、救済せずに切り捨てたことを考えると、ロスチャイルドも内戦を望んでいなかった可能性が高い。いずれにしても筆者、ロスチャイルド家と繋がっていたのはアーネスト・サトウだと思っていた。しかしそれは正確ではなかった。サトウ以外にもう一人、いた。

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▶2代目公使のパークスは大政奉還3年前に来日し、以降18年間、日本近代化の目撃者となった。1883年に清国大使となって北京に異動。2年後、マラリアで死んだ。57歳だった。筆者はこのパークスがイギリス政府の代理人であり、サトウがロスチャイルドの代理人ではないかと疑っていた。しかしその考えを改めざるを得ない資料に出くわした。パークスの娘たちの嫁ぎ先だ。長女マリオンはジェームズ・ジョンストン・ケズィックと言う男と結婚した。ん? ん?ん? ジャーディン・マセソン商会初代横浜支店長ウィリアム・ケズィックの弟で後にジャーディン・マセソン本社のトップに君臨する男だ。さらに三女フランセスはウィリアム・ケズィックの孫でジャーディン・マセソン社取締役となるチャールズ・ディクソンと結婚。つまり婚姻を通してパークスもまたどっぷりロスチャイルド家と繋がっていたことになる。

▶ずっと以前、当欄に登場した謎だらけの人物、吉田健三は17歳でイギリスに密航し、2年後に帰国。わずか19歳でジャーディン・マセソン商会横浜支店長に抜擢され、期待通り同社にギガトン級の利益をもたらした。その謙三の養子が吉田茂。そして茂の孫が麻生太郎氏。麻生氏が今でもジャーディン・マセソン社4代目会長だったヘンリー・ケズィック氏と家族ぐるみでとても親しい関係にあるらしいことは以前書いた。パークスとサトウ。幕末から明治にかけてのイギリス政府の代表が実は2人揃ってロスチャイルド家とガッツリ繋がっており「日本を極東のイギリスにせよ」という指令を忠実に実行していた可能性が高い。あれ、紙面が尽きた。次号に続くぜ。チャンネルはそのままだ。

週刊ジャーニー No.1248(2022年7月14日)掲載

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