
■ 第125話 ■鉄道狂時代、バブルが来た~
▶世界初の実用鉄道が走ったのはマンチェスター~リバプール間で、1830年のこと。
1843年、イギリスは鉄道狂時代(Railway Mania)のピークを迎えた。鉄オタが写真撮るために駅に殺到した訳じゃない。投資家のマネーが鉄道開発に集中して起きたバブル経済のことだ。
鉄道を目の当たりにした金持ちは「こりゃ儲かる」と興奮した。「金になる」と分かるとすぐに便乗する産業資本家と投資家が現れる。
1846年には272社もの新規鉄道会社設立の法案が議会を通過した。信じ難いバブル。ところがバブルの真っ只中に天候不順による穀物不作が数年続いて不況入り。鉄道バブルも弾けた。ただしこの間、敷設された国内6000マイルの鉄道網はそのまま未来への財産となった。玉石混交の私鉄はやがてビッグ4に淘汰され、第2次世界大戦後は国有化された。
キングズ・クロスやセント・パンクラス、パディントンやらビクトリア。ロンドン中心部から少し離れたところに巨大な鉄道駅が無秩序に乱立するのは過去の私鉄同士の熾烈な激闘の名残だ。
▶蒸気の力は当然、船を動かす動力としても活用された。ペリーの黒船も蒸気船だった。ただしこの時の蒸気船はいわゆる外輪船。蒸気の力で水車型の装置をクルクル回し、水を掻いて推力を得た。
イギリスでスクリュー(プロペラ)の有益性が議論されたのは19世紀中頃。力学を理解しない人からは「そんなちっさい羽根でこんなでっかい船が動きまっかいな」と批判され、なかなか採用に至らなかった。
そこで外輪船とスクリュー船の綱引き実験が真面目に行われた。結果、スクリュー船の圧勝。その後はスクリューが主流となっていく。

▶船がオーエスと綱引きをやっていた頃、イギリスではアームストロング砲という後装式ライフル大砲が開発された。
それまで砲弾は砲の先っちょから入れて長い棒でギューッと押し込む必要があった。なので二発目を撃つのに随分時間がかかった。これを砲の後方で全て操作できるようにしたのが後装式であり、かなりの時短となった。
さらに砲身内にらせん状に溝が掘られた(ライフリング)。発射時、弾に横回転が与えられるため砲弾は遠くまで真っすぐ飛んだ。射程距離と命中精度は大砲の命。イギリス政府は技術を海外流出させないよう特許を独占。薩英戦争時、鹿児島市街を火の海にしたのもこのアームストロング砲だ。
ところがその薩英戦争時、不発が多い上に自爆した砲もあり、評価ガタ落ち。キャンセルも相次いで在庫のマウンテン。
イギリス政府は海外転売を解禁し、アメリカ相手に在庫一掃。南北戦争が終わると大量の中古アームストロング砲が日本にやって来た。在庫が大量にアメリカに渡り、さらにその中古を日本が高値で買わされた。純情可憐な日本はババ抜きでジョーカーを引かされ続けた。シクシク。
▶国元では飽和した鉄道。スクリューで疾走する最新艦船に新式火器。
イギリスには日本に売りたい商品が山ほどあった。「おサムライさん、チャンバラ古いよ。刀捨てて銃取りなはれ。アメリカみたいに国を2つに割ってドンパチやんなはれ。ホ~ホッホッ」と誰かが笑ったなんて資料はどこにもないが一つ一つの話は歴史的事実。
ただ、こうして当時のイギリスの情勢をテーブル上に並べてジッと見つめると、戊辰戦争もちょっと違って見えて来るねっていう一つの楽しい仮説。てなこって次号に続く。チャンネルはそのままだぜ。
週刊ジャーニー No.1245(2022年6月23日)掲載
他のグダグダ雑記帳を読む