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■ 第124話 ■文春も真っ青の暴露記事

▶1866年初春、横浜の外国人居留地で発行されていた英字紙ジャパン・タイムスに匿名の寄稿文が掲載された。タイトルは「ブリティッシュ・ポリシー(British Policy)」。端折ってサクッと言うとこう書かれていた。
〇「将軍とは日本の主権者ではなく諸侯連合の首席に過ぎない。現行の条約はその将軍と結んだもの。将軍は主権者ではないから条約のほとんどは実行不可能だ」
〇「現在、幕府が独占している外国との貿易を他の諸侯たちもやりたがっている」
〇「今の条約を廃して、改めて天皇や連合諸大名らと条約を結び、日本の政権を将軍から諸候連合に移すべきだ」。

▶この、文春やフライデーも真っ青級の寄稿文を書いたのが外国政府の人間であればとんでもない内政干渉だ。知られたくない幕府の矛盾と弱点を白日の下に晒す暴露記事。一体誰が書いたのか。アーネスト・サトウだ。さらに記事は和訳され「英国策論」のタイトルで日本中にコピーが出回った。諸大名らも奪い合うようにして読んだ。多くの人がこれをイギリス政府の公式見解と思い込んだ。日本中がザワつき始めた。一体誰が翻訳・拡散などという余計なことをしたのか。アーネスト・サトウだ。あれほど本国から「内政干渉すんな」と釘を刺されていたのに一介の書記官に過ぎないサトウがなぜまるで英政府に背を向けるような寄稿をしたのか。本国から事情を問われた英国公使パークスは「知らんかった」と回答した。しかしその後、特にサトウにお咎めがあった様子もない。恐らくパークスは知っていた。それどころか寄稿はパークスの指示によるものだった可能性すらある。

ハリー・パークス
英公使のハリー・パークスですが、何か?

▶寄稿文でサトウが指摘した最初の2点は日本の諸大名の間ではある程度知られていたことだ。ただ、3点目の「天皇や連合諸大名らと条約を結び直し、日本の政権を将軍から諸大名連合に移すべき」というのは「幕府を倒せ」と煽っているかのようで、かなり刺激的だ。この記事が掲載されたのは1866年3月16日。その わずか1週間前の3月7日、京都で密かに薩長同盟が締結された。会場となったのはサトウと親しい関係にあった薩摩藩の重臣、小松帯刀邸。薩摩と長州が組んだことで倒幕の機運が一気に高まろうとしている。まさにそのタイミングで「英国策論」は発表された。これって、単なる偶然?だとしたら偶然ってもはやマジック。この日からわずか1年半後、徳川慶喜は本当に大政を奉還しちゃった。

▶幕末期、英外務省の基本方針は一貫して「日本の内政に干渉するな」だった。公使パークスも通訳官サトウも耳タコだったはずだ。しかしサトウのタコだらけの耳にはもう一つ、全く別の指令が聞こえていたはずだ。「日本を極東のイギリスにせよ」。当時の英政府にしてみたら極東で甘い汁をチューチュー吸い上げるのはイギリスであるべきだった。敢えて日本を第2のイギリスに育て上げ、チューチュー用のストローを日本に差し出すようなお人よし政策を権益好きの大英帝国が打ち出すとは思えない。「日本を極東のイギリスにせよ」。これはロンドンのロスチャイルド家がアジア地域の同家代理人ジャーディン・マセソン商会横浜支店長に宛てた極秘司令だ。では、ジャーディン・マセソン商会とサトウはどこかで繋がっているのか。接点が見つからないまま、次号に続く。チャンネルはそのままだぜ。

週刊ジャーニー No.1244(2022年6月16日)掲載

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