■冷戦真っ只中の1963年、英政界を揺るがす大スキャンダル「プロフューモ事件」が発生した。英国人高級コールガールがソ連のスパイとされる人物と英陸軍相の両方と、同時期に関係をもっていたことが発覚。国家機密の漏洩を招いたのではないかと疑われ英陸軍相は辞任。保守党政権の終焉をも招いた。そのスキャンダルの中心的人物だった元コールガール、クリスティーン・キーラー=写真=が4日、肺疾患のため75歳で亡くなった。英各紙が報じた。
61年7月、バッキンガムシャーにあるアスター卿の大邸宅クリブデンで行われたプールパーティで、当時19歳だったキーラーは英陸軍相だったジョン・プロフューモと接触、金銭を介した肉体関係を持った。しかしキーラーは同時に、ソ連の駐英大使館付海軍武官でスパイのエフゲニー・イワノフ大佐とも同様の関係を持っていた。
後日、MI5長官からキーラーがイワノフ大佐とも通じているとの情報がもたらされたため、プロフューモ陸軍相は数週間でキーラーとの関係を終わらせた。
61年12月、ロンドンのメイフェアで銃撃事件が発生。関係者としてキーラーの名前が上がり、マスコミがキーラーの周辺を調査。やがてキーラーがソ連の武官と英陸軍相の双方と関係があった事実を突き止めた。しかしこの時は「政治家のプライバシーを尊重する」という英国の伝統からさほど大きな問題に発展することはなかった。
ところが63年3月、キーラーとプロフューモ陸軍相の関係を把握した労働党の議員がスキャンダルの真相追及を要求。その後、キーラーがソ連のイワノフ大佐とも関係を持っていたことも明るみに出て、買春スキャンダルは国家機密漏洩疑惑に発展した。
「英政界の次世代を担う人物」と評され、将来を約束されていたかに見えたプロフューモ陸軍相だったが徐々に追い詰められ9月5日、辞任。さらにはマクミラン政権の凋落を招く結果となった。この事件は89年、「スキャンダル」の題名で映画化もされた。
キーラーがソ連側に国家機密を漏らしたかどうかは長い間、不明のままだったが2013年、キーラーは「サンデー・ミラー」紙のインタビューで英国に対する背信行為を認めた。「自国を裏切ったのは事実。ここでこうして事実を語ることでようやく肩の荷が下りた。馬鹿な小娘だった」と当時を振り返った。
事件の後、プロフューモ元陸軍相は社会福祉活動に尽力、その功績が認められ1975年にはエリザベス女王から大英帝国勲章を授与された。2006年に亡くなった際は「スキャンダルよりもその後の社会貢献の功績で記憶される人物である」というコメントが多数寄せられ、名誉を回復しての死だった。
by 週刊ジャーニー(Japan Journals Ltd, London)
























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