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【ブータン編 第52話】酒場にやってきた意外な人物

石田ゆうすけ
旅行作家。7年半かけて自転車で世界一周を敢行。9万5千キロ、87ヵ国を走り、2002年末に帰国。現在は全国各地で講演も行う。著書に『行かずに死ねるか!』『地図を破って行ってやれ!』ほか。2014年2月に最新刊『大事なことは自転車が教えてくれた』(小学館)を上梓。ブログも更新中→「石田ゆうすけのエッセイ蔵

松茸スープ、松茸オムレツ、そして焼き松茸。もしかしたら一生分の松茸を食べたかもしれない。体から松茸が香るんじゃないか?
テンションが上がった僕は夜の町へと繰り出した。自転車を漕いでいないから体力もありあまっている。
ブータン旅行にはガイドと運転手をつけなければならないが、別に彼らは監視役ではない。夜の街のひとり歩きももちろん不問だ。
もっとも、夜の街といってもネオン街などはない。ここトンサはブータンの中ではそれなりに人のいる町だが、やはり他の町同様、明確な中心部がない。家や商店がてんでばらばらに立っているだけだ。
それでも飲み屋らしき店はあった。赤いネオンサインがついている。ドキドキしながらドアを開け、中に入ってみると、ビンゴ。家庭的な空間だが、小さなカウンターがあり、棚にはビールやスナック菓子のようなものが並んでいる。眼光の鋭い男がひとり、席に座っていた。テーブルはひとつしかないので、必定相席になる。ここいいですか、と微笑みながら聞くと、彼はニコリともせず、どうぞ、と言った。
ビールを頼むと、ちゃんと冷えたビールが出てきた。グラスに注いで飲む。カーッ、うまい。東部に入ってから地酒の焼酎ばかり飲んでいたからビールは久しぶりだ。
相席の男がたいして興味なさそうな顔で「どこから来たんだ?」ときれいな英語で聞いてきた。日本だと答える。
「やっぱりそうか。この町にも日本人がいるよ」
えっ、と驚いたが、ああ、青年海外協力隊か。
「JICAという組織だろう?」
「そう、それだ」
男は役人だという。役人は民族衣装を着て仕事をするのだが、彼は洋服だ。仕事のあと家に帰って着替えてきたらしい。ううむ、やっぱり洋服のほうが楽なのか。
とそこへ、海老茶色の袈裟を着た男性が入ってきた。えっ?

トンサで入った酒場。奥にいるのが僧侶

「あれ、僧侶じゃないの?」と聞くと、役人の彼はそうだと言う。
「僧侶が酒を飲んでもいいの?」
「何も問題ないさ。彼らは肉も食べるよ」
「ええっ!?」
一般人にとっても殺生は忌むべきことで、ガイドのテンジンも蚊の一匹さえ殺さないと話していた。ブータン仏教の戒律が厳しいというより、人々がただただ敬虔なのだと感じる。そんな国の僧侶が肉を?
でもすぐに、ナルホドネ、と納得してしまった。ブータンの七不思議なのだ。この肉食に関しては。彼ら自身は戒律によって命に手をかけない。かけられない。でも肉は大好き(菜食の人もいるそうだが)。ではどうするか。インド人に屠殺させるのである。自分は手を下さないからOK。既に死んでいる獣なら食べてよし。まるで子供の言い分みたいな道理だが、それでまかり通っているのだから首を傾げてしまう。どちらかというと理性的なテンジンもまったく疑問に思っていないみたいだ。
僧侶は僕らのいるテーブルには来ず、壁に置かれたイスに座った。そこにビールが運ばれる。海老茶色の袈裟を肩からかけ、厳粛な気配を漂わせた彼が、いかめしい顔でビールを飲み始めた。ブータンは世間一般のイメージとは違い、快楽主義なのだ。その思いが再び湧きあがり、僧侶がしかつめらしい顔でビールを飲むたびに、なんだかおかしくてならなかったのである。

週刊ジャーニー No.1085(2019年5月9日)掲載