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【ブータン編 第09話】ブータンの信号

石田ゆうすけ
旅行作家。7年半かけて自転車で世界一周を敢行。9万5千キロ、87ヵ国を走り、2002年末に帰国。現在は全国各地で講演も行う。著書に『行かずに死ねるか!』『地図を破って行ってやれ!』ほか。2014年2月に最新刊『大事なことは自転車が教えてくれた』(小学館)を上梓。ブログも更新中→「石田ゆうすけのエッセイ蔵

 旅行代理店のボス、ソナムの家にはテレビがあった。薄型タイプではなく、奥に長いブラウン管型テレビだが、かなり大きい。
 長らく鎖国状態だったブータンではテレビ放送が始まったのも遅い。なんと1999年からだという。
 「そのときはどんな感じだった?」と聞くと、ソナムはこう答えた。
 「インド映画の格闘シーンを見た人が『彼らはなぜ戦っているんだ?』って不思議がったらしい。演技ではなく、本気で戦っていると思ったみたいだ」
 最初に観たのが『ジュラシック・パーク』だったら、どんな反応だったのだろう?
 ソナムの家を出てティンプーの町中を散策した。
 首都とは思えないほどのどかだが、中心部に行くと近代的な高層の建物が並んでいる。でもどのビルにもブータン伝統の意匠が施されていた。テーマパークのような不自然さを感じなくもない。でもそれをのぞけば他国の町の様子とさして変わらなかった。意外だったのが、洋服姿の人の多さだ。若い人は全員といっていいぐらいジーンズやTシャツなど普通の洋服を着ている。この町に来るまでの道中では、日本の着物のような民族衣装のゴやキラを着た人をたくさん見てきたが、いま思えば高齢者ばかりだった。彼らは普段着として着ているようだ。同時に、民族衣装はブータンでは制服みたいなもので、学校や役場での着用が義務付けられている。そういうところに行くと、全員がゴやキラを着ているので、ブータンにいるなあとしみじみ感じさせてくれるのだが、ティンプーの町中を歩いていてもその実感はあまり得られなかった。
 またテレビ放送開始とともにインターネットも解禁されたようで、スマホをしながら歩いている人も多かった。スマホに関しては、初日の夜にパンク修理をしたさい、集まってきた若者たちがスマホのライトで僕の手元を照らしてくれたので、その存在はすでに驚きをもって知っていたのだが、町中で歩きスマホをしている若者たちを見ると、ブータンよ、お前もか、とどこか寂しい気分になってしまう。テレビ放送から10年あまり。早いな、と感じるが、グローバリゼーションというのは一旦堰を切ると、あとは加速度的に広がっていくものなのかもしれない。

ブータン唯一の信号

などと考えながら歩いてると、ブータンという国を強烈に表わしているものに出会った。交差点の真ん中に伝統的な紋様で彩られた小屋があり、その中にひとりの警察官がいる。彼は手を広げ、キレのある動きで車を誘導していた。
 ブータンには“信号機”がひとつもない。信号は国内にただひとつ、首都ティンプーの交差点にあるこの手信号だけなのだ。90年代に信号機を設置したが、ルールが浸透せず、かえって事故が増えたことに加え、ブータンの町に合わないという理由で手信号に戻されたらしい。
 公式の場での民族衣装の着用義務も、伝統美があしらわれた建築物の並ぶ街並みも、すべて国家的アイデンティティー確立のための国の政策である。観光だけでなく安全保障にも利するという計算が背景にあるのだ。国民からすればいわばお仕着せのルールである。
 しかしこの手信号を見ていると、町全体から感じたテーマパークのような不自然な印象が薄れていき、美学を純粋に追求した形、という風に思えてくる。何より、小屋の中の警官の動きがよかった。いかにもその仕事を意気に感じているかのように美しい姿勢で、まるでパラパラダンスのように手を動かしていたのだ。

週刊ジャーニー No.1042(2018年7月5日)掲載