
リチャード・ダッドを知ったのは、編集者・文化人として活躍した山田五郎氏のYouTubeチャンネルだった。『【父殺し】妖精を描く殺人画家!? リチャード・ダッドとは?【イギリス妖精文化】』の回で紹介されていた代表作『The Fairy Feller's Master-Stroke』をいつか実物で見たいと思っていたところ、山田氏の訃報と本展開催の知らせが重なった。山田氏が亡くなってしまった事実に気を落としながらも、同氏が教えてくれた絵の面白さを胸に会場に向かった。
精神疾患を発症し、妄想に苦しむ中で父親を殺害したというショッキングな事実がより注目されがちなダッド。しかし、将来を期待された若き美術学生時代の作品、精神的に大きな影響を受けた旅の作品、長い年月を精神病院で過ごしながら描いた精密な妖精画、自然に囲まれて晩年を過ごす中で描いたいくつもの穏やかな風景画まで、100点を超える作品を集めた本展は、ダッドの人生と芸術性を語る。年代を辿りながら作品を見ていると、人生の転機と作品の変化が重なって見えるようだ。
晩年に手掛けたイングランドの田園風景や、幼い頃の思い出を描いた海辺の風景画を見ると、ダッドの数奇な人生を垣間見た後だけに、そうした穏やかな作品を残せたことに、救われるような気持ちになった。(文・ネイサン弘子)

「お伽の樵(きこり)の入神の一撃」という摩訶不思議な邦題がつけられた、ダッドの代表作。精神病院に入院した後の1855年に制作が開始され、ブロードムーア病院へ移送される1864年までの約9年間描かれたが、未完のまま中断された。背景などに未塗装の部分が残されている。画面いっぱいに妖精や草花が描き込まれ、その圧倒的な緻密さから英国美術を代表する幻想画の傑作とされている。ダッド自身は、この複雑な作品を説明するために長編の詩を書き残しており、登場人物たちに名前や設定を与えている。


リチャード・ダッド Richard Dadd

1817年:イングランド・ケント州チャタムに生まれる。父ロバート・ダッドは薬剤師・化学薬品店を営む。7人きょうだいの第4子。
1837年:Royal Academy Schoolsに入学。デッサンでメダルを獲得するなど優秀な学生として期待される。
1842~1843年:サー・トーマス・フィリップスにお抱え画家として同行し、中東・地中海巡りの長期旅行に出る(1842年7月〜1843年5月)。旅の終盤(エジプト滞在中)から妄想などの精神不調が現れ始める。
1843年:5月に帰国後、精神状態が悪化。「父親は悪魔の化身である」との妄想にとらわれ、8月28日に父ロバートを殺害しフランスへ逃亡。フランスで旅行者をカミソリで襲撃し逮捕される。
1844年:フランスの精神病院を経て英国へ送還され、8月に世界で最も古い精神科病院の一つ「Bethlem Royal Hospital(通称:ベドラム※)」に収容される。病院内で絵画制作を再開。
1855年:代表作『The Fairy Feller's Master-Stroke』の制作を開始。
1864年:7月に 「Broadmoor Hospital」へ移送される。移送に伴い『The Fairy Feller's Master-Stroke』は未完成のまま制作中断(約9年間制作)。
1860~1880年代:ブロードムーア病院の恵まれた環境で、記憶や想像力をもとに妖精画だけでなく水彩風景画や肖像画、演劇の場面など多彩な作品を制作し続ける。
1886年:1月7日、肺疾患(結核/肺炎)によりブロードムーア病院で死去。68歳。
※Bethlem Royal Hospitalの「Bethlem(ベスレム)」が時代とともに訛り、『Bedlam(ベドラム) 』と呼ばれるようになり、やがて、「大混乱、騒乱、修羅場」といった意味の単語 『Bedlam』 が生まれた。本展覧会タイトル「Richard Dadd: Beyond Bedlam」は、「ベドラム(精神病院)」と「ベドラム(大混乱)」の二つの意味をかけており、『父殺しの画家』『精神病院の画家』というショッキングなイメージを超えて、芸術家リチャード・ダッドの真価を見てほしい」というメッセージが込められている。
Richard Dadd Beyond Bedlam

10月25日(日)まで
Royal Academy of Arts
Piccadilly, W1J 0BD
チケット:£15
www.royalacademy.org.uk
週刊ジャーニー No.1457(2026年8月13日)掲載















