2012年10月4日 No.748

●サバイバー●取材・執筆・写真/名取由恵・本誌編集部

 

民主主義の礎となった

マグナ・カルタって何ですか?


イングランド王ジョン=上の肖像画=が1215年に署名した、マグナカルタ=背景にある文書。

 

マグナ・カルタ(大憲章)といえば、
英国で最も有名な憲法文書だ。
世界史で習ったのを覚えている読者も多いことだろう。
国王も法の上に立つ存在ではないという
重要な原則を確立し、
現在もイングランドの法律の一部になっている。
このマグナ・カルタに署名したのは、
時のイングランド王のジョン。
嫌われぶりでは、英国の歴代王のなかでもトップを争うジョンだが、
今回はマグナ・カルタ誕生の
重要な鍵を握る同王の生涯をふり返りつつ、
マグナ・カルタの役割と意味を探ることにしたい。

 

 

797年前の大事件

 

   そこには、ただ草原が広がっていた。
   ひざ丈ほどの緑に覆われ、ところどころ、黄色や白の小さな花が頼りなげに咲いている。
   空は灰色の雲に覆われ、そこに集うおびただしい数の騎士や兵士たちの穏やかならぬ心を映しているかのようだった。
   馬のいななきと、甲冑の触れ合う音にまじり、時折、巣に戻るところなのか、忙しくさえずる小鳥の声が聞こえる。 
   恐ろしい緊張が辺りを包んでいた。
   ときは1215年6月15日。
   兵士をそれぞれ引き連れた、イングランド王ジョンと、25の諸侯が、ラニーミードと呼ばれる草原で対峙しているのである。
   目的は戦闘ではなかった。諸侯らは、ある同意書にジョン王の判を得ようとしており、この同意書こそ、後に「マグナ・カルタ」と呼ばれるものだった。
   「どうして、こんなことになったものか…」
   目の前に揃った25の諸侯たちの顔をうらめしく眺めた後、ジョンは、大きなため息をつきながら思わずその半生をふり返らずにはいられなかった。
   イングランド王ジョンは『失地王(John Lackland)』の別名でも知られる。フランスとの戦いに敗れ、ノルマンディをはじめとし、イングランドがヨーロッパに保持していた領地の大部分を失うといった度重なる失政の末、イングランドの諸侯の反乱にあって、マグナ・カルタの署名に追い込まれるなど、ダメ王として悪名高い。また、伝承「ロビン・フッド」では悪役として描かれている。『失地王』、あるいは『欠地王』という不名誉なあだ名をつけられたジョンは、いかにしてイングランド王になったのか。