[2012年] 都市型オリンピックに新スタイルを提唱する大会

アイディアで競り勝ったロンドン

 過去2回のロンドン五輪と比べると、今回は比較的平和な状況下で開催されると言っていいだろう。また、長い準備期間を与えられるのも実は初めてのこと。その分、過去とは異なる苦労もあったようだ。
 例えば、ロンドンがオリンピックのためにスタジアムや選手村を本格的に建設したことは今までなかった。人口の過密する成熟した大都市でのオリンピックは、どのような工夫を凝らすことができるのか。2012年の開催地候補は、ロンドンのほかにパリ、ニューヨーク、モスクワ、マドリッドといういずれも大都市が名乗りを挙げていた。これらの都市を振り切ってロンドンが3回目の開催地に選ばれたのはなぜなのか。
 その一つに、東ロンドンの再開発をテーマに掲げたことがある。約30年にわたり放置されていた同地域に、オリンピックを持ち込むことで活性化を計ろうという狙いがあった。新たな会場を幾つも建設することに経費を使うのではなく、五輪開催後に、いかに東ロンドンに恩恵を与え続けることができるか。貧困層や移民層の暮らす地域の開発は、どの大都市も抱える問題だが、ロンドンはそこにダイレクトにメスを入れたわけだ。


英オリンピック委員会会長のセバスチャン・コー氏(Sebastian Coe 1956~)。
自らも、1980年モスクワ大会、1984年ロサンゼルス大会の
1500メートル走で金メダルを獲得した経歴を持つ。

 どのように既存の施設を利用したユニークな大会が開催できるかもアピール・ポイントだった。ロンドンはパリと並んで観光名所の多い都市である。まるで名所めぐりのように市街地をまわるマラソン・コースや、ハイド・パーク内で行われるトライアスロン、王室の警護に当たる近衛兵の詰め所であるホース・ガーズ・パレードでのビーチ・バレーなど、テレビで観戦する世界中の人々に、ロンドンをアピールする非常に賢い方法だ。記録を更新しようと考える選手たちや、メダル数を獲得しようと意気込んでいる国にとっては、少々やっかいな会場設定もあるかもしれない。だが、これからのオリンピックは今までのように記録更新や競技の勝敗だけでは、人を惹き付けることが出来ないということでもあるのではないだろうか。
 アイディアで勝負したロンドンが開催地として見事に選ばれたことで、今後のオリンピック誘致合戦にも少なからず影響があるはずである。
 思えば、近代オリンピックの提唱者であるピエール・ド・クーベルタン男爵は、競技を通じて健康や知性、道徳の向上を説き、「オリンピックは勝つことではなく、参加することに意義がある」とした。さらに、今年のオリンピックは政治的なボイコットや不参加もなく、183ヵ国、計204地域から選手が参加する。このオリンピックが、クーベルタン男爵が夢見た本当の「平和の祭典」の第一歩となる可能性も秘めている。いや、その第一歩となってくれるよう願いつつ、声援を送りたい。

 

ロンドン五輪のマスコットウェンロックマンダヴィルになったワケ


© ODA_111003_LOCOG
 1980年のモスクワ五輪に登場した「こぐまのミーシャ」以来、各オリンピックにマスコット・キャラクターが制作されるようになっている。オリンピック関連グッズの売り上げを伸ばすのにキャラクター作りは最適な方法ともいえるが、そのマスコットが魅力的であるかどうかが鍵だ。
 今回のロンドン五輪のマスコットは、ウェンロックとマンダヴィルという「2人」。五輪スタジアム建設に使われたボルトンの鉄くずから生まれたことになっているので、正確には「人」ではない。かといって、ロボットでも宇宙人でもなく、形容に困るキャラクターだ。ウェンロックは銀色のボディにオレンジのストライプ=写真左、マンダヴィルは銀色と青色のボディ=同右=で、頭にはロンドンを走る黒キャブのライトをイメージしたものがついている。2人ともカメラのレンズに見立てたという目がついた、一つ目小僧である。2010年のお披露目の際、「いったいこれは何なのだ」と大いに不評を買った経緯があるが、このマスコットの名前には意外な歴史が秘められている。
 ウェンロックの名前は、近代オリンピックの先駆けとなる運動会を始めた、英国中部シュロップシャーの街、マッチ・ウェンロック(Much Wenlock)にちなんでいる。この街では町民の健康や道徳心を向上させるため、1850年から地域運動会が開催されていたが、1890年に体育教育視察のため訪れたのが27歳のピエール・ド・クーベルタン男爵だった。クーベルタンはこの運動会から、古代オリンピックを復興させるアイディアへと繋げていった。ちなみにマッチ・ウェンロックの街では今も運動会が続けられており、今年で125回を迎えるという。
 一方、マンダヴィルの名前は、1948年のロンドン五輪時に初めて開催されたパラリンピック大会、ストーク・マンダヴィル・ゲーム(本文参照)から取られている。ストーク・マンダヴィル(Stoke Mandeville)はイングランド南部にある病院の名。ここには第二次世界大戦で脊髄を損傷した軍人のリハビリ施設があり、医師の提唱で車椅子患者によるアーチェリー競技が行われた。当初は入院患者のみの大会であったのが、1952年には国際大会に発展。1960年には現在のパラリンピックと同様の形態となった。
 以上のような歴史を知れば、ウェンロックとマンダヴィルがもう少し身近に感じられるのではないだろうか? しかしそれにしても、なぜ、こんなにもかわいくないのか…。