「幻の金メダル」を穫った男

 1948年のオリンピックには59ヵ国が参加した。日本はオリンピックには1912年から参加していたが、大戦で敗戦国となったため今回はドイツと同様招待されておらず、また、米国と険悪な関係になっていたソ連も選手を派遣していない。前回の1936年ベルリン五輪ではヒトラー政権がオリンピックを政治利用するなど、オリンピックが大規模になるにつれ、時々の世界情勢に左右されることは避けられなくなっていた。
 当時の日本は、泳ぐたびに世界新を出すような強豪選手が揃っていたため、日本水泳連盟会長、およびオリンピック委員の役職にあった田畑政治は、何とか日本がこのオリンピックに参加できないかと最後までくいさがった。結局、それはかなわず、田畑がとった苦肉の策は、全日本水泳選手権をロンドンの水泳競技決勝と同日に開催するというものだった。


敗戦で自信を失っていた日本国民に勇気と希望を与えたとされる、
『フジヤマのトビウオ』こと、古橋広之進氏(1929~2009)。
後進の育成、スポーツ界の発展に尽力した。

 日大の学生だった22歳の古橋広之進と橋爪四郎が記録更新に挑戦。1500メートル自由形で、古橋が18分37秒0、橋爪が18分37秒8のそれぞれ世界新記録を樹立した。ちなみにロンドン大会の金メダリストとなった米国のジェームズ・マクレーンの記録は19分18秒5だった。また、古橋は400メートルでも記録を樹立。日本が国際水泳連名から除名されていたため、公式記録として登録されることはなく、メダルもないが、この出来事は敗戦直後の日本を勇気づけるエピソードとして、今なお語り継がれている。
古橋広之進はこの後も次々と記録を更新し、翌年の全米選手権では「フジヤマのトビウオ」の異名をとる活躍をみせ、全日本水泳選手権で古橋が樹立した世界新が「ニセ」の記録ではなかったことを実証した。引退後は日本水泳連盟会長、そして1976年からは国際水泳連盟の副会長となったが、2009年7月にローマでの大会期間中に客死。80歳だった。

  

オリンピックのテレビ放映がNHKを悩ませているワケ


© BBC
 現在ではテレビ放映なしのオリンピックは想像できないが、世界で初めてオリンピックがテレビで放送されたのは、1936年のベルリン大会だった。その前年から世界に先駆け、ドイツは定時放送を開始していたといい、テレビの歴史が意外に早く始まっていたことに驚かされる。ただし、画像が粗かったのに加え、そもそもテレビが一般に普及していなかったことなどから、「テレビ放送の走り」とした方が正しいだろう。<br />  英国もBBCが1929年から実験放送を繰り返し、1948年のオリンピック時には、ロンドン市内でのみしか受信できなかったとはいえ、ウェンブリー・スタジアムからの生中継を行った。しかし、戦後まもない時期に一般市民のあいだでテレビが普及していたはずもなく、放映自体も一般向けのものではなかったと思われる。<br />  オリンピックのテレビ放送が広く普及したのは、1960年の冬季大会から。この大会は米国のスコーバレーで開催されたが、その模様はCBSによって独占中継された。ウォルト・ディズニーが開会式の演出を手掛けており、オリンピック放映はその後世界に向けた一大エンターテインメントとして、巨大ビジネスの様相を持ち始める。現在、国際オリンピック協会(IOC)の収入総額の半分(約2600億円)が、各国からの放送権料だという。ちなみに前回の北京オリンピック放送権に、日本は193億円を支払っている。以前はNHKが独占放送をしていたオリンピックだが、あまりに放送権が高額なため単独取得が不可能になり、現在ではジャパン・コンソーシアムというNHKと民放の共同体スタイルで、放送権を獲得している。今年のロンドン五輪の放送権はなんと267億円。これ以上負担が増大するようだと、将来、日本の放送局が放送権を入手できない、という事態さえ起きるかもしれない。