2009年7月2日 No.581

●サバイバー●取材・執筆・写真/本誌編集部

ハプスブルグ家

憂いの美女 皇妃エリザベート




ドイツの宮廷画家、フランツ・ヴィンターハルターによる、エリザベート。
1864年作。フランツ・ヨーゼフ1世の大のお気に入りだったもので、
執務室のデスクの前方にいつでも眺められるように架けていた。

参考文献:『皇妃エリザベートの生涯』(マルタ・シャート著・西川賢一訳・集英社刊)
『ハプスブルク家の女たち』(江村洋著・講談社刊)ほか
取材協力:ウィーン観光局 *ウィーン取材時にガイドをしていただいたオーストリア公認ガイドの
淵野惠子氏には市内案内だけではなく貴重な情報提供など多大なご協力をいただきました。この場を借りて厚く御礼申し上げます。


 一八九八年九月十日、ウィーンの町中に大量の号外がばら撒かれた。オーストリア=ハンガリー帝国の皇妃エリザベートが暗殺されたのである。享年六十。あまりに呆気ない突然の死に国中が途方に暮れた。事のいきさつは後述するが、この事件により、ヨーロッパ宮廷一の美貌と謳われ、ハプスブルク家の美神と称えられたエリザベートの一生は終焉を迎える。
 ヨーロッパ史に登場する名だたる王朝の中でも、六百五十年近くも永らえ、欧州一の一族と称されるハプスブルク家は、十三世紀より神聖ローマ帝国の皇帝位を事実上世襲してきた名門王家だ。六百五十年といえば、我が国の二百七十年の治世を誇る徳川家をはるかに超える、類を見ない長命だ。


第一次世界大戦が勃発する直前の1913年のオーストリア=ハンガリー帝国の領域

 神聖ローマ帝国時代から多民族国家で、その後のオーストリア帝国、続くオーストリア=ハンガリー帝国の時代も常に民族紛争と隣合わせな「難儀な」統治を強いられてきたにも関わらず、長年永らえたこの一族の家訓は、「戦いは他国にさせておけ。幸いなるオーストリアよ、汝は婚姻せよ」。武力よりも巧みな結婚政策でヨーロッパ中に所領を拡大していき、十八世紀の大英帝国に先んじて「太陽の沈まぬ帝国」を実現している。スペインやハンガリーの王家と子供たちを結婚させ、一族隆盛の基礎を築いたマクシミリアン一世や、マリー・アントワネットを含む子女たちをブルボン家の一族に嫁がせ、フランスとの関係修復を図ったマリア・テレジアなどはその好例である。
 彼らに代表されるように、六百五十年という繁栄の中にはヒーロー、ヒロインと称えられる皇帝、皇妃、王子、王女も数多い。とくに、ハプスブルク家の実質的な最後の皇帝となったフランツ・ヨーゼフ一世は、六十八年という長い在位期間に文化、芸術、経済を著しく発展させ、「オーストリアの国父」の尊称で語られる。非常に勤勉で、睡眠時間を三時間に削り、朝から晩まで国のためにかいがいしく働いたことで知られる。そして、その彼が二十三歳で結婚して以来、終生愛しぬいたといわれるのが皇妃エリザベート(愛称シシー)だ。
 彼女の人生は映画やミュージカルとなって今に語り継がれ、首都ウィーンを訪れるとシシー関連のアトラクションやシシーグッズに溢れている。十九世紀随一の美貌と騒がれ、羨望のまなざしを浴びていた彼女の人生は果たして如何なるものだったのか。一般的には、一途な夫、フランツ・ヨーゼフの愛情もそっちのけに、公務を投げ出しては自由気儘な旅を続け、最期は暗殺者の刃に倒れるという、奔放かつ悲劇的な人生として語られているがその真実は…。フランツ・ヨーゼフとの出会いからその一生を追ってみたい。


ドイツの宮廷画家、フランツ・ヴィンターハルターによる、
ダイヤスターの髪飾りをつけたエリザベート。1865年作。