信頼できるのは人力のみ

 この頃、スコット隊は80度23分に設置したデポにようやく全隊員が終結していた。アムンセンらが犬を殺して食べていたという事実には少なからず衝撃を受けるが、スコット隊とて動物愛護団体が賞賛するような行動を取っていた訳ではない。
 馬たちは既に限界に近づきつつあった。寒冷地から連れてきた馬とはいえ、雪にくるまって平気な顔をして眠るエスキモー犬とでは、耐寒能力で比較にならない。
 11月24日、最初に動けなくなった馬が射殺され、その肉は犬の空腹を満たし、隊員たちの身体も温めた。


大氷床を行進する英国隊隊員と馬たち。

 翌日、先遣隊4人のうち2人が基地へ帰り、残り14名。
 その後も数日おきに馬は倒れ、その都度射殺された。12月4日には5頭目が射殺された上、6日には馬のエサであるマグサが早くも底を尽いた。12月9日、残った5頭も全て射殺。スコットは最後まで馬をもって氷河を越える希望を持っていたが、エサが尽きてしまってはもはや馬は動かぬ動力ソリと同様、無用の長物であった。こうしてスコットは、旅の極めて初期の段階で、動力ソリと馬という輸送手段を全て失ったのである。
 なんとも間抜けな話であった。彼らは南極という酷寒の極地に馬を持ち込んだ。馬は草食である。しかし南極に牧草は自生しない。エサは全て持ち込みであった。そのエサを運ぶために持ち込んだ動力ソリが早々に粗大ゴミと化した。これらと格闘している間にスコットらは食料と体力、そして何よりも貴重な時間を無駄にしてしまうのである。
 12月10日、アムンセンから遅れること3週間。スコットらはようやく氷床を抜け、大陸に一歩をしるす。スコットはここで犬ゾリ隊の2人と全ての犬を帰還させ、遂に隊員12人とソリ3台だけが残った。

 一体スコットは、なぜこの氷河越えの前に犬ゾリを帰してしまったのか。
 スコットは犬を全く信用していなかった。10年前の遠征時に連れてきた犬は旅の途中で全頭が謎の死を遂げた。与えていたエサの干し魚が、赤道付近を通過した辺りで変質していたのではないかと言われている。しかしスコットは犬全滅の原因を調査することもないまま、「犬は使えない」と結論付けた。そして遂にこの考えを改めることはなかった。
 スコットはかねてより「最後に頼れるものは人力によるソリだけである」と公言もしていた。この、生真面目で規律正しく、溢れんばかりの愛国心に満ちた軍人は、多分に精神論に依存する部分があった。彼にしてみれば前年、シャクルトンが最後は人力ソリだけで極点のすぐ近くまで迫ったことも一つの自信になっていたし、この時点ではその自信は確信になっていた。ソリとは本来、人が曳くべきものであり、人力ソリで南極点を踏破することこそが王立海軍軍人の誉れである、と。
 ただ、スコットが心の拠り所としていたシャクルトンという男は、後に南極横断旅行に挑んで上陸前に遭難。積荷と船を同時に失いつつも28名の仲間と共に17ヵ月を孤立無援の南極で生き延び、最後は無事、全員を生還させた偉大な探検家である。シャクルトンは因習や常識にとらわれること少なく、陽気で機知に富み、決断力にも優れ、豪胆にして繊細。タイプとしてはむしろアムンセンに近かった。その点、王立地理学協会にその生真面目さを買われて南極調査隊というプロジェクトチームのリーダーに抜擢されたエリート軍人のスコットとは全く異なる性質の人間であったのだが、スコット本人がその違いを自覚しているはずもなかった。
 アムンセン隊の旅は気味が悪いほどに順調であった。冬の間に改良に改良を重ねたソリもスキーのすべりも良好で、防寒具やテントも予想以上の機能を果たした。5人の健康状態もすこぶる良好。食料も豊富で、壊血病を患っている者もいない。まさにプロフェッショナルの仕事だったと言える。
 そして12月14日午後3時。出発から57日の後、遂にアムンセン隊は南極点に到達した。
 5人は天測とコンパスによる測定を繰り返した末、地球の回転軸の一点に、ノルウェー国旗を突き立てた。
 アムンセンは大雪原に翻る、赤地に青十字のノルウェー国旗を見ながら、探険家が目的地でよく陥るという一種の脱力感の中にいた。
 「子どもの頃から夢見て来たのは、北極点に一番乗りする自分の姿であった。それがどうだ。今私は、北極点から最も遠い地点に立っているのだ。 世の中は、実に思うようにならぬ…」


アーネスト・シャクルトン(1874~1922)