24時間365日、ロンドンを守る砦

 

 まず、テムズ・バリアをどこに設置するかについて、念入りな調査が行われた。テムズ河はウネウネと曲がりくねっている上、川底は粘土質である。比較的、両岸が平行に近い形で向き合っている場所、そして、川底は巨大なバリアを設置するに耐えるだけの固さを有する場所でなければならない。選ばれたのは、カナリーウォーフ、O2アリーナよりさらに東にあるウリッジだった。

 


 



ピアーのひとつに青信号ならぬ緑の矢印が点灯しているのが見える。テムズ・バリア閉鎖時には、テムズ河を航行するすべての船舶に様々な方法でその旨が伝達され、この信号も赤に変わる。
 やがて、ガス栓からヒントを得たというチャールズ・ドレイパー(Charles Draper)のデザインが採用されることが決定。平常時には川底と同じレベルにおさまり、大型船舶の航行も妨げないというユニークな回転開閉式ゲート「rising sector gates」(仕組みについては15頁参照)を6門備えるバリアの建設が始まった。1974年のことである。あの53年の悲劇から二十年余りが経っていた。
工事開始から8年、1982年10月にテムズ・バリアは完成。総工費は5億3500万ポンド(現在の14億ポンドに相当)という大工事だった。翌年2月には、初めての稼動テストが行われ、さらなる調整が施された後、84年5月8日、エリザベス女王列席のもと、公式オープニングのセレモニーが厳かに開催されたのだった。
以来、テムズ・バリア稼動の指示が出されたのは実に114回を超えるという。93年、98年、2000年、03年、06年、07年には、従来なら洪水が起こっていたとされるレベルの非常事態を経験。中でも07年11月9日には、1日に2度、バリアが閉じられ、テムズ・バリアのコントロール室は異常な緊張に包まれた。この時の気象状態は53年に酷似するといわれ、一部では住民に避難勧告もなされたのだった。しかし高潮発生のタイミングは満潮とずれたため、53年レベルまで水位があがることはなく、関係者すべてが胸をなでおろした。
現在、テムズ・バリアでは、約90名のスタッフが交代で24時間365日、業務にあたっている。気象庁からの最新情報と、今までのデータを駆使したテムズ・バリア独自の分析情報をもとに、最高36時間先までのテムズ河の状況を予測。バリアを閉じるには、合計で1時間半かかるうえ、船舶の往来を止めるためロンドンの港湾局(the port of London Authority)に連絡をとり、付近の船舶に知らせるだけの時間的猶予なども考慮する必要があるからだ。
年間運営・メンテナンス費の800万ポンド、そして施設向上費用として1000万ポンドが主として税収からまかなわれているが、ロンドン中心部が洪水に見舞われた場合、経済損失だけでも800億ポンドは下らないといわれている(人的被害はこれには含まれていない)だけに、安心料として支払い続ける価値は十二分にあるといえそうだ。
取材を終えて、テムズ・バリアを再び眺めるために外に出てみた。折りしも、鉛色の雲の切れ目からもれる午後の日差しがバリアを照らし、スポットライトの中に浮かぶようにピアーが整然と並んでいた。風の抵抗ができるだけ少なくて済むようにと設計された、特異な形のスチール製ドームが銀色に輝いている。それはまるで、輝く甲冑に身を包んだナイト(騎士)たちが、有事に備えてたたずんでいるようにも見えた。



テムズ・バリアの完成から27年。この間に起きた最大の事故は「サンドカイト号衝突事故」だった。
1997年10月27日、砂利運搬船「サンドカイトSandkite」号が濃霧の中、ピアーのひとつに衝突。
同号は大破した。同号から川底に沈んだコンクリート用砂利で事故直後はテムズ・バリアが稼動しなかったが
修理完了まで、幸い洪水には見舞われずにすんだ。