日本を愛した喜劇王 チャップリン

ハリウッド映画初期の俳優、脚本家、映画監督として活躍し、バスター・キートン、ハロルド・ロイドと共に「世界の三大喜劇王」として世界的な人気を集める、チャーリー・チャップリン。
山高帽にチョビひげ、きついコートにだぶだぶのズボン、大きな靴にステッキで、よたよたと歩く姿は、映画ファンのみならず、誰もが知っているキャラクターだろう。笑わせながらもほろりとさせる彼の作品は、今もなお、世界中の人々を魅了し続けている。
一方、私生活では大の親日家で、日本と深い関わりをもち、五・一五事件では危うく命を落としかけてもいる。
英国の偉大な人物を紹介する『グレート・ブリトンズ』、今回は喜劇王チャップリンの生涯を辿ってみよう。

●グレート・ブリトンズ●取材・執筆・写真/名取 由恵・本誌編集部

参考文献:大野裕之『チャップリン暗殺 五・一五事件で誰よりも狙われた男』(メディアファクトリー刊)、DVD『チャーリー』、Charles Chaplin, MY AUTOBIOGRAPHY, 1964

貧しき子供時代

「喜劇とは何であろうか。映画とはいったい何なのであろう。ただ人を笑わせるだけが喜劇じゃないことは確かだ。わたしの思いを表現するなら、わたしという人間を培ってきた社会を表現しなければならない。スクリーンの中の出来事は現実の社会と関わっているのだ。少なくとも『チャーリー』はそうだ」

『放浪紳士チャーリー』を生みだし、世界の喜劇王として人気を集めた、チャーリー・チャップリンの本名は、チャールズ・スペンサー・チャップリン(Charles Spencer Chaplin KBE)。1889年4月16日にロンドンのウォルワースで生まれる。父親チャールズ・チャップリン、母親ハナ・ヒル(芸名リリー・ハーヴィー)は、ともにミュージック・ホール(音楽、芝居、喜劇などを披露する当時の娯楽施設)の舞台芸人だったが、一家の生活は大変に貧しく過酷なものだったという。両親はチャップリンが1歳のときに離婚。11年後、父親はアルコール依存症により死亡。母親は、女手ひとつでチャップリンと4歳年上の異父兄シドニーを育てるが、チャップリンが幼いとき、極貧生活と栄養失調が原因で精神に異常をきたし、精神病院に入ってしまう。その後、シドニーとチャップリンは、孤児院や貧民院を転々とさせられた。

チャップリンが19~21歳 (1908~10年)の2年間、兄と暮らしていたフラット。

「わたしは貧乏をいいものだとも、人間を向上させるものだとも考えたことはない。貧乏がわたしに教えたものは、なんでも物をひねくれて考えること、そしてまた、金持ちやいわゆる上流階級の美徳、長所に対するひどい買いかぶりという、ただそれだけだった」
貧しかった幼少時代がその後のチャップリンの人格形成に多大な影響を与えたことは確かだ。
両親の感性を受け継いだチャップリンは、早くから舞台に立ち、家計を支えてきた。初舞台は5歳。舞台で突然声が出なくなった母親に変わって、チャップリンが急遽ステージに登場し、歌を披露したという。10歳でエイト・ランカシャー・ラッズ劇団に入団したチャップリンはタップダンサーとして注目を集め、その後は劇団を転々としながら芸を磨いていき、1908年に兄の勧めでフレッド・カーノー劇団に入団。ここでパントマイムの技術を磨き、「酔っぱらい」の演技で人気を集め、一躍花形コメディアンに成長していく。

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