【おススメ動画】銃殺された信念の看護師 イーデス・カヴェルEdith Cavellをご存知ですか?

■ロンドン東部、ホワイトチャペルにロイヤル・ロンドンホスピタルという古い病院がある。病院の裏に同病院付属の小さな博物館があり、ヴィクトリア朝時代のイギリスを語る上で欠かせない3つの歴史的遺産がひっそりと展示されている。1つめはエレファントマンと呼ばれたジョセフ・メリックの遺骨のレプリカ。2つめは“切り裂きジャック”からの手紙、3つめが第一次世界大戦時にスパイ容疑で銃殺されたイギリス人看護師、イーデス・カヴェル直筆の手紙だ。いずれも映画化されたお話なのでご存知の方も多いと思う。エレファントマンことジョセフ・メリックは医師の好意により同病院に入院し、この病院で亡くなった。メリックが入院していた1888年の秋、わずか2ヵ月半の間に娼婦5人が惨殺された世界初の劇場型連続殺人事件「切り裂きジャック」が発生。遺体の検視をした同病院の医師の元に犯人と思われる人物から挑戦状ともとれる手紙が送りつけられた。その7年後、イーデス・カヴェルが看護師見習いとして同病院にやって来る。

トラファルガー広場にほど近いセント・マーティンズプレースに建てられたカヴェルの記念碑

30歳で看護師見習いに

カヴェルはノーフォークの牧師家庭で育ち家庭教師をして生計を立てていた。病に伏した父親を看病した際「もっと世の中のためになりたい」という思いを強くし、30歳にして看護師になることを決意。先のロイヤル・ロンドンホスピタルで修業を積んだ。看護師の資格を得てからはロンドンやマンチェスターなどの主に貧しい人たちのための病院に勤め激務をこなした。42歳の時、ベルギーのブリュッセルに同国初の看護師養成校が設立されることとなり、フランス語が堪能だったカヴェルが看護師長として抜擢された。カヴェルは6年間で400人以上の看護師を育て上げ、養成校は順風満帆に見えた。

1914年の夏、ノーフォークの実家に一時帰国していた彼女の元にブリュッセルから一通の電報が届く。ドイツが中立国であるベルギーに侵攻するかもしれないという緊迫した内容だった。カヴェルにはそのままイギリスに残るという選択肢もあった。しかしブリュッセルに残して来た生徒や同僚たちを見棄てられず翌日のフェリーに飛び乗りブリュッセルを目指した。

敵もまた誰かの父であり、夫であり、子である

カヴェルが戻った日の翌日8月4日、ドイツが侵攻しベルギーは占領され、養成校は赤十字病院となった。カヴェルは運ばれて来る負傷者の国籍に関係なく治療にあたると決意。ドイツ兵の看護をすることに若い看護師たちは戸惑った。カヴェルは毅然として言った。「彼らもまた誰かの父であり、夫であり、子なのです。私たちは看護師としての責務を果たしましょう」。

一方カヴェルたちはレジスタンスと繋がりを持ち、ベルギー内に取り残されたイギリスやフランスなど連合国の兵士たちを地下室に匿い、夜陰に紛れて中立国オランダに脱出させる手伝いをした。ドイツ軍に見つかれば反逆罪に問われ、極刑もあり得る危険な行為だった。彼らがオランダに逃がした兵士の数は200人を超えた。1915年8月、かねてより内偵していたドイツ軍憲兵隊によりカヴェルらは逮捕された。スパイ容疑で軍法会議にかけられ、カヴェルには反逆の罪で死刑判決が下った。

「愛国心だけでは足りないのです」

処刑前夜、イギリス人牧師がカヴェルの独房を訪ねて言った。「あなたは偉大な殉教者として記憶されるでしょう」。カヴェルは首を横に振った。「私は義務を果たそうとした一人の看護師に過ぎません」。そして続けた。「愛国心だけでは足りないのです。私は誰も憎まず恨みません」。それは隣国同士が殺し合う愚かな戦争への痛烈な批判だった。連合国側から猛烈な助命嘆願があったがそれも虚しく、同年10月12日早暁、カヴェルらは銃殺された。

戦後、カヴェルの遺体はロンドンへ移送され、ウエストミンスター寺院で荘厳な追悼式が営まれた。その後遺体は故郷ノーフォークのノリッチへと運ばれ、大聖堂脇に埋葬された。その翌年の1920年、トラファルガー広場に近いセント・マーティンズプレースにカヴェルの立派な記念碑が建てられた。大きな記念碑なので目にされたことがある方も多いと思う。

カヴェルが銃殺されてから2ヵ月経った1915年12月、パリで一人の女児が誕生した。献身の看護師の話に感動した両親はこの少女にイーデスと名付けた。フランス語ではエディットと発音した。この少女はその後、“愛の賛歌”や“バラ色の人生”といった名曲を歌い、世界で最も愛されたシャンソン歌手の1人、エディット・ピアフとなった。

ジャーニー編集部ではこの信念の看護師、イーデス・カヴェルの生涯を8分ほどの映像にまとめユーチューブで公開中です。お時間があればぜひ、ご覧ください。

By 週刊ジャーニー (Japan Journals Ltd London)