第二次世界大戦前夜、ドイツ軍の暗号を解読すべく、英政府はバッキンガムシャーのブレッチリー(ミルトンキーンズ)に政府暗号学校を設立した。ブレッチリーが選ばれたのはロンドンから約80キロと比較的近い上、オックスフォードとケンブリッジのちょうど中間地点にあり、英国の頭脳を集結させるのに適していたためと言われる。
ブレッチリーには言語学者や考古学者、さらにはチェスの名手やクロスワードパズルの達人などが集められ、ドイツ軍の暗号製作機「エニグマ」の解読に挑んでいた。しかし元々解読が難しい上に毎日設定が変更されていたため、組み合わせの数が天文学的数字となり、解読は困難を極めた。
英国がドイツに宣戦布告した翌日、ケンブリッジ大から一人の男がブレッチリーに到着した。天才数学者アラン・チューリング Alan Turing、27歳。チューリングは「機械が作る暗号は機械のみが解読可能である」と提唱し、エニグマ解読機の製作に取り掛かる。そして試行錯誤の末に「ボム」を完成させ、エニグマ解読に成功した。しかし英国がエニグマの解読に成功した事実がナチス側に知られるとさらに暗号の強化が予想されたことから、解読成功の事実は徹底的に秘匿された。やがて連合国の勝利で第二次世界大戦は終結するが、迫りくる冷戦に備え、ブレッチリーで行われていたことは引き続き国内外で極秘事項とされた。
戦後、マンチェスター大学に籍を置き、コンピューターソフトや人工知能(AI)の研究に没頭していたチューリングだったが1952年、同性愛行為の罪(ホモセクシャル法)で逮捕、起訴された。この当時、英国では男性間同士での性交は法律で厳しく禁じられていた。これは16世紀、ヘンリー8世の時代に制定されたソドミー法に基づいたもので最高刑は死刑であった。
イングランドならびにウェールズでホモセクシャル法が廃止されるのは1967年のことで、チューリングのケースはこれに間に合わなかった。裁判の結果、チューリングに2年の禁固刑、もしくは科学的去勢の判決が下された。チューリングは入獄を逃れるため科学的去勢を選択した。 女性ホルモンを投与されたチューリングは身体が丸みを帯びるといった肉体的変化だけでなく精神にも変調をきたした。チューリングは自分でも知らない誰かに変わっていく自分に絶望しつつあった。1954年6月8日、チューリングは自宅で遺体となって発見された。遺体の横には青酸化合物が入った瓶とかじりかけのリンゴが転がっていたと言われる。警察は自殺と断定。41歳という若さだった。
1974年、ブレッチリーの存在を明らかにした著作「ウルトラ・シークレット」が発行され、英国民はそこで初めて政府暗号学校、ならびにチューリングの偉大な功績を知るに至った。しかしその時、チューリングは既にこの世の人ではなかった。
2009年、ゴードン・ブラウン元首相は政府を代表してチューリングに正式に謝罪。そして2013年、エリザベス女王はチューリングに対する恩赦を発表、チューリングの名誉は回復された。
政府暗号学校があったブレッチリーは現在、当時の様子を再現したブレッチリーパークとして一般に公開されている。英軍が各地で回収したエニグマの実機の数々や、エニグマ解読機ボムのレプリカ、そしてチューリングが研究に没頭していた部屋、さらに日本軍の暗号関連の資料も展示されている。
小紙ジャーニーでは一昨年、このブレッチリーパークの取材を行った。そして今夏、再び同地に戻り、ブレッチリーパークの協力を得て映像を撮影、1本の短い動画にまとめた。
ブレッチリーパークがあるミルトンキーンズは奇しくもホモセクシャル法が廃止された1967年にニュータウンに制定され、人工的に開発が進められた新しい街だ。日系企業も数多く進出しているので日本人にも馴染みが深い。ロンドンから車で1時間足らず。電車でもユーストン駅から40分ほど(ブレッチリー駅からは徒歩5分)なので、機会があればぜひ訪れてみていただきたい。エニグマ解読により対ドイツ戦終結を2年早めたと称賛されるだけの貢献を国家にもたらしながら、その功績を誰に知られることもなく、500年近く続いた古い法の下で尊厳を否定され、肉体的、そして精神的に追い詰められ、わずか41歳で自ら命を絶った天才数学者アラン・チューリングの、輝かしい日々がそこにある。
Bletchley Park The Mansion, Bletchley Park, Sherwood Drive, Bletchley, Milton Keynes, MK3 6EB
by 週刊ジャーニー(Japan Journals Ltd, London)
























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