■アカデミー賞を受賞した映画『オッペンハイマー』が世界に伝えたのは「原爆を完成させたのは一人の米国人科学者である」という物語だった。しかし、作家ギャレス・ウィリアムズの新著によると、英国の物理学者たちの初期の関与がなければ、マンハッタン計画はそもそも始動しなかったという。英各メディアが報じた。退官した大学教授でCND(核軍縮運動)のメンバーでもあるウィリアムズ氏は、機密解除文書にあった「MAUD委員会」という謎の組織名に触れたことをきっかけに、英国の忘れられた『貢献』を追い始めた。
Gareth Williams著 / The Impossible Bomb: The Hidden History of British Scientists and the Race to Create an Atomic Weapon.

MAUDは1940年、英国が独自に原子爆弾を製造可能かを調査するために設置された。発端は、ナチス・ドイツから逃れバーミンガム大学に身を置いていた2人のドイツ系ユダヤ人物理学者オットー・フリッシュとルドルフ・パイエルスが書いた覚書だった。2人は、ウラン235を使えば、わずか5キログラムで数千トンのTNTに匹敵する爆発力を持つ爆弾を作れると仮定した。彼らは「敵性外国人」とされMAUD委員には参加できなかったが、委員会に集った英国の科学者たちはすぐにその仮説を確認し、検討を進めた。ここから「チューブ・アロイズ局(Tube Alloys Directorate)」と呼ばれるプロジェクトが始動する。
当初、英国のチャーチル首相は「英国単独で開発を進めるべきだ」と強く主張していた。一方、米国は従来型兵器で十分にドイツに勝てると考え、原爆開発には及び腰だった。やがて米国もようやく事態を理解し、英国との協力に転じる。同時に英国側はプルトニウムやウランといった原料の調達が困難であることを痛感していた。
最終的に両国は協定を結び、84人の英国人科学者が大西洋を渡り、マンハッタン計画を「加速」させることとなる。ウィリアムズ氏は「もし英国の貢献がなければ、歴史は全く異なる姿をしていた」と主張し、これを「20世紀で最も重要な国際協力」と位置づけている。 By週刊ジャーニー (Japan Journals Ltd London)








































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