2012年8月23日 No.742

●サバイバー●取材・執筆/本誌編集部

 

 

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パラリンピック 観戦ミニマニュアル

 

金メダル29個という、 チームGBの驚異的な活躍もあり
大成功のうちに終わったロンドン五輪。
その興奮も冷めやらぬうちに、 パラリンピック・ロンドン大会が 開幕しようとしている。
競技種目について馴染みが薄いと思われる読者も少なからずおられることだろう。
今号では、全20種目の説明など、パラリンピック観戦に向けて
様々な情報をお送りすることにしたい。

本稿執筆にあたり、日本にて障害者のスポーツの普及・振興を図るための活動を行う、財団法人日本障害者スポーツ協会に多大なるご協力を頂きました。また、画像につきましては、エックスワン様よりご提供頂きました。この場をお借りして、厚く御礼申し上げます。

 

もうひとつのオリンピック

  近年、商業化があまりに激しく進んでいると批判も聞かれるオリンピック。開催費用が巨額になっていることは否めない事実で、それを開催国の納税者にのみ頼ることは難しい。スポンサー料、チケットの売上げや放映権のほか、開催国はあの手この手で、費用捻出に取り組むしかない。
 マスコットを創り、関連グッズを販売するのも費用捻出のための有効な手法だ。ロンドンもその例にもれず、2つのマスコットを世に送り出した。ロンドン五輪で既におなじみとなった、ウェンロックと、パラリンピックのマスコット、マンダヴィルである。
 五輪スタジアム建設に使われた、ボルトン(イングランド北部の工業都市)の鉄くずから生まれたという設定のこの「2人」、カメラのレンズに見立てた一つ目が特徴で、可愛らしくない、と悪評高かったが、ロンドン五輪で見慣れてみると、なかなか愛嬌があるように思えてきたとの声も聞かれる。
 ウェンロックのほうは、近代オリンピックの先駆けとなる運動会を始めた、英国中部シュロップシャーの町、マッチ・ウェンロック(Much Wenlock)にちなむ。地元の人々の健康増進を目的に1850年から開かれていた地域運動会を、1890年に視察に訪れたのが、「近代オリンピックの父」、クーベルタン男爵ピエール・ド・フレディ(Pierre de Fredy, Baron de Coubertin 1863~1937)だった。アテネで近代オリンピックの第1回大会が行われたのは、その6年後のことである。
 一方のマンダヴィルは、バッキンガムシャーのストーク・マンダヴィル(Stoke Mandeville)病院から、その名が取られた。同病院には、第二次世界大戦で脊髄を損傷した傷痍軍人のリハビリ施設があり、ドイツから亡命してきたユダヤ系医師のルートヴィッヒ・グットマン(Ludwig Guttman 1899~1980)が勤務していた。この医師の提唱で、1948年、ロンドンでの2回目のオリンピックにあわせて行われた、車椅子患者によるアーチェリー競技がパラリンピックの原形といわれている。
 当初は、「半身が不随である(paraplegic)」人々のオリンピックとして「パラリンピック」の名称が使われ始めたが、それ以外の障害者も参加するようになったことから、現在は、五輪と「並行して(parallel)」行われる、つまり「もうひとつのオリンピック」という意味で「パラリンピック」と呼ばれている。
 パラリンピックの両足切断者クラス100メートル走の世界記録(10秒91)保持者で、ロンドン五輪への出場も果たした南アフリカのオスカー・ピストリウス選手は、"You're not disabled by the disabilities you have, you are able by the abilities you have."(「障害によって、できないことがあるのではなく、そなわっている能力によってできることがある」と考えるべきだ)と前を向く。想像を絶するほどの努力の末に出場を勝ち取った、パラリンピアン(パラリンピック代表選手)を応援するために出かけることに、やはり大きな意義があると筆者は信じてやまない。パラリンピアンたちがこの夏、繰り広げるさらなる熱いドラマにできるだけの声援を送りたいものである。

 

パラリンピックのロゴ。赤色が「心」、緑色が「身体」、青色が「精神」を示しているという。なお、IPCは「The International Paralympic Committee」(国際パラリンピック委員会)のこと。

 


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