2012年6月14日

 

おすすめワイン産地めぐり⑳  英国産スパークリング・ワイン その2

  

 

大切な輸入品だったワイン

前回(2012年5月10日号)に引き続き、英国のブドウおよびワイン造りの歴史をひも解いていきたい。

© Odejea
「英国」のワインといっても、産地はイングランドとウェールズに限られる
ことは、既にご説明したとおりだ。イングランドでは、古代ローマ人が去った後、キリスト教が正教として受け入れられるのと共にワインが広く飲まれるようになった。当初、輸入ワインが飲まれていたのか、国産ワインが飲まれていたのかは明確ではないようだが、もし、国内で造られていたとするならば、おそらく修道院などで造られたのであろうと言われている。しかし、初期のキリスト教信者たちが定住したウェールズやコーンウォールはというと、雨が多く粘土質の土壌で、ブドウ栽培には向いていない土地だったはず…との見方が強い。西暦597年にローマ法王により初代カンタベリー大司教が送り込まれてきた頃でも、イングランドやウェールズにおいてワインが造られていたとの記録は残っていない。その代わり、ワインが大陸からの大切な輸入品だったことは記されている。
8世紀中頃になると、イングランドでもブドウ栽培の記録がいくつか見られるようになり、9世紀後半には、イングランドのウェセックスを支配したアルフレッドAlfred大王=写真の像(ウィンチェスター市内に立つ)=が、その法律の中でブドウ畑の所有者の権利を認めていることが明記されている。従って、イングランドでは遅くとも10世紀には確実にブドウ栽培が行われていたと考えられる。とは言え、当時、イングランドの人口が300万人、うち、修道士を含む聖職者の数はわずか850人だったというから、ブドウ栽培の規模がいかに小さかったかが想像できる。

 

英国国教会の誕生とワイン造りの衰退

1066年、仏ノルマンディー出身のウィリアムによるイングランド征服の結果、多くの聖職者がイングランドへと移住。大陸からブドウ栽培やワイン醸造の技術が伝えられ、イングランドでもワイン造りが本格的に始まった。
1270年の記録によると、イングランドの人口は約300万人と横ばい状態だったが、そのうち、ベネディクトやシトー派の修道士の数が1万4,000人となり、大幅に増えた。ブドウ栽培やワイン造りが盛んに行われ、貴族たちも城の周りにぶどう園を築いたとされている。
その頃は、ワインを飲んだり、供したりする時にグラスが使われることはあったものの、保管はもっぱら樽で行われたので、酸化や腐敗はまぬがれなかった。特に、夏には輸入ワインの酸化が目立つようになるため、国産ワインの需要アップに拍車がかかった。というものの、もちろん、ワイン造りに関する法律などなかったので、収穫した生のブドウからではなく、干しブドウを使ってワインを造ったほか、水で薄める、造ったワインに蜂蜜を入れて甘くする、ハーブで香り付けをするなど、いろいろな方法でワインを飲みやすくしていたようである。また、殺菌剤や腐敗防止剤としての亜硫酸がなかったため、長持するようなアルコールの高いワインや甘いワインが好まれていたようだ。
1533年、ヘンリー8世=肖像画=がアン・ブリンと再婚するために、イングランド国教会を誕生させ、ローマ・カトリックから決別したのを機に、イングランドで一大勢力を誇っていた修道院や教会が破壊され、ブドウ畑も荒廃する結果となった。こうして、ウィリアム1世がイングランドにもたらしたブドウ栽培とワイン造りの時代は、いったん終わりを告げる。イングランドでは長く輸入ワインに頼るだけの時代が続いた後、20世紀後半になってやっとルネサンスを迎えるわけである。
次号では、20世紀に入ってからの歴史と、イングランドのトップクラスのスパークリング・ワインをいくつかご紹介しよう。

ミヨコ・スティーブンソン Miyoko Stevenson

WSETディプロマ取得。Circle of Wine Writers会員。Chevalier du Tastevin(利き酒騎士)団員。Jurade de St-Emilion団員。Ordre des Coteaux de Champagne団員。国際日本酒利き酒師。The Guild of Freemen of the City of London会員。ワイン関連の訳書・著書あり。

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