
ワインにまつわる今月のトピック㉚ イングランドのスパ-クリング・ワイン事情 その1
8000年前に 島国となった英国
ご存じの方も多いかと思うが、大昔、英国はヨーロッパ大陸の一部で、フランスとくっついていた。繰り返される大きな地殻変動により紀元前6,100年頃に島となったとされるが、ここで、大皿を例にとって説明したい。大皿の真ん中の凹んだ部分をパリ盆地だとすると、その盆地から大皿の縁に向かう斜めの部分は、真ん中の地面が凹んだために地表に現れた古い地層と説明できる。大皿の真ん中あたりにパリを置くと、東の斜面にシャブリ、北東の斜面がシャンパーニュ、そして北西が南イングランドとなる。つまり、南イングランドの地層には、偉大なワイン産地のシャブリやシャンパーニュと同じ構造の箇所があることになる。
ローマ統治時代にも 根付かなかったワイン造り
さて、英国のブドウ栽培&ワイン造りの歴史から見てみることにしよう。ブドウの樹はローマ人が到着する前から栽培されていたようだが、それからワインが造られていたという記述はない。また、ノーサンプトン州NorthamptonshireのウェリングバラWellingboroughの近くにあるウォラストンWollaston村周辺地域で、テラス状に植えられていたと思われる古代ローマ時代のブドウ畑の跡や圧搾器の一部は見つかったのだが、圧搾されたブドウの種等の記録はなく、ワインが造られていたという証明にはならなかった。結局、古代ローマ人が300年以上も支配下に置いた英国で、ブドウの栽培を試みた人々はいたかもしれないが、それが成功し、規模が拡大され…という展開にはならなかったと考えられている。
ヘンリー8世の時代に 荒廃したブドウ畑
古代ローマ人が去った後、8世紀の中頃になると、英国におけるブドウ栽培の記録がいくつか見られ、9世紀後半にはイングランドのウェセックスを支配したアルフレッドAlfred大王が、その法律の中でブドウ畑の所有者の権利を認めていることが分かっている。従って、イングランドでは遅くとも10世紀には確実にブドウ栽培が行われていたと言える。1066年、フランス、ノルマンディー出身のウィリアム王による英国征服の結果、多くの僧侶がこの地に移住し、大陸からブドウ栽培やワイン醸造の技術が伝えられ、英国におけるワイン造りの時代が幕を開けた。ブドウ栽培やワイン造りが盛んに行われ、貴族たちも城の周りにぶどう園を築いた。当時はワイン造りに関する法律などなかったので、干しブドウを使ってワインを造ったり、水で薄めたり、造ったワインに蜂蜜を入れて甘くしたり、ハーブで香り付けをしたり等、いろいろな方法でワインを飲みやすくしていたようである。当時はまだ、殺菌剤や腐敗防止剤としての亜硫酸がなかったので、長持ちするようなアルコール度の高いワインや甘いワインが好まれていたと見られている。1533年にヘンリー8世がアン・ブリンと再婚すると、カトリック教が英国国教会にとって変わられ、修道院や教会が破壊され、ブドウ畑も荒廃する結果となった。
20世紀後半に再開した ワイン造りの歴史

こうして、ウィリアム1世が英国にもたらしたブドウ栽培とワイン造りは廃れ、ようやく「ルネサンス」を迎えたのは20世紀後半になってからのことだった。まず、1945年に、オクステッド・ブドウ栽培研究所における実験栽培から、イングランドでもビジネスとして通用するワイン生産業が可能であることが発表された。この実験により、1950年代に複数の場所でブドウ栽培が行われるようになったが、合計しても5ヘクタール未満と小規模だった。1960年代と70年代には、栽培者の数、そしてブドウ栽培面積も拡大し、1975年終盤の農林水産省による調査では、196ヘクタールあったとされている。しかし、それらは商業用というよりも、引退した裕福な人達の趣味程度のものが多かった。それが2020年には、英国で約800の商業用ブドウ栽培者が生産を行い、ブドウ栽培面積も3,600ヘクタールと大幅に拡大している。
南イングランドにシャンパーニュと同様の土壌があることに気づき、素晴らしいスパークリング・ワインを造り、イングリッシュ・スパークリング・ワインの世界的評価を一気に上げ、英国におけるブドウ栽培を盛んにしたのはナイティンバーNyetimberの功績によるところが大きい。12月号で番外編をお届けした後、来年1月号で詳しい説明をお届けすることにしよう。
週刊ジャーニー No.1214(2021年11月11日)掲載











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